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生まれつきイカれていました・マインド

「全ての人間は生まれつき知ることを欲する」と著したのはアリストテレスだった。火曜サスペンス劇場やBBCの探偵ものなどは「誰がやったんだ」ということを知りたい欲求に応えているものだし、「ダウントン・アビー」などのドラマは隣家を覗きたい衝動を満たすものだ。あるいは「クリミナル・マインド」のように、犯人を捜すことよりも犯行動機や殺害方法の方に重点を置いたドラマもある。映画「羊たちの沈黙」シリーズはハンニバル・レクター博士という人物の魅力を描く作品なので、刑事と犯人という体裁をとっているものの単純な犯罪映画とは言えないだろう。
映画「セブン」や「ゾディアック」を監督したデヴィッド・フィンチャーは、シリアル・キラーという犯罪者を世間に知らしめた。連続という意味の serial を殺人者に合わせた造語はFBIの捜査官が生み出したという。ちなみに、朝食に食べるシリアルは cereal である。
そもそも、連続殺人のような犯行に至る輩は頭がイカれているので、「クリミナル・マインド」にせよフィンチャー監督作にせよ、こうした作品を好む人は狂人を見てみたいという欲望がある。あるいは、じぶんの中に似たような感覚をおぼえる者だ。それは倒錯した性の欲望に基づくことがほとんどだろう。人の言動が性に強く影響されるということは生物として当然だと思う。いちいちフロイトやフーコーを引用するまでもない。
しかしながら、人は常に物事の原因や理由を求めるので、こうした連中が「なぜイカれたのか」と憶測を始める。そこで一番人気なのが幼少期のトラウマだ。ある人物が狂っているなら、狂う前すなわち幼少期に何かあったのだろうという推理なのだが、生まれた時から狂っていたと考えたくないのだろうか。田舎に住んでいると市民にまぎれて狂人がちらほらと生活している様を目にするが、ほとんどの狂人は幼い頃から周囲に「あいつは狂っている」と認識されている。すなわち、多くの人のように話したり感じたりすることが出来ない者を狂人と呼ぶのだとすれば、それは明らかに先天的である。幼少期に辛い経験をしてトラウマを抱えた者が後に狂ってしまうような描写はきわめて幼稚だ。およそトラウマを語る者は何かの言い訳を述べているに過ぎない。
「セブン」は狂った犯人が自らの身体をもってストーリーを完結させた。逮捕されて「クリミナル・マインド」の捜査官のような連中にやれトラウマだのやれ障害だの、くだらない当て推量をされずに済んで良かった。

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