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まさしく闇鍋 / 「インターステラー」

Once you're a parent, you're the ghost of your children's future.
(親になるってことは、こどもの未来での痕跡になるってことさ)

Joseph Cooper, "Interstellar"

恋愛は"するもの"であって観るものではない、という持論により、僕は恋愛映画をほとんど観ない。観たとしても、そんなことするか?などと主人公の言動が気に障って物語に集中できない。例外は「風と共に去りぬ」や「ドクトル・ジバゴ」、「イングリッシュ・ペイシェント」くらいだ。若い頃に観た「ゴースト/ニューヨークの幻」なんて、脚本家が酔っ払って書いたのかと思ったほど子どもじみた内容に思えたが、数年前に似たようなシーンに出くわしてのけぞった。2014年の映画「インターステラー」である。
クリストファー・ノーランという監督は最近ずいぶん評価されているのだが、その大きな理由は、世間にサイエンス音痴が多いことだと思う。「インセプション」「インターステラー」「TENET テネット」「オッペンハイマー」と、合間の「ダンケルク」を除いて最近の作品は全てサイエンスを題材にしている。ところが「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンのような、子どもに夢を与えるサイエンスではなく、ノーラン監督は大人の観客を煙に巻くためにサイエンスを利用しているようにしか見えない。上記の作品を観て子どもは楽しめるだろうか。あるいは、大人の観客はこれらの映画の設定を理解できているだろうか。とてもそうは思えない。いくつかの"解説"ブログを読んでみたが、書いている者はガリレイ変換も分かっていないように見受けられた。きっと"こんなことを解説している俺ちゃんカッコいい"などと悦に入っているのだろう。コロナ騒動でも露見したことだが、世間の多くの人はサイエンスが苦手なので、これが科学ですという顔をして現れるデータやストーリーにすぐ引っかかってしまう。
つまり、僕は理論物理を専攻していた者として"ここの表現がおかしい"なんて野暮をことを言いたいのではなく、せっかくサイエンスをネタにするなら、なんだこれ?と首を傾げたくなるような表現は避けてほしいと思う。
「インターステラー」はのっけから"重力波のメッセージ"とやらが登場し、何だって?と耳を疑ってから、映画が終わるまでほとんどポカンと過ごしてしまった。ノーラン監督のサイエンスの使い方はここが問題だ。つまり、いわゆるSFのように物語を進めるための必要な設定として、むちゃくちゃな装置(たとえばデロリアン)を出してくるのではなく、あたかもそれが科学として成立しているかのような"ノリ"で撮っている。「インセプション」での重力と同様に、重力波である必要を全く感じない。ワームホールや時間の遅れなど、20世紀の理論物理学の中で出てきた題材を次々と使いながら、物語はけっきょく主人公(マシュー・マコノヒー)がよく分からない空間のようなところから現実の世界にアクセスしようとする、という「ゴースト/ニューヨークの幻」になる。「ワースト/物理学の幻」だろう。
おそらく、というか間違いなく、ノーラン兄弟は"キャラクターを造形"することが苦手である。だからサイエンスを使った"設定ありき"になる。出世作の「メメント」では時間を何度も遡るという他の監督ならやらないようなことをやったし、「オッペンハイマー」は実在の人物だし、「バットマン」は原作がある。
僕はノーラン監督作なら「インソムニア」が最も良い映画じゃないかと感心したのだが、これはその数年前に発表されたノルウェー映画のリメイクだった。
にもかかわらず、世間では、ノーラン監督の最新作!と騒いでいる。今までそんなに良い映画を撮っただろうか。「ダークナイト」でヒース・レジャーが素晴らしかった記憶しかない。日本人は本当にブランドや権威に弱い。みんなが褒めているから僕も褒めよう、という動機があるようにしか思えない。
どんなに無茶な設定や装置であっても、それで面白ければ良いと思うが、ノーラン監督作は面白がる以前に、なんで?とか、これ必要?と何度も躓いてしまう。特に「インターステラー」は物理学者のキップ・ソーンが科学コンサルタント兼エグゼクティヴ・プロデューサーを務めているので、本人の研究テーマである重力波はもちろんのこと、あれもこれも入れてみた、という闇鍋のような映画になっている。
僕はハンニバル・レクターのように、絵空事の中で生き生きと動く"キャラクター"が好きだ。設定や物語の時間軸なんて、どうでもいいことである。

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