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残りの人生を考えて / 「スタンド・バイ・ミー」

Teddy: This is my age! I'm in the prime of my youth, and I'll only be young once!
Chris: Yeah, but you're gonna be stupid for the rest of your life.
テディ:これが若さだろ! 青春の真っ只中だし、若さは今だけだぜ!
クリス:ああ、でもお前は残りの人生ずっとバカだろうけどな

どんなものにも推奨年齢がある。1986年の映画「スタンド・バイ・ミー」は、中学生の頃に観るとちょうどいい作品の一つだ。もちろん大人になってから観ても良い作品だと感じるし、若い頃とは感想がきっと変わる筈だが、30歳を越えても本作を"お気に入り"に挙げている人はちゃんと成長しなかったのかなと心配になる。
この映画は、1982年にスティーヴン・キングが発表した短篇 The Body が原作である。短篇ゆえにテーマが絞られており、本作では大人になるということが描かれている。いわゆる coming-of-age story だ。
だから登場人物もほぼ少年4人のみである。インテリ肌のゴーディ、ガキ大将だがスマートなクリス(リヴァー・フェニックス)、精神が不安定なテディ、そしてデブで気弱なヴァーンという、社会の縮図のような少年たちが、森の奥に横たわっているという死体(the body)を探しに線路を歩くという、ただそれだけの話である。少年が鑑賞してもちゃんと理解できる物語だ。
獰猛な犬や拳銃、年上のチンピラなど、少年たちにとっての暴力があちこちに登場し、線路の上を歩きながら各自は自分自身の姿と向き合っていく。この映画は少年4人に焦点を絞っているのだから、大人が登場しない。つまり、少年たちの親がどれだけ子どもたちに影響を与えているかということが、大人の不在によって際立つようになっている。誰もが親に愛されていると感じておらず、そのことによって子どもたちの心が傷ついている様が描かれるので、大人の観客もまた自身の生き方を見直すように仕向けられている。
物語の核となる部分は、自己管理だろう。発作のように激するテディや、何にでも怯えているヴァーンのような生き方を描く一方で、作者は冒頭に掲げた会話のように、若い頃から自分を律することが大人になることだというメッセージを込めている。クリスはゴーディに小説を書くよう強く勧め、ゴーディはクリスに進学するよう励ましたように、自らを上昇させる生き方とは、若さゆえの行動と対立しがちであることが指摘されている。つまり、若い勢いだけで年月を過ごしてしまうと、年上のチンピラたちのようになるしか道がない、という残酷な事実だ。これは世界中のどこでも通じる話だろう。
引っ込み思案のゴーディは、死体の発見という手柄を横取りしようとするチンピラ(キーファー・サザーランド)に向かって、大人のように脅し文句を言った。

Suck my fat one, you cheap dime store hood.
(俺のデカいポコチンをしゃぶれよ、チンケな100均のゴロツキが)

Gordie

字幕も吹き替えもこういうセリフをほとんど誤魔化してしまうので、ああゴーディは大人になったな、と分かりにくくなっている。
さて、本作がここまで有名になり"青春映画の金字塔"などと呼ばれている理由は、ベン・E・キングの歌う主題歌 Stand By Me のおかげだろう。よく誤解している人がいるが、この歌は映画「スタンド・バイ・ミー」のために作曲されたものではなく、1961年に発表されて大ヒットしたものだ。もともとこの映画はキングの小説と同じく The Body という題名で制作が進んでいた。しかし、撮影中にリヴァー・フェニックスがギターの練習をしながらこの歌を歌っていたところ、ロブ・ライナー監督が「俺もその曲好きなんだ」と応じ、それからタイトルが変更になったとキーファー・サザーランドが後年明かしている。映画の大ヒットはリヴァー・フェニックスのおかげ、とも言えるだろう。リヴァーは本作の7年後に薬物の過剰摂取によって死んだ。
友情ということばかり強調される映画だが、若いうちから目標に向かって努力したり自分を律したりすることの大切さを訴えている。さらに、それを手助けしてくれるような友人がいれば最高だね、ということだ。そして大人は子どもに愛情を与えなさい、ということが強調されている。なぜなら、劇中に登場したチンピラたちも、やがて人の親になるのだ。虐待だのなんだの、そんな問題が後をたたない世の中だが、せめて子どもに愛情は与えてやれというスティーヴン・キングからのメッセージである。

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