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ある登山家の貴重な記録 / 「セブン・イヤーズ・イン・チベット」

ペイパーバックをご存知だろうか。本の表紙に厚紙などを使わず、安価な紙を束ねただけの書籍のことだ。欧米の映画で登場人物が読んでいる分厚い本はだいたいペイパーバックである。軽くて安く、本が傷付くことを心配する必要もないのでカバンに放り込みやすい。
僕は大学生の頃、英語の勉強も兼ねてペイパーバックをカバンに入れていた。シドニー・シェルダンやジョン・グリシャムなど、海外の流行作家の本を思ったよりも安く買えるので重宝したものだ。当時住んでいた駅の近くの書店でペイパーバックが売られていて、読み終えるといつもそこに買いに出かけた。その頃の思い出に残る本が「セブン・イヤーズ・イン・チベット」である。
本作はハインリヒ・ハラーというオーストリア人の登山家が実際にチベットで過ごした7年間(1944年から1951年まで)を綴った貴重なノンフィクションである。これが1997年にブラッド・ピット主演で映画化され、僕が当時読んだのはこの映画のノベライズだったと思う。
清が崩壊してからのチベットは、1951年に中国が飲みこんでしまうまで事実上の独立国だった。ハラーたちはナンガ・パルバットというヒマラヤ山脈の高峰の初登頂を目指してインド帝国に行ったものの、そこで戦争が始まり捕虜となってしまう。ハラーたちは捕虜収容所を脱走し、なんと日本軍のビルマ戦線に合流することを目指して高峰を越えてチベットに入る。さすが登山家である。ビルマ戦線を目指した理由が日独伊三国同盟であることは言うまでもない。
ラサに到達したハラーはチベット政府の"お雇い外国人"となり、ダライ・ラマ14世と親しくなる。ダライ・ラマは1935年7月6日生まれ、ハラーは1912年7月6日生まれであり、ともに誕生日を祝い、ハラーは英語やヨーロッパの知識をたくさんチベットの人たちに教え、外国のニュースを翻訳していた。ダライ・ラマとの友情は、ハラーが死ぬまで続いたという。
1951年に中国が侵略してくるとハラーは出国し、オーストリアに帰還するとすぐにこの経験を Sieben Jahre in Tibet. Mein Leben am Hofe des Dalai Lama (チベットでの7年、ダライ・ラマの宮殿における私の生活)という書籍に著した。チベットが独立していた最後の7年間を詳細に描いたこの著作は世界中の言語に翻訳された。ちなみに、ハラーは親衛隊員でありナチスの党員だったので、そのことを理由にユダヤ人の団体から抗議を受けた。
僕は「セブン・イヤーズ・イン・チベット」を何度か読んだように記憶している。ヨーロッパやアメリカとはまた異なる遠い外国の話であり、しかも"ほぼ事実"だからだ。ハラーによって書かれた本なので、一応"ほぼ"と書く方が妥当だろう。デタラメならばダライ・ラマ14世と生涯の友情を結ぶわけがない。なお、1982年にハラーはチベットを再び訪れ、その光景に愕然としたという。
これは大変価値のある本だと思うのだが、なぜかこの列島では全く知名度がないばかりか、手に入りやすい文庫も絶版ではなかろうか。
映画は「薔薇の名前」や「愛人/ラマン」のジャン=ジャック・アノー監督である。主演のブラッド・ピットの顔がペイパーバックの表紙に印刷されていたので、僕にとってのブラッドは「セブン・イヤーズ・イン・チベット」でのブラッドである。
こういう映画は、優れた原作を知る機会になるのでタメになる。

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