主役をフォレストにした理由 / 「フォレスト・ガンプ/一期一会」
かつてのアカデミー賞の作品賞には、文句のつけようのない作品があった。ロバート・ゼメキス監督の1994年の映画「フォレスト・ガンプ」は、第二次世界大戦後のアメリカの歴史を俯瞰する小説をトム・ハンクスの名演で見事に映像化した快作だ。もともとコメディアンとして活躍していたトムは本作によって名優の地位を確固たるものにしたと言えるだろう。
1枚の羽が宙を舞う様子をカメラが追いかけ、それがフォレスト(トム・ハンクス)の足下に落ちると、そのまま演技が始まるという、とんでもない視覚効果によって本作は幕を開ける。走ることの得意なフォレストがアメフトを始め、優秀なキックリターナーとしてアメリカ代表にも選ばれて当時のケネディ大統領に会うことや、陸軍に入隊してベトナムへ行き、帰国して名誉勲章をジョンソン大統領からもらうことなど、フォレストという登場人物を通してアメリカの現代史が展開される。陸軍の時に覚えたピンポンによってピンポン外交を担い、米中の国交正常化に寄与したことや、その後のウォーターゲート事件、ジョン・レノンやヒッピーの流行など、アメリカ人でなくても知っているような、世間の大きな動きをフォレストという無垢な男の視線で描いている。
フォレストの知能指数が低いという設定は、より出来事を真っ直ぐ、ありのままに伝える効果がある。確かにフォレストはエビの漁師として活躍することはできても、大勢の人たちを動かすような経営や政治には向いていない。しかし、そうした世の中を動かしているエリートたちが1960年代以降にやっていることとは、どうみても stupid なことだというメッセージだ。だからフォレストは劇中で何度も冒頭に掲げたセリフ、Stupid is as stupid does. と語る。僕は stupid なことをしていないし、バカげたことをしでかしたのは君たちじゃないか、という政治と大衆の批判である。インテリに指摘されても大衆は腹を立てるだけだから、知能が低いフォレストに代弁させている。これは原作者の手腕である。ちなみに日本語の字幕では「バカと言うやつがバカだ」のように訳されていたが、ただの誤訳である。行動によって知性は判断されるべきという意味の"フォレスト英語"だ。
やがてフォレストが片想いをしているジェニー(ロビン・ライト)がフォレストの子を出産し、結婚してアラバマ州の街で生活し始めるものの、病によってジェニーは早逝してしまう。父親と同じくフォレストと名付けられた息子をスクールバスまで見送り、また新しい人生が始まることを描くことで、本作の有名なセリフが活きてくる。
軍人として死ぬはずが、思いがけない人生を送ることになったダン中尉を演じていたゲイリー・シニーズもとても良い俳優である。近頃はテレビドラマ「CSI:ニューヨーク」の主人公マック・テイラー捜査官として有名になったが、まだまだ映画で活躍してほしい演技の上手い俳優だ。ちなみに、ゲイリー・シニーズがシカゴで旗揚げした劇団の出身者にジョン・マルコヴィッチがいる。
「フォレスト・ガンプ」は映画の初心者に気軽に薦めることのできる作品だ。現実の歴史を垣間見るように物語を進めながら、批判もしつつ、観客に"君たちもチョコレートの箱なんだよ"というメッセージをきちんと伝えている。こうした筋書きは簡単なようで実はとても力量の要求されるものだ。同期に当たる「パルプ・フィクション」や「ショーシャンクの空に」を抑えて作品賞を受賞したが、これは妥当である。
なお、映画の題名が「フォレスト・ガンプ/一期一会」となっているのだが、この"一期一会"がなぜ必要だったのか、僕にはさっぱり分からない。