ブランディングとは一貫性の付与である
スコピーのささやかな私見メモ。お役立ち記事ではない。
ブランディングとは一貫性の付与である
「よく見せる」とか「信頼を得る」とか以前のブランドの機能として。最初に触れたときも、後日再び触れたときも、ある範囲内での不変を保証するのがブランド。ブレていたらブランドではない。その一貫性をより魅力的にしようとするのは、ブランディングの目的からすれば至極当然なことだけれど、何が魅力的かというのは人や時代やどういう商売をしようとしているかによって違ってくる。
一貫は不自然なこと
生きることは変化すること。生き生きと生きていたらなおさらだ。自分も相手も環境も変化する。放っておいたらブランドにならない。だから様々な手法で、操作で、見た目で、音で、香りで、味で、触り心地で、場所で、物語で、言葉で、広告で、行動で、一貫性を与えて保とうとする。あるいは、変化に応じて一貫性の範囲を調整し続ける。
リブランディングには2つある
一貫性を失っている場合と、一貫性はあるがその魅力を失っている場合。どちらも新たな一貫性を獲得する必要があるのは同じだけれど、仕切り直しのやり方はだいぶ変わってくるはず。
個人をブランディングするしんどさ
つじつまがあわないんだなあ。にんげんだもの。企業のような集団や商品のような人工物ならまだしも、生身の人間ひとりに厳格な一貫性を付与しようというのは、まともにやるとその当人にとってかなりしんどいはずだ。別人格のように割り切って考えるか、それなりにゆるくやるかじゃないと長持ちしないだろうなと思う。長持ちしなくてよいならよい。
天然のブランド
無理のない自然な振る舞いがブランドとなるような人・ものもないわけではないけれど、それは稀有な特異性や積み重ねた歳月によって結果的にブランドになっているだけで、ブランディングと呼ぶべきなのかは疑わしい。猫のように愛されることができれば最強だが、おれたちは猫ではない。「天然ベースに、ほどよく人為を掛け合わせる」が理想的なバランスかもしれない。「ほどよく」って何だよ。
ブランディングの目的は何か
ブランディングは目的ではない。たとえば息の長いビジネスをやるための、たとえば競合よりも優位に立つための、たとえばチームのみんなが一丸となるための、ひとつの手段である。その目的を見誤れば、目的と手段を取り違えれば、セルフブランディングのしんどさに引き裂かれる個人のようになりかねない。もしも無理を感じるのならブランディングの目的と程度を見直すときかもしれない。ブランディングはとても強力な方法論であることは確かだけれど、ブランディングの要らないビジネスもいっぱいあるよね。
概ねこんなことを考えながらコピーライターとしてブランディングに携わっております。
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