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差別される側だけが登場人物 / 「ドライビング Miss デイジー」

数多くの映画に出演し、今や黒人の俳優で最も有名なモーガン・フリーマンは、1980年代の後半まではノンクレジットでの出演やテレビでの端役がほとんどだった。そんなモーガンの魅力が一気に開花した映画といえば1989年の「ドライビング Miss デイジー」だろう。
この映画の筋書きはもともとアルフレッド・ウーリーという男が書いた戯曲であり、舞台で評価された作品である。映画の2年前には、舞台公演がピューリッツァー賞も受賞している。
こうした作品にありがちな白人と黒人の対立ではなく、ミス・デイジーはアトランタに住むユダヤ系の老女だ。アメリカ南部では黒人と同様にユダヤ人への差別も苛烈なものだったという。つまり、ショーファーを務めるホーク(モーガン・フリーマン)と同じく、後部座席に乗るデイジーもまた差別される側であるということが本作による白人への批判となっている。
ホークを母親の運転手として雇っている息子のブーリー(ダン・エイクロイド)の家庭を見ても分かるように、アトランタで商売を成功させるには白人と仲良くすること、すなわち共和党の支持者にならなければならないという暗黙の了解についても描かれている。こうした事態は今日かなり和らいだとはいえ、まだアメリカで現役の話題である。
物語は頑固なデイジーと陽気なホークの軽妙なやりとりによって進みつつ、シナゴーグの爆破や、根強い黒人への差別、そしてマーティン・ルーサー・キング・ジュニアなど、現実のアメリカの問題が次々と現れるようになっている。主に第二次世界大戦の直後から1960年代に至るまでの、アメリカ現代史の物語だ。そのことはホークの運転する車がハドソンからキャディラックに変わることでも示されている。ハドソンは1960年頃までに生産を終えた。
この映画はそれだけでなく、ホークもデイジーも共に老いるという事実も描いている。人は年を重ね、世代が変わり、老いた者の一部はボケていく。デイジーは年をとり、ようやくホークに「あなたがいちばんの友達よ」と言うことができた。互いにそのことが分かっていても、人は頑固だったり、性格のせいでうまく生きることができていないものだ。そうしたことも映画の最後の方で表現されていた。
この映画はアカデミー作品賞に輝いたが、当然の受賞だろう。1989年という時代にこうした映画を発表することは、アメリカという国の根幹を批判することになるからだ。差別を無くしていくには、その実態を見つめることがいちばんの近道だ。隠蔽してタブー視するなんて、差別の温存にしかならず愚の骨頂である。本当に日本人は頭と性格が悪い。
さて、蛇足になるものの、劇中でデイジーが図書館から借りてきて熱心に読んでいた本が、グレアム・グリーンの新作という設定になっていた。前回の記事で紹介した「第三の男」の原作者である。息子のブーリーも「僕に貸してくれ」と言っていたように、欧米では非常に知名度のある作家なのだが、日本列島ではちっとも読まれていないらしい。グレアム・グリーンつながり、によって、今回は「ドライビング Miss デイジー」の記事にした。

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