見出し画像

そんな女じゃないの / 「ゴーン・ガール」

The one thing that really frustrates me is this idea that women are innately good, innately nurturing.
(私をイラつかせるのは、女は生まれつき善人で、あれこれ世話する生き物だっていう考え方なの)

Gillian Flynn

ギリアン・フリンという女の小説家がいる。大学院でジャーナリズムを専攻した後、エンターテイメント・ウィークリー誌でテレビや映画の批評を書いていたのだが、10年ほど勤めた後に解雇されてしまう。解雇される前の2006年に最初の小説 Sharp Objects を発表し、これはHBOによってテレビドラマ化された。その次に書いた Dark Places (2009)はシャーリーズ・セロン主演で同名の映画になり、第3作目に当たる2012年の長編小説が Gone Girl 、「ベン・アフレックとゴーン・ガール」こと映画「ゴーン・ガール」(2014)の原作である。
有名な映画なのであらすじはほぼ不要だろう。結婚記念日に帰宅したニック(ベン・アフレック)は、妻のエイミー(ロザムンド・パイク)が失踪していることに気付く。証拠や状況はニックが妻を殺害したことを示唆しており、妻によってハメられたことを悟ったニックは弁護士を雇う。一方、エイミーはオザーク高原のコテージでのんびり夫の死刑を待ち望んでいたのだが、逃走資金である現金を強奪されてしまい、仕方なく以前交際していたデジーを騙して別荘に匿ってもらう。ニックがテレビに出演して浮気を認め謝罪すると、世間はニックを許した。そこでエイミーはデジーを殺害すると、レイプの被害者として帰宅した。ニックは妻を詰問するも、精子バンクに保存されていたニックの精子を使って妊娠したことを告げられ、全てを諦めたニックと不敵に微笑むエイミーは"幸せな夫婦"としてテレビに出演するーー。
この映画は"女の怖さ"の象徴のような作品として受け止められているが、著者のギリアン・フリンは、フェミニズムのおかげで女を"邪悪でワガママ"な生き物として描くことができるようになったとコメントしている。こうした女の捉え方はキリスト教の否定にもなる。本作が大ヒットといえる興行収入をあげつつも、ゴールデングローブ賞やアカデミー賞など大手の賞を全て逃したことは、女の描き方と無関係ではない。ピンとこない日本人が多いかもしれないが、フェミニズムという考え方は欧米の宗教あるいは伝統と対立する部分があるのだ。
ふつうに成長した男であれば、女という生き物の bitchy (陰険/意地の悪い)な部分を感じたことがあるし、この映画/原作はそうした女の側面を思い切り露骨に描いたまでだ。もしこれを男が書いていたら"蔑視だ"と袋叩きに遭っていたことだろう。エイミーが有罪であることを最後まで疑っていたのは女のボニー刑事だったということも、性の差を表している。
男が女を描く、あるいは女が男を描くことは、実は難しいことである。特に多くの小説は男によって書かれてきたので、"女の描き方が下手"という批判は男の作家にとって強力なパンチとなる。本作は女の著者によって狼狽える夫が描かれたが、それならベン・アフレックが打って付けの配役である。女から見た、だらしない男の代表格だ。
また、この映画はミズーリ州やオザーク高原など、いわゆる"保守的"な土地が舞台である。伝統からの強制がつよい土地だからこそ、エイミーという女の強かさ、あるいは腹黒さがよく目立つ。ロザムンド・パイクは素晴らしい演技をしたと思うし、これは主演女優賞に値した。なお、著者のギリアン・フリンはミズーリ州のカンザス・シティ出身である。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?