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「大脱走」は映画より史実の方が感動する

記憶に残る映画のシーンは人それぞれあるはずだが、「大脱走」でのヴァージル・ヒルツ大尉の逃亡劇を挙げる人は少なくないだろう。バイクの排気音が解放感と爽快感を掻き立て、この映画の”名作”としての地位を決定づけた。第二次世界大戦を題材にしていながら、戦闘ではなく脱走に焦点を当てた単純明快なストーリーであることも人気の一因だろう。
僕はこの映画について、ある史実の話をしたい。
1963年に公開された「大脱走」は、ポール・ブリックヒルというオーストラリア人による The Great Escape という映画と同名の書籍が原作である。この書籍はブリックヒルの体験に基づいた本だ。ブリックヒルは第二次世界大戦の時、オーストラリア空軍に志願入隊し、チュニジア上空で撃墜されて捕虜となり、現在のポーランドのジャガン近郊にあった捕虜収容所に移送された。この収容所においてブリックヒルは大規模な脱走を手伝うことになったーー。この脱走劇の詳細を脚色して完成した映画が「大脱走」である。
さて、この収容所の指揮官を務めていた人物は、フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・リンダイナー=ヴィルダウというナチスの将校である。"正直で、社交的で、リベラルな方だったので、捕虜からも看守からも尊敬されていた"と、後に部下だったズィモライト少佐が証言している。ある時、ドイツ軍兵士の捕虜が連合軍によって虐待され殺されたという噂が収容所にまで聞こえてきた。なかには”我々もやり返してやろう”というドイツ軍兵士の声もあったという。そこで指揮官は少佐を呼び、こう話したという。
「ズィモライト少佐、例の噂を知っているだろう。そこで、もし総統閣下が、捕虜を何名か射殺しろという命令を下してきたら、我々はどうすべきかね」
少佐はすぐに答えた。
「そんな命令に従って惨めな人生を送るくらいなら、自決します」
フォン・リンダイナー=ヴィルダウは少佐の手を握って、こう告げたという。
「我々は何をすべきかを知っている者同士だね」
この後、76名の捕虜が脱走すると、調査に来たゲシュタポによって指揮官は解任され、軍法会議に送られた。脱走した捕虜のうち73名は再び捕えられ、50名がヒトラーの命令によって射殺された。ちなみに、原作の「大脱走」はこの50名に捧げられた本だ。
ドイツの敗戦が濃厚になるなか、進軍してきたイギリス軍に指揮官は投降した。その時、指揮官の所持品には収容所につながる道の石があったという。
戦後、イギリスで収容されていた指揮官は軍警察から”捕虜の殺害”について尋問された。しかし、収容されていた捕虜の多くが”指揮官はジュネーブ条約に基づいて捕虜を扱ってくれた””みんなから尊敬されていた”と証言し、釈放された。
フォン・リンダイナー=ヴィルダウは1963年、フランクフルトで82年の生涯を終えた。映画「大脱走」公開の2ヶ月前のことだった。

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