「トレインスポッティング」という単語のおそらく本当の意味
若い頃に観た映画の中でも「トレインスポッティング」は特に印象深い。とにかくスコットランド訛りが聞き取れず、しかしそのことが妙に可笑しくなり、急いで書店に原作を買いに行ったことを思い出す。僕は家庭の事情で幼い頃から複数の方言に親しんで育ったので、英語の”方言”を耳にしたことがうれしかった。もちろん、原作も読みにくいことこの上なかったが、愉快な英語のレッスンだった。
本作の舞台はスコットランドの首都エジンバラだ。労働者階級の貧しい若者たちがヘロインとセックスとサッカーで自堕落な生活を送る。ほとんどそれだけの映画だ。このだらしなさに共感した若者が世界中にいたのだと思う。小説や映画で、どうしようもない連中の生活をここまで詳らかにしたものは珍しい。どんな人が作者なのだろうと当時調べてみると、著者アーヴィン・ウェルシュはエジンバラに生まれ、テレビの修理屋などをしてからロンドンへ行き、そこで軽犯罪で逮捕され、エジンバラに戻ってきて「トレインスポッティング」を書いたのだという。じぶんの経験が大いに活きた小説なのだろう。
エジンバラといえばショーン・コネリーの出身地である。スコットランドを愛して生涯その訛りを”矯正”せず、スコットランド独立を声高に主張していた。映画「トレインスポッティング」のなかでも、シック・ボーイと渾名される人物がショーン・コネリーのアクセントの真似をしていた。いわゆるリスペクトである。しかしこの映画で繰り広げられる体たらくときたら、スコットランドの最下層だ。そこから抜け出そうともがく主人公が”何もない所なのにアホどもに占領されてるじゃないか”と怒鳴るシーンが印象に残った。じぶんにもスコットランドにも腹が立つ、ということだ。
物語の終盤、主人公レントン(ユアン・マクレガー)は麻薬取引の金を勝手に持ち逃げして新たな生活へと踏み出して行くのだが、そのシーケンスで使用され世界中で大ヒットした曲が Underworld という電子音楽グループの Born Slippy Nuxx だ。僕は今までに何度聴いたか分からないほどだし、今日でも世界中のクラブなどで毎日流れているはずだ。そしてこの曲に合わせるように、レントンからのメッセージが観客に伝えられる。Choose life. Choose a job. Choose a career. と、あれもこれも choose しろとエンディングまでレントンは語る。うっかりするとレールに乗ってしまいがちな世の中だからこそ、choose という単語が僕の胸を押したような気がした。
僕はこの映画を観てから長いこと trainspotting とは”無駄に時間を潰してしまうことのたとえかなぁ”と思っていたし、ネット上でも多くの人がそう考えていたようだが、ある日、とあるエジンバラ出身者の投稿を見て目から鱗が落ちた。
「エジンバラの中心から登場人物たちの住むエリアにかけて、もう使われなくなった廃線の駅があった。今はもうないよ。当時、その駅がジャンキーたちの溜まり場で、エジンバラの出身者でヤクをやる奴なら trainspotting と言えば、あの駅に行くこと、つまりヤクをキメに行くことだって分かる」
こういう投稿が読めるからインターネットは便利だ。生成AIに日本語で注文したところで、こんな投稿を目にすることはできないのだ。それに、みんなが言っていることはだいたい間違えているということの新たな証拠にもなった。
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