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僕のアメリカ横断記⑧(カンザスシティ1日目)

■8月27日(土)
 カンザスシティ駅に到着したのは、朝の7時半ごろだった。カンザスシティはミズーリ州最大の都市で、アメリカのほぼ中央に位置することから「ハート・オブ・アメリカ」の異名がある。
 宿のチェックイン時刻までかなり時間があったので、『地球の歩き方』を頼りに周辺を散策することにした。
 まずは、駅から伸びる渡り廊下を歩いて、「クラウンセンター」というショッピングモールに入っているホールマーク社のビジターセンターへ向かう。

ホールマーク ビジターセンター

 ホールマーク社とは、1910年にここカンザスシティで創業されたアメリカ最古かつ最大のグリーティングカードのメーカーだ。ビジターセンターでは、ホールマーク社の歴史を紹介するパネルや、アーティストや大統領とのコラボ製品の展示を見ることができ、実際にカードを購入することもできる。残念なことにグリーティングカードとはほとんど縁のない人生を送ってきた僕だが、グラフィックデザイナーのインタビューや、カードが出来上がるまでの工程の映像を見るのは新鮮で興味深かった。
 グリーティングカードというものは、贈る人も受け取る人もハッピーな気持ちにさせる商品だから、こうした仕事に従事している人々はきっと心穏やかに日々を暮らしているのだろうなぁと勝手な想像をした(実際のところはわからないが・・・)。いずれにせよ、生き馬の目を抜くようなアメリカの競争社会で、"グリーティングカードを売る"という、どこか牧歌的でアナログな商売が100年以上も続いていることがとても素敵に思えた。

 次に、駅のすぐ目の前にある「国立第一次世界大戦博物館(National World War I Museum and Memorial)」へ向かった。小高い丘の頂上まで登ると、青空をバックに66メートルもの高さがある「自由祈念塔」が現れる。駅からもこの塔が見えていたおかげで、方向音痴の僕でも迷いようがなかった。博物館はこの塔の中にあり、入口の扉は一見すると巨大な鉄板のようにしか見えず、"ENTRANCE"と書かれた看板が立っていなければ引き返していたところだった。受付で学生証を見せると、12ドルの入館料が、学割で10ドルになる。日本の学生証なので少し不安だったが、問題なく適用してくれた。

国立第一次世界大戦博物館

 第一次大戦に関する公的な博物館はアメリカでここが唯一だそうだが、内装や設備はかなり立派だ。日本の学校教育では、第二次大戦に比べると第一次大戦については深く学ぶ機会が少ないように思うが、アメリカにとって第一次大戦とは、兵器の輸出等で莫大な利益を上げ、今日に至る繁栄の礎となった戦争であるがゆえに、こうした教育的施設にも力を入れているのだろう。
 まずはイントロダクションとして用意されていた第一次大戦勃発の経緯を伝える映像を視聴し、あとはルートに従って展示物を見ていく。戦争当時の各国の軍服や、戦車、戦闘機、戦場を再現したジオラマなどを見ることができ、当時流行していた音楽を聴けるボックス席などもあって、よく工夫されていた。
 塔の最上階まで、エレベーターで上がれるようになっている。係員が扉を開閉する手動式で(雰囲気を出すためにあえて旧式にしているのだろうか?)、ずいぶんのろのろと上がっていった。
 エレベーターの扉が開くと、壁の全面がガラス張りになっており、カンザスシティが一望できた。『地球の歩き方』には、カンザスシティは「近代的なビル群と赤レンガが共存するユニークな街並み」というようなことが書かれていたが、ここから見える景色はまさにそういった雰囲気だった。この新旧入り交じる光景は、貧富の差のあらわれにも見えたし、都市デザインとしてあえてこういう街並みを形成しているようでもあった。

 僕は博物館を出て、次のお目当てである美術館へ向かう前に、予約しておいた宿にこの忌々しいほど重たい荷物たちを置いていくことにした。
 ユニオン駅周辺にはwifiがないのでグーグルマップが使えず、『地球の歩き方』の地図だけでどうにか行ってやろうと歩き出すが、案の定と言うべきか、やはり迷ってしまった。地図が読めない女~とかなんとかいうタイトルの本があったが、男だって地図は読めない。この日記のタイトルを「男だって地図は読めない」にしてもいいくらいだ。実に情けない。
 カンザスシティも日差しが強烈で、ホテルを探して歩き回っているあいだ中、肌がじりじり焼かれていることを感じていた。
 道中、駅前の交差点で、見たところ50歳くらいの黒人男性と遭遇した。身なりから推察するにホームレスのようで、汚れたブルーのTシャツには"HELP ME"とプリントされている。
 "Sir, Do you have some food?"と僕に声をかけてきたので、僕はリュックにリッツのチーズサンドが入っていることを思い出し、"Do you like Cheese?"と訊いた。彼が"Yes, sir."と言うので、リッツを取り出して渡す。しかしまだ立ち去らない。なんだろう?と思っていると、"Sir, I’m thirsty. Do you have some drink?"と言う。"I don't have a drink." と首を振ると、"But..., I don’t have money."と言う。だがそんなことを言われても、僕だって貧乏旅行者だから金に余裕がない。困った僕が"Sorry…"と言うと、彼は"All right…"と寂しげに肩をすくめた。
 僕が行こうとすると、彼は微笑を浮かべて握手を求めてきた。彼の手には土埃がたくさん付着しており、爪は垢でどす黒かった。それを見た僕は、一瞬戸惑って、それでもぎこちなく手を伸ばした。彼は差し出された手をぎゅっと握って、"Thank you, Thank you…"と何度も言った。
 僕のリッツを片手に、灼熱のアスファルトの上を歩いていく彼の後ろ姿を見ながら、僕はだんだんと自分に腹が立っていた。彼に手を差し出すのを一瞬でもためらった自分の性根に対してである。僕は自分の右手をじっと眺めた。真に汚れていたのは、彼のシャツでも、爪でもなく、握手を求め伸びてきた無垢な手をすぐに握ることができなかったこの己の心だ・・・。
 僕がそのように激しく自責したのは、「貧乏旅行者」などとほざいておきながら、今日の宿が「フェアフィールド・イン」というマリオットグループの比較的立派なホテルだったからだ。ユースホステルではない一般のホテルに泊まることになった言い訳をするなら、実はカンザスシティでの宿を前日まで必死に探していたのだが、空室のあるユースホステルがどうしても見つからず、かなり予算オーバーのホテルを選択するしかなかったのだ。そうは言っても、こうしてホテルに泊まろうと思えば泊まれるだけの最低限の財力はあるわけだ。何よりも、親から金銭的な援助を受けて日本からアメリカくんだりまで旅行ができている。そんな温室育ちの僕が、物乞いをしながら暮らさざるをえないような人に数ドルさえも渡さず、あまつさえ土埃に汚れた手を見て握手さえためらうとは・・・。そんな自己中心的で、甘えきった自分の性根が恥ずかしくて、腹が立って、どうにも仕方がなかった。

 そんな思いを抱えながらも、ようやくホテルに辿り着いた。広いフロントで受付けを済ませ、立派な体格のホテルマンからカード型のキーを受け取った。
 部屋のドアを開けると、まずその広さと清潔さに驚いた。テレビは韓国LG製の大型のものが設置され、冷蔵庫や電子レンジまである。浴室も隅々までクリーニングされていて、キングサイズのベッドはフカフカだった。
 「そりゃあ、一泊94ドルだもんな・・・」
 ふと我にかえり、虚空を見つめながらつぶやく。このクラスのホテルとしては平均的(むしろ良心的だろう)とは思うが、これまで泊まったユースホステルの3倍はする料金だ。丸っきり分不相応である。さっきの黒人男性の顔が、また思い浮かんだ。まるでグローブのようにごわごわと硬く、しかし温もりを宿したあの手のひらの感触とともに。

 次の目的地であるシカゴの宿は予約できていたが、その次のボストンの宿探しにまた難航しており、僕はAirB&Bにゲストハウスを掲出していたハーバード大学生のオーナー、ジョンにメールをしてあった。パソコンを開いてメールボックスをチェックすると、彼から返信が来ていた。幸い、「部屋は空いている」とのことだった。
 Air B&Bは当時からアメリカでは広く利用されていたが、日本での普及度はまだまだ低かったように思う。僕もバックパッカーのブログか何かでたまたまこのサービスの存在を知った。インターネットを介して知らない人の家に泊まるというのは正直抵抗もあったが、『地球の歩き方』に載っている僅かな宿だけを頼りにすると「すべて満室」ということが度々起こるので、やむをえなかったのである。それに、いざサイトを開いて眺めてみると、宿泊代も安く、ジョンのようにユニークな経歴のオーナーもいたので、不安と同じだけ好奇心もそそられたのだった。どのみちハーバード大学も見学する予定だったので、彼の家が大学から近いこともあり、ボストンでは彼のゲストハウスに泊まろうと内心では決めていた。しかし、ハリケーンのためにボストンまで行けるかどうかその時点ではまだはっきりしなかったので、その旨を簡単にメールしておいた。

 当初の予定では、ネルソン・アトキンズ美術館とケンパー美術館に(両館ともに入場無料!)行こうとしていたが、宿の手配のせいですでに陽が傾いていたため、20時まで開館しているケンパー美術館のみを訪れることにした。
 市中でよく見かける、車体に大きく「Max」とプリントされた青いバスに乗って、美術館前の停留所で降りた。
 美術館の入り口に敷かれた芝生には、六本木ヒルズや韓国のサムスン美術館でも見たことのある、巨大な蜘蛛のブロンズ像が屹立していた。彫刻家ルイーズ・ブルジョワによるパブリックアート、『ママン』だ。この作品があることからもわかる通り、ケンパー美術館(Kemper Museum of Contemporary Art)は、1994年の開設以来、現代アートを中心にコレクションしている。

ケンパー美術館

 館内に入ってすぐ目についたのは、軍服のようなものを着て横を向く幼女の絵だった。モノトーンだが写実的なタッチで、構図の大胆さに強く惹かれる。僕はすぐに、「ゴットフリート・ヘルンヴァイン」という作者名をメモした。後に調べたところによると、1948年生まれのオーストリア系アイルランド人の画家で、僕が見た絵画はそうではなかったが、特に初期は、負傷した少女をリアリスティックに描く作風で物議を醸してきた人物だという。
 また、そのすぐそばでは「ジュール・オリツキ」というロシアの作家の特別展をやっていた。不勉強ながらこの画家のことも僕は知らなかったが、後に調べてみると、1922年にソ連はスノフスクで生まれ、生まれる直前に父親が政府から殺されてしまい(!)、すぐにニューヨークに母親と移住している。レンブラントの絵画を見たことをきっかけに画家の道を志し、パリへ留学して芸術教育を受けた後、アメリカに帰国して様々な流派に触れる中で、カラーフィールド・ペインティングと出会うことで抽象的な傾向を強めていったそうだ。
 僕が鑑賞した彼の作品は、大小の円がカラフルに塗り分けられているもので、眺めているうちに不思議と、胎児のイメージが脳内に浮かんだ。こうした典型的な抽象画からなんらかのイメージを得ることが初めての体験だったので、ぜひこの作家も覚えておこうと思い、また名前をメモに残した。
 小さな美術館なので1時間ほどで一通り観終え、そこから歩いて10分足らずのところにある「カントリー・クラブ・プラザ」というアメリカで最古(1922年から存在するそうだ)のショッピングセンターへ向かった。歩いていると周辺の建物が突然スペイン風のゴシック様式に変わるので、わかりやすい。なんでも、100以上の店舗が並んでいるらしい。

カントリー・クラブ・プラザ

 それにしても、カンザスシティは「噴水の町」と言われているだけあって、あちらこちらに様々な噴水が設置されている。それが赤レンガ造りや木造のヨーロピアンな建物からなる風景とマッチして、美しい。
 カンザスシティに来てから、アジア人をまったくと言っていいほど見かけなかったのだが、このショピングモールはカンザスシティでも特にメジャーなスポットだからか、韓国人らしき若者の一団と、中国系のカップル一組を見かけた。
 大きな書店に入ったり、お土産屋さんのような店を周っているうちに腹が減ってきたのだが、なかなか適当な店が見当たらず、「チーズケーキ・ファクトリー」というスイーツ店兼レストランみたいな店に入った。家族連れやカップルで混み合う中、場違いな気まずさを感じながらテーブルにつき、ぼんやりした味付けの高価なパスタを食べて、そそくさと帰宅した。

 ジョンからメールの返信が来ていた。
 「Haha!ハリケーンは月曜日までには消えちまうから大丈夫さ。とにかく他の人に取られないうちに早く予約した方がいいよ!」
 そりゃ貸主さんの立場からすればそう言うだろうが・・・、こっちもキャンセル料を払いたくないから慎重にならざるを得ない。
 「明日、駅で運行状況を確認してから、できるだけ早く連絡する」
 とりあえずそう返信して、僕は寝支度をはじめた。
 翌朝、悲劇が起こることも知らずに・・・。

【その①はこちら↓↓↓】
https://note.com/sudapen/n/n06148d1c9a90


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