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人を愛することと責任と

人を好きになることって本当に幸せで、すごく素晴らしいことだと思う。けれどそれと引き換えに、私たちは覚悟しておかなくてはならないことや責任を持っておかなくてはならないことがあると、最近強く思う。


始まりがあれば終わりはあって、うれしいときに悲しい気持ちになるのは、その幸せには終わりがあると感じているからなのかもしれない。
そうだとしても、終わりがあることを分かっていながらも、だけどそれでも良いと思ったから始めたんでしょう?

僕がフォローさせていただいているmisakiさんが、先日投稿されていたnoteにあった一節。

僕はmisakiさんの投稿が好きで、過去にも投稿を共有させていただいたことがあるが、今回の内容もかなり痺れた。自分のここ最近の恋愛のことも絡んで、思ったことや感じたことが山ほどあった。今回は先述の部分について感じたことを、そのまま綴りたいと思う。


先日、知人達とこんな話になった。

「ダメダメ男と別れてもまだ好きでいる」

ある一人の女性がこの話を持ち出した。


どう考えてもお付き合いをしているときにされた言動に、そして合わない価値観に、自分自身腹が立っているのはわかっている。でも、どうしてもやはり彼のことが好きであるのだと。彼女はそうした旨のエピソードや今の思いをみんなと共有し、議論した。

彼女は次に進む必要があることも十二分にわかっている、だが、彼以上にいい人に出会えるのだろうかとも嘆いていた。


この類の話は、長い人類の歴史でも数え切れないほど繰り返されてきた恋愛パターンであるだろうし、読んでいる方の中にも過去の恋愛を通して、一度や二度はそうした経験をされたこともあるんじゃないでしょうか。きっと”永久不滅な恋愛課題”の一つだろう。


でも、人を好きになるということは、この課題を受け入れる必要があって、その覚悟と責任が問われると最近強く感じている。本当に難しい。だけれども、難しいけれど、それでも付き合うよりも前、そもそも好きになる時点でマイナス方向の結果や感情も含めて受け入れておく必要があるのだと。だから、人を好きになるって案外簡単なことじゃない気がするなとも最近思うわけである。


好意を抱く瞬間はどうしても気持ちが舞い上がりやすい。相手のいい面しか見れないことも多々あるし、別れる先のことなんて想像できない、いや、想像したくもない。そりゃそんなこと考えるの嫌よ。最初からマイナスのことを考えることができてたら、そもそも悩んでないよなぁ。


でも、人を好きになるということは同時に、胸が張り裂けるような辛い思いを背負う可能性があることも一緒に受け入れる必要があるんだと、ここ最近改めて理解できてきた。こうやって見ると、すごく当たり前な気はするけど、果たしてその覚悟を最初からできるのかっていう問題。

それは別れる云々だけでなくて、相手の性格が自分と合わなかったであるとか、思っていた人と全然違ったということも含めて。どこかでそんなことはわかっているけど、自分の感情のなかに存在させたくなくて、見てみぬふりをしている気がする。

この点において、冒頭のmisakiさんの一節が自分の中で、強くこだましてた。


始まりがあれば終わりはあって、うれしいときに悲しい気持ちになるのは、その幸せには終わりがあると感じているからなのかもしれない。
そうだとしても、終わりがあることを分かっていながらも、だけどそれでも良いと思ったから始めたんでしょう?


もちろん、ありのままの恋愛の”結果”を受け入れる人もいるけど、そんな人ばかりじゃない。それはそれでかなり難しい。相手を好きになることは同時に、別れといった酷な部分に対しても、責任を持たなくてはならないんだと思っている。



自分でも好意を抱いた相手に対しては、しっかりと責任を持ちたいと思った。


misakiさん、今回もありがとうございました!




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