新書・文庫で入門する教育社会学ブックリスト

近年、教育社会学のテーマを扱う新書が非常に充実してきている。社会学や教育学の他領域と比べてもかなり多く、新書だけである程度主要なトピックを押さえられるようになっているとおもう。新書だけ読む入門ゼミなどもできそう。

新書だけでなく同じく安価で入手できる文庫も加えて、新書・文庫を通して教育社会学に入門するためのブックリストを作ってみた。たまに「新入生におすすめの入門書は?」「大学受験生に勧めるなら?」といった質問をされるので、自分が人に勧めるときのために一度整理しておきたかった。

また、教育についてよく言われることとして、「教育は誰でも経験しているので専門的な知識がなくても語れてしまう」というのがある。世に出ている書籍についても同様で、非専門家による教育論が溢れている。初学者には誰が信頼できる書き手なのかがわかりにくい。そうした状況であるから、ちゃんとした研究者による著作のみをまとめたリストにはそれなりの意義があるとおもう。もちろん非専門家やルポライターによるすぐれた著作も数多くあるけれど、ここでは研究者による著作に限定している。

新たに刊行されたり見つけたりおもい出したりするたびに追加していくつもり。狭義の教育社会学が専門ではない研究者の著作であっても、教育社会学的なテーマに関係するものであれば入れてある。絶版や品切れの(疑いがある)本についてはできるだけ避けたけれど、重要度やジャンル間のバランス次第では加えてある。また、加筆修正しているうちに冊数が増えてきたので、重要度や読みやすさを踏まえて初学者におすすめの本に★印をつけている。

第二弾として選書で広げる教育社会学ブックリストもつくってみたのでよかったらどうぞ。



1. 日本社会と教育

〈教育と社会〉

★苅谷剛彦(1995)『大衆教育社会のゆくえ』中公新書

高い学歴を求める風潮と、それを可能にした豊かさに支えられ、戦後日本の教育は飛躍的な拡大をとげた。一方で、受験競争や学歴信仰への批判も根強くあるが、成績による序列化を忌避し、それこそが教育をゆがめる元凶だとして嫌う心情は、他国においてはユニークであるとみなされている。本書は、このような日本の教育の捉え方が生まれた経緯を探り、欧米との比較もまじえ、教育が社会の形成にどのような影響を与えたかを分析する。

本田由紀(2014)『もじれる社会』ちくま新書

高度経済成長、バブルは遠い彼方。問題が山積みの日本社会には、悶々とした気分が立ちこめ、「もつれ」+「こじれ」=「もじれ」の状況にある。この行き詰った状況を変えるには、一体どうしたらよいのか? その問いに答えるため、本書は、旧来の循環モデルが破綻したことを明らかにし、新たなモデルを描き出す。「教育」「仕事」「家族」それぞれが抱える問題について考え、解決策を探る。タクシー運転手や高校生たちに共感し、希望を語る。よりよい社会を手に入れるため、あきらめずに思考し、言葉を紡ぐ一冊。

★小熊英二(2019)『日本社会のしくみ』講談社現代新書

いま、日本社会は停滞の渦中にある。その原因のひとつが「労働環境の硬直化・悪化」だ。長時間労働のわりに生産性が低く、人材の流動性も低く、正社員と非正規労働者のあいだの賃金格差は拡大している。 こうした背景を受け「働き方改革」が唱えられ始めるも、日本社会が歴史的に作り上げてきた「慣習(しくみ)」が私たちを呪縛する。 新卒一括採用、定期人事異動、定年制などの特徴を持つ「社会のしくみ」=「日本型雇用」は、なぜ誕生し、いかなる経緯で他の先進国とは異なる独自のシステムとして社会に根付いたのか? 本書では、日本の雇用、教育、社会保障、政治、アイデンティティ、ライフスタイルまで規定している「社会のしくみ」を、データと歴史を駆使して解明する

〈戦後日本の教育〉

★木村元(2015)『学校の戦後史』岩波新書

学校の戦後史は学校と社会の関係史だった。その課題は、民主主義社会の担い手づくりから、高度成長を支える人材育成へ、低成長期に入ると新自由主義とグローバル化への対応へシフトした。同時に進む制度と子どもの乖離は、学校を内部から揺すぶり続ける――学校を巡る様々な論点の背景を戦後70年のスパンから今問い直す。

小国喜弘(2023)『戦後教育史』中公新書

ここ30年間に不登校児童数といじめの報告件数は、小学生で5.2倍と46倍、中学生で2.5倍と6倍、特別支援教育対象児童は、15年間に小中学生ともに3倍近い。少子化にかかわらずだ。本書は深刻な混迷の中にある日本社会と教育の歴史を辿る。なぜここまで行き詰まったのか――。貧困、学校紛争、日教組、財界主導、校内暴力、政治介入、いじめ、学級崩壊、発達障害の激増など、各時代の問題を描きつつ、現在と未来の教育を考える手掛かりとする。

貝塚茂樹(2024)『戦後日本教育史』扶桑社新書

敗戦と占領によってタブー視された「教育勅語」「愛国心」から「個性重視」「ゆとり教育」「道徳教育」「教育の政治的中立」まで再考し、混迷する公教育の意義を問い直す!

〈戦前日本の教育〉

広田照幸(2021; 単行本1997)『陸軍将校の教育社会史(上・下)』ちくま学芸文庫

天皇制イデオロギーの「内面化」が、戦時体制を積極的に担う陸軍将校を生み出したというのは真実か。本書は、膨大な史料を緻密に分析することを通じて、これまで前提とされてきた言説を鮮やかに覆していく。戦前・戦中の陸軍将校たちは、「滅私奉公」に代表されるような従来のイメージとは異なり、むしろ世俗的な出世欲をもつ存在だった。秩序への積極的な同化こそが、陸軍将校を生んだ。上巻には、「序論 課題と枠組み」から「第2部 陸士・陸幼の教育」第2章までを収録する。第19回サントリー学芸賞受賞作、待望の文庫化。

陸軍将校もまた、生身の人間だった。日本における天皇制と教育との関わりとはどのようなものであったのか。満州事変から太平洋戦争へと至る、戦時体制の積極的な担い手はいかなる存在であったのか。旧軍関係者への聞き取りを行うとともに、旧軍文書や文学評論、生徒の日記など膨大な史料を渉猟し、その社会化のプロセスをつぶさに浮かび上がらせる。下巻には、「第2部 陸士・陸幼の教育」第3章から「結論 陸軍将校と天皇制」までを収録する。教育社会史という研究領域の新生面を切り拓いた傑作。

竹内洋(1999; 文庫版2011)『学歴貴族の栄光と挫折』講談社学術文庫

白線入りの帽子にマントを身にまとう選良民=旧制高校生は、「寮雨」を降らせ、ドイツ語風のジャーゴンを使い、帝国大学を経て指導者・知識人となる。『三太郎の日記』と「教養主義」、マルクス主義との邂逅、太平洋戦争そして戦後民主主義へ……。近代日本を支えた「社会化装置」としての「旧制高等学校的なるもの」を精査する。

小野雅章(2023)『教育勅語と御真影』講談社現代新書

教育勅語・御真影から「日の丸・君が代」、元号法まで。明治維新から令和に至る、日本の近代教育と天皇制の関係性を考察する。「御真影」を救うため火中に飛びこみ「殉職」した校長――単なる「紙切れ」は、いかにして「神聖」とされるに至ったのか? 「教育勅語」と「御真影」が当初の目的を逸脱し、「絶対視」されてゆく戦前の過程を丹念にたどる。また、敗戦によりいったん無効と公的に宣言された「教育勅語」が、にもかかわらず、既成事実の積み重ねにより復権を果たしてゆく戦後の過程も客観的に叙述する。教育への国家介入の危険性に警鐘を鳴らす力作。

2. 教育と学校

〈制度としての学校教育〉

★苅谷剛彦(1998; 文庫版2005)『学校って何だろう』ちくま文庫

「どうして勉強しなければいけないの?」「なぜ毎日学校へ通わなければいけないの?」こうした疑問には、大人になった今でもなかなか答えづらい。他にも、「どうして校則でソックスの色まで決められてるの?」とか「教科書ってほんとに必要なの?」など、生徒たちの疑問は尽きない。これらに対する答えはひとつではない。これまで考えられてきた学校や勉強についての「常識」を複眼的に問いなおし、「学ぶことの意味」をふたたび掴みとるための基本図書。

★中澤渉(2018)『日本の公教育』中公新書

教育無償化、学力低下、待機児童など、近年の教育の論点は多岐にわたる。だが、公費で一部もしくは全体が運営される学校教育=公教育とはそもそも何のためにあるのか。実際に先進国の中で公教育費が少ない日本には、多くの課題が山積している。本書は、学校とそれを取り巻く環境を歴史的背景や統計などのエビデンスを通して、論じる。そこからは、公教育の経済的意義や社会的役割が見えてくるだろう。

中澤渉(2021)『学校の役割ってなんだろう』ちくまプリマー新書

忙しすぎる教員、求められることが多い学校、役に立つ教育の要望。学校はいろいろな困難に直面している。その背景には、学校組織の特徴や社会との絡み合いがあるはずだ。学校は何のためにあるのかを問いなおす一冊。

広田照幸(2022)『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』(ちくまプリマー新書)

教育はしばしば失敗するし、学校は本質的に退屈である。にもかかわらず、学校や教育は世界を広げてくれる――。教育の目的から、学校の役割、道徳教育やAI社会まで、広い視点と多様な角度からとらえなおす。

今津孝次郎(2012)『教師が育つ条件』岩波新書

社会の鏡である学校において、教師が問われるべき資質能力とは何か。いじめ問題や教師の問題行動発覚などに不安が巻き起こる今、求められるものとは何か。学校現場を育てるのは小手先の政策ではなく、教師集団であり子どもであり保護者であることを多くの声から紡ぎ出す。教育の本源をみつめる一冊。

濱中淳子(2006)『「超」進学校 開成・灘の卒業生』ちくま新書

「受験の勝者が実力ある者とは限らない」「頭でっかちは打たれ弱い」あるいは「一三歳からすでに選別ははじまっている」「難関大学、優良大企業へのパスポート」…難関中高の卒業生について、よくも悪くも両極端な物言い、さまざまな印象がある。イメージだけで語られがちだったそれらを、アンケートをもとに、具体的な数字や事例で統計分析。超進学校の出身者は、どんな職業に就き、どれくらいの年収を得ているか。中学高校での経験は、卒業後にどれほど活かされているか。中高時代はどのように生活し、何に悩んだかなど、彼らの実像に迫り、そこから日本社会と教育の実相を逆照射する!

藤原辰史(2018)『給食の歴史』岩波新書

小中学校で毎日のように口にしてきた給食.楽しかったという人も,苦痛の時間だったという人もいるはず.子どもの味覚に対する権力行使の側面と,未来へ命をつなぎ新しい教育を模索する側面.給食は,明暗二面が交錯する「舞台」である.貧困,災害,運動,教育,世界という五つの視角から知られざる歴史に迫り,今後の可能性を探る.

〈学校問題〉

★内田良(2015)『教育という病』光文社新書

私たちが「善きもの」と信じている「教育」は本当に安心・安全なのだろうか?学校教育の問題は、「善さ」を追い求めることによって、その裏側に潜むリスクが忘れられてしまうこと、そのリスクを乗り越えたことを必要以上に「すばらしい」ことと捉えてしまうことによって起きている!巨大化する組体操、家族幻想を抱いたままの2分の1成人式、教員の過重な負担…今まで見て見ぬふりをされてきた「教育リスク」をエビデンスを用いて指摘し、子どもや先生が脅かされた教育の実態を明らかにする。

内田良(2021)『学校ハラスメント』朝日新書

いじめ、体罰、セクハラ……なぜ学校では問題が「隠れる化」するのか。そして教育の現場で起きる問題は教師だけが悪いのか。気鋭の教育社会学者が、学校を取り巻くさまざまな「ハラスメント」の実態を明らかにするとともに、その解決策を探る。

★森田洋司(2010)『いじめとは何か』中公新書

一九八〇年代にいじめが「発見」されて以来、三度にわたる「いじめの波」が日本社会を襲った。なぜ自殺者が出るような悲劇が、繰り返されるのか。いじめをその定義から考察し、国際比較を行うことで、日本の特徴をあぶり出す。たしかに、いじめを根絶することはできない。だが、歯止めのかかる社会を築くことはできるはずだ。「いじめを止められる社会」に変わるため、日本の社会が、教育が、進むべき道を示す。

内藤朝雄(2009)『いじめの構造』講談社現代新書

逃げることができない出口なしの世界は、恐怖である。そこでは、誰かが誰かの運命を容易に左右し、暗転させることができる。立場の弱い者は、「何をされるか」と過剰に警戒し、硬直し、つねに相手の顔色をうかがっていなければならない。そして、自分が悪意のターゲットにされたときの絶望。
いじめは、学校の生徒たちだけの問題ではない。昔から今まで、ありとあらゆる社会で、人類は、このはらわたがねじれるような現象に苦しんできた。本書では、人間が人間にとっての怪物になる心理−社会的メカニズムである、普遍的な現象としてのいじめに取り組む。本書は、学校のいじめについて、分析を行い、「なぜいじめが起こるのか」について、いじめの構造とシステムを見出そうとする試みの書である。(「はじめに」より抜粋)

土井隆義(2008)『友だち地獄』ちくま新書

誰からも傷つけられたくないし、傷つけたくもない。そういう繊細な「優しさ」が、いまの若い世代の生きづらさを生んでいる。周囲から浮いてしまわないよう神経を張りつめ、その場の空気を読む。誰にも振り向いてもらえないかもしれないとおびえながら、ケータイ・メールでお互いのつながりを確かめ合う。いじめやひきこもり、リストカットといった現象を取り上げ、その背景には何があるのか、気鋭の社会学者が鋭く迫る。

〈高等教育〉

吉見俊哉(2011)『大学とは何か』岩波新書

いま、大学はかつてない困難な時代にある。その危機は何に起因しているのか。これから大学はどの方向へ踏み出すべきなのか。大学を知のメディアとして捉え、中世ヨーロッパにおける誕生から、近代国家による再生、明治日本への移植と戦後の再編という歴史のなかで位置づけなおす。大学の理念の再定義を試みる画期的論考。

★天野郁夫(2009)『大学の誕生〈上〉帝国大学の時代』中公新書

日本の大学はどのような経過をたどって生まれたのだろうか。本書は、その黎明期のダイナミックな展開を二巻にわたって、つぶさに描くものである。上巻では、明治一〇年の「東京大学」の設立と一九年の帝国大学誕生の成立から説き起こす。その後、帝国大学が自己変革していくさまと、帝国大学に対するかのように生まれる官立・私立の専門学校の隆盛へと物語は進んでゆく。人と組織が織りなす、手に汗握るドラマ。

★天野郁夫(2009)『大学の誕生〈下〉大学への挑戦』中公新書

日本の大学はどのような経過をたどって生まれたのだろうか。そのダイナミックな展開をつぶさに描く本書の下巻は、東京と京都の帝国大学との距離を縮めようとして、官立・私立ともに専門学校などの高等教育機関が充実してゆくありさまを見る。帝国大学はその数を増し、一方で、専門学校はそのなかに序列を生じていった。そしてついに、大正七年の大学令の成立により、現在につながる大学が誕生するのである。

天野郁夫(2017)『帝国大学』中公新書

「旧帝大」として、いまも影響力のある七大学。近代化の中で、西欧の技術を学ぶため、明治一九年に帝国大学は東京で生まれ、その設立は昭和一四年の名古屋まで続く。それぞれの地域に、厳しい予算の中で設立され、時代と呼応しながら学部や定員が拡充される様子を、豊富なデータにもとづきドラマチックに描く。あわせて、高等学校とのつながり、帝大生の学生生活や就職先、大学教授の実態から、帝国大学の全貌に迫る。 

潮木守一(1986)『キャンパスの生態誌』中公新書

はるか昔から現在に至るまで、大学というものは放っておけばいくらでも転落の道を辿る危険性をもっていた。どういう時に大学は愚者の楽園と化すのか、愚者の楽園を克服するためにどんな努力が払われ、ある試みが成功し、ある試みが失敗に終ったのはなぜなのか。さまざまな大学のキャンパスを訪れ、時空を超えて繰返し起る悲劇の主人公たちと対話を重ねながら、現代の大学のあり方を問う。

佐藤郁哉(2019)『大学改革の迷走』ちくま新書

「大学は危機に瀕している」。何十年も前からそう叫ばれつづけてきたが、いまでも、様々な立場から大学を変えるための施策がなされたり、意見が交わされたりしている。では、大学の何が本当に問題なのか? 80年以降の改革案から遡り、それらの理不尽、不可解な政策がなぜまかりとおったのか、そして大学側はなぜそれを受け入れたのかを詳細に分析する。改革が進まないのは、文部科学省、大学関係者だけのせいではない。大学改革を阻む真の「悪者」の姿に迫る。

〈教育政策〉

★青木栄一(2021)『文部科学省』中公新書

文部科学省は2001年に文部省と科学技術庁が統合されて発足した。教育、学術、科学技術を中心に幅広い分野を担当する。本書は、霞ヶ関最小の人員、「三流官庁」と揶揄される理由、キャリア官僚の昇進ルートなど、その素顔を実証的に描く。さらに、ゆとり教育の断念、過労死ラインを超えて働く教員たち、大学入試改革の失敗、学術研究の弱体化など頻発する問題の構造に迫る。財務省との予算折衝に苦しみ、官邸や経産省に振り回される文科省に今何が起きているのか。

★松岡亮二編(2021)『教育論の新常識』中公新書ラクレ

入試改革はどうなっているのか? 今後の鍵を握るデジタル化の功罪は? いま注目の20のキーワード(GIGAスクール、子どもの貧困、ジェンダー、九月入学等)をわかりやすく解説。編著者の松岡氏は、研究が「教育の実態を俯瞰的に捉えた数少ない正攻法」(出口治明氏)と評される、「2021年日本を動かす21人」(『文藝春秋』)のひとり。ベストセラー『「学力」の経済学』の中室牧子氏、文部科学省の官僚ら総勢22名の英知を集結。

苅谷剛彦(2002)『教育改革の幻想』ちくま新書

二〇〇二年度の新学習指導要領がめざす教育改革のねらいは「ゆとり」と「生きる力」の教育であり、それを実現するものが「総合的な学習の時間」である。これらをつなぐ論理は「子ども中心主義」だが、本当に子どもたちのためになるものなのか? また、詰め込み教育は罪悪か? 教育と日本社会のゆくえを見据えて提言する。

小針誠(2018)『アクティブラーニング』講談社現代新書

2020年教育改革の目玉であるアクティブラーニング=主体的・対話的で深い学び。学校教育が変わる、子どもたちの学びが変わると期待や希望ばかりが語られるが、問題はないのか。教師が知識を一方的に教える教育から、子どもたちが進んで学ぶ教育へ――。明治以来の教育関係者の悲願は、大正時代の新教育、近年のゆとり教育をはじめ、どのように取り組まれ、どのように挫折してきたのか。教室でほんとうにアクティブラーニングを実践できるのか。大学入試は適切に運用されるのか。そもそもよいことなのか。〈学び〉の近現代史を辿りながら、現在の教育改革の問題に迫る。

寺沢拓敬(2019)『小学校英語のジレンマ』岩波新書

二〇二〇年四月から小学校で教科としての英語が始まる。「日本人の英語力向上の切り札」との期待と、「国語に悪い影響」「英語嫌いが増える」などの根強い反対を経て生まれた「小学校英語」のゆくえは?効果は?導入までの経緯を検証しつつ、教員の負担やグローバル化への対応など未解決の論点を網羅する画期的な一冊。

3. 教育と社会的配分

 〈教育とメリトクラシー〉

★天野郁夫(1982; 文庫版2006)『教育と選抜の社会史』ちくま学芸文庫

「学歴社会」として名高い日本の教育は、近代日本の産業化の過程でどのような政策のもとに築き上げられてきたのだろうか。新しい産業の担い手を創出するべく、階級制度を超えて発展を遂げた日本の学校教育は、教育費さえあれば誰にも門戸が開かれていた。しかし、それゆえに激しい競争と「学歴」にいたる学校格差を生み出したのである。ドーアの後発理論、コリンズの葛藤理論など社会学的分析概念を駆使し、日本の産業化と教育が産み出すダイナミズムを鮮やかに分析・検証。日本の教育が孕む問題点を明らかにする好著、待望の文庫化。

★中村高康(2018)『暴走する能力主義』ちくま新書

学習指導要領が改訂された。そこでは新しい時代に身につけるべき「能力」が想定され、教育内容が大きく変えられている。この背景には、教育の大衆化という事態がある。大学教育が普及することで、逆に学歴や学力といった従来型の能力指標の正当性が失われはじめたからだ。その結果、これまで抑制されていた「能力」への疑問が噴出し、〈能力不安〉が煽られるようになった。だが、矢継ぎ早な教育改革が目標とする抽象的な「能力」にどのような意味があるのか。本書では、気鋭の教育社会学者が、「能力」のあり方が揺らぐ現代社会を分析し、私たちが生きる社会とは何なのか、その構造をくっきりと描く。

★本田由紀(2020)『教育は何を評価してきたのか』

なぜ日本はこんなにも息苦しいのか。その原因は教育をめぐる磁場にあった。教育が私たちに求めてきたのは、学歴なのか、「生きる力」なのか、それとも「人間力」なのか――能力・資質・態度という言葉に注目し、戦前から現在までの日本の教育言説を分析することで、格差と不安に満ちた社会構造から脱却する道筋を示す。

〈教育と選抜〉

★竹内洋(1991; 文庫版2015) 『立志・苦学・出世』講談社学術文庫

明治初期「勉強立身」の言説が高まり、学校の序列化も進むと、青少年の上昇移動への野心は新たな「受験的生活世界」を生み出す。怠惰・快楽を悪徳とし、受験雑誌に煽られて刻苦勉励する受験生の禁欲的生活世界を支えた物語とは何なのか。受験のモダンと、昭和四〇年代以降の受験のポストモダンを解読。

斉藤利彦(1995;文庫版 2011)『試験と競争の学校史』講談社学術文庫

私たちの国の学校は、なぜこれほど過剰に「試験」にとらわれてきたのか。著者は、画一的な「試験の実施」こそが、近代の日本に「学校」を普及させる動因だったという。夜を徹して行われる進級試験、衆人環視・戦慄畏縮の口頭試問、時に三割を超えた落第の恐怖。国民皆学実現の裏で、今に至る教育論争にも長い影を落とす「淘汰と競争」の起源を探る。

清水唯一朗(2013)『近代日本の官僚』中公新書

明治維新後、新政府の急務は近代国家を支える官僚の確保・育成だった。当初は旧幕臣、藩閥出身者が集められたが、高等教育の確立後、全国の有能な人材が集まり、官僚は「立身出世」の一つの到達点となる。本書は、官僚の誕生から学歴エリートたちが次官に上り詰める時代まで、官僚の人材・役割・実態を明らかにする。激動の近代日本のなか、官僚たちの活躍・苦悩と制度の変遷を追うことによって、日本の統治内部を描き出す。

望月由起(2022)『小学校受験』(光文社新書)

急速に進む少子化にもかかわらず、日本の受験戦争は過熱している。また苛烈を極める中学受験を避けるため、主に都心部で小学校受験を検討する親も増えている。一方、極端な早期選別は格差の拡大や階層の固定化を促進するという見方もある。小学校受験について多面的な研究を続ける教育学者が、私立・国立小学校受験の現状を、当事者の声も交え具体的かつリアルに報告。多様化する受験の実際や問題点、評価すべき点などを伝える。

〈教育と格差〉

★松岡亮二(2019)『教育格差』ちくま新書

出身家庭と地域という本人にはどうしようもない初期条件によって子供の最終学歴は異なり、それは収入・職業・健康など様々な格差の基盤となる。
つまり日本は、「生まれ」で人生の選択肢・可能性が大きく制限される「緩やかな身分社会」なのだ。本書は、戦後から現在までの動向、就学前~高校までの各教育段階、国際比較と、教育格差の実態を圧倒的なデータ量で検証。その上で、すべての人が自分の可能性を活かせる社会をつくるために、採るべき現実的な対策を提案する。

★苅谷剛彦(2009)『教育と平等』中公新書

戦後教育において「平等」はどのように考えられてきたのだろうか。本書が注目するのは、義務教育費の配分と日本的な平等主義のプロセスである。そのきわめて特異な背景には、戦前からの地方財政の逼迫と戦後の人口動態、アメリカから流入した「新教育」思想とが複雑に絡まり合っていた。セーフティネットとしての役割を維持してきたこの「戦後レジーム」がなぜ崩壊しつつあるのか、その原点を探る。

スティーヴン・エジェル(原著1993;翻訳文庫版2023)『階級とは何か』

産業資本主義社会においては〈階級〉というものが非常に大きな影響力をもつ──。本書は他に類書のない、階級理論の入門書である。ここでは、〈階級理論の2人の創始者〉マルクスとウェーバーにおける階級概念の比較から出発し、その後の多様な研究の展開を追う。さらに、階級分析の方法論と、現代社会における支配階級/中間階級/従属階級の構造を概観し、社会移動、ジェンダー、政治といった要素に目を向けつつ、階級社会の未来と無階級社会の可能性について論じていく。社会的不平等や経済的貧困など、格差社会の問題を根本から考えるすべてのひとに勧めたい一冊。

吉川徹(2009)『学歴分断社会』ちくま新書

日本の大卒層と非大卒層―。全人口におけるその割合は、ほぼ同数となってきた。しかもそれは今後も続く。これが本書の言う、学歴分断社会である。そして大卒/非大卒という分断線こそが、さまざまな格差を生む。学歴分断社会は、どのようにして生じたのか。そこに解決すべき問題はないのか。最新かつ最大規模の社会調査データを活用し、気鋭の社会学者がこれまでタブー視されてきたこの領域に鋭く切り込む。

吉川徹(2018)『日本の分断』光文社新書

『学歴分断社会』『現代日本の「社会の心」』などの著書で注目の計量社会学者が、最新の社会調査データを手がかりに描き出す、近未来の日本の姿とは。本書では、団塊退出後の日本社会の主力メンバーを2世代に分け
(「宮台世代:1955~74生年」と「古市世代:1975~94生年」)、さらに「男女のジェンダー」「学歴」の区分を加えることで現役世代を8分割し、各層の置かれた状況や意識の分断の実態を鋭く読み解いていく。なかでも現代日本の特徴である大卒層と非大卒層の分断の深刻さに注目。同世代の5割を占め、日本社会の底堅さを支える非大卒若者(レッグス)を社会の宝と捉え、配慮と共生を図ることの重要性を訴える。

山田昌弘(2004; 文庫版2007)『希望格差社会』ちくま文庫

フリーター、ニート、使い捨ての労働者たち―。職業・家庭・教育のすべてが不安定化しているリスク社会日本で、勝ち組と負け組の格差は救いようなく拡大し、「努力したところで報われない」と感じた人々から希望が消滅していく。将来に希望が持てる人と将来に絶望している人が分裂する「希望格差社会」を克明に描き出し、「格差社会」論の火付け役となった話題書、待望の文庫化。

志水宏吉(2022)『ペアレントクラシー』朝日新書

現在の日本は「ペアレントクラシー」(親の影響力が強い社会)という言葉で表現できるほど、生まれた家庭によって、その後の人生に大きな格差が生じる社会となっている。親の経済力と子どもの学力の相関関係は年々高まり教育の場が階層固定の「装置」となりつつあるのだ。教育社会学の泰斗である著者が、生徒、保護者、学校、教育行政の現状と課題を照射し学校現場の実相を描き、教育公正の実現に求められる策を提言する。

松岡亮二・高橋史子・中村高康(2023)『東大生、教育格差を学ぶ』(光文社新書)

本人が変えることのできない「生まれ」(性別・地域・世帯収入など)によって最終学歴などの教育結果に差が出ることを「教育格差」と呼ぶ。日本の学校制度で教育格差がどのように生じうるのか、地元やクラス、部活で周囲と距離を感じてしまう理由はどこにあるのか。出身家庭の世帯収入が平均的に高いというデータがあるなど、日本の教育格差をある種象徴する東大生が、自らの教育体験を語り、学び、葛藤する。

〈学力問題〉

苅谷剛彦(2008; 文庫版2012)『学力と階層』朝日新聞出版

「学習資本」の階層差がますます拡大する日本の教育。これまで見落とされてきた「出身階層」という社会的条件の違いが子どもたちにもたらす決定的な差について豊富なデータをもとに検証する。子どもたちの「教育格差」の背景には家庭環境が反映していることを実証的に明かし、1990年代以降、迷走を続けた日本の教育政策の弊害を指摘する。深部で進む「教育の地殻変動」に学力問題の第一人者が説く処方箋。解説・内田樹。

志水宏吉(2020)『学力格差を克服する』

学力格差を克服するのに必要なのは、すべての子どもの基礎学力を下支えする「学力保障」である。学力低下論争への考察を皮切りに、学力について考えを深め、学力格差の実態を考察。「学力保障」をカギとして、「効果のある学校」「力のある教育委員会」の実例を紹介し、学力格差克服の方法を探っていく。よりよい未来をつくるために、これからの学校、公教育の進むべき道を示唆する、学力格差研究の集大成。

4.教育と交差する社会領域

〈教育と労働〉

★本田由紀(2009)『教育の職業的意義』ちくま新書

1990年代に、若者の仕事は大きく変貌した。非正規社員の増加、不安定な雇用、劣悪な賃金…。なぜ若年労働者ばかりが、過酷な就労環境に甘んじなければならないのか。それは、戦後日本において「教育の職業的意義」が軽視され、学校で職業能力を形成する機会が失われてきたことと密接な関係がある。本書では、教育学、社会学、運動論のさまざまな議論を整理しながら、“適応”と“抵抗”の両面を備えた「教育の職業的意義」をさぐっていく。「柔軟な専門性」という原理によって、遮断された教育と社会とにもういちど架橋し、教育という一隅から日本社会の再編に取り組む。

濱口桂一郎(2013)『若者と労働』中公新書ラクレ

新卒一括採用方式、人間力だのみの就活、ブラック企業、限定正社員、非正規雇用……様々な議論の中でもみくちゃになる若者の労働問題。日本型雇用システムの特殊性とは? そして、現在発生している軋みの根本原因はどこにあるのか? 日本型雇用の状況だけでなく、欧米の成功例・失敗例を織り交ぜて検証する。労働政策に造詣の深い論客が雇用の「入口」に焦点を当てた決定版。感情論を捨て、ここから議論を始めよう。

本田由紀・内藤朝雄・後藤和智(2006)『「ニート」って言うな!』光文社新書

「ニート」とは、働かず、就学もせず、求職行動もとっていない若者を指す言葉で、日本では二〇〇四年頃より使われ始め、その急増が国を揺るがす危機のように叫ばれている。様々な機関が「ニート」の「人間性」を叩き直そうと「支援」の手を差し押べており、多額の予算が動いている。このような状況下において、本書では、まず、日本での「ニート問題」の論じられ方に疑問を覚える本田由紀氏が、「ニート」という言葉自体の不適切さを量と質の両面から明らかにする。また、『いじめの社会理論』の著者である内藤朝雄氏は、「ニート」が大衆の憎悪と不安の標的とされていることを挙げ、憎悪のメカニズムと、「教育」的指導の持つ危険な欲望について解説する。さらに、ブログ上で「俗流若者論批判」を精力的に展開し注目を浴びている後藤和智氏が、「ニート」を巡る言説を詳しく検証する。

児美川孝一郎(2013)『キャリア教育のウソ』ちくまプリマー新書

この十年余りで急速に広まったキャリア教育。でも、正社員になれればOK? やりたいこと至上主義のワナとは? 振り回されずに自らの進路を描く方法、教えます。

難波功士(2014)『「就活」の社会史』祥伝社新書

日本の「就活」(就職活動)は、世界でも珍しい習慣である。
学生たちの悪戦苦闘、企業の思惑……大正時代から現代までの通史。
就活は、近代日本史の一部である。

岩田弘三(2021)『アルバイトの誕生』平凡社新書

終戦後すぐ、「学生の労働」を意味することばとなった「アルバイト」。もともとは学費を稼ぐ苦学生のためのものだったが、日本経済の発展と連動して「小遣い稼ぎ」のためのものとなり、やがて多くの学生が従事する「日常化・大衆化」の時代を迎える。今世紀に入るとブラックバイトなどの問題も顕在化、さらに新型コロナ禍は学生たちの生活をも直撃した──。戦後日本の社会・経済の変化を反映してきた学生アルバイトの歴史をいきいきと描き出す。

〈教育と家族〉

★広田照幸(1999)『日本人のしつけは衰退したか』講談社現代新書

「パーフェクト・チャイルド」──しかしながら、大正・昭和の新中間層の教育関心を、単に童心主義・厳格主義・学歴主義の三者の相互の対立・矛盾という相でのみとらえるのは、まだ不十分である。第一に、多くの場合、彼らはそれら三者をすべて達成しようとしていた。子供たちを礼儀正しく道徳的にふるまう子供にしようとしながら、同時に、読書や遊びの領域で子供独自の世界を満喫させる。さらに、予習・復習にも注意を払って望ましい進学先に子供たちを送り込もうと努力する──。すなわち、童心主義・厳格主義・学歴主義の3つの目標をすべてわが子に実現しようとして、努力と注意を惜しまず払っていた。それは、「望ましい子供」像をあれもこれもとりこんだ、いわば「完璧な子供=パーフェクト・チャイルド」(perfect child)を作ろうとするものであった。──本書より

末冨芳・櫻井啓太(2021)『子育て罰』光文社新書

「子育て罰」をなくすか、子どもを日本からなくすか――。少子高齢化が加速する日本において、出生数の回復は急務であるにもかかわらず、日本は先進諸国に比して家族関連社会支出が極端に少ない。本書では「子育て罰」を「社会のあらゆる場面で、まるで子育てすること自体に罰を与えるかのような政治、制度、社会慣行、人びとの意識」と定義。親子につめたい「子育て罰大国・日本」を「子どもにやさしい国」に変えるための方策を、子どもを守るために戦う教育学者と社会福祉学者が提言する。

野沢慎司・菊地真理(2021)『ステップファミリー』角川新書

再婚家族で起こる虐待の悲劇。それは、「正しい親」幻想が原因だった!第一線の家族社会学者による、「家族観」を一新する衝撃報告!
「親になろうとしてごめんなさい」。ある幼女虐待死事件の裁判で、継父の被告が発した言葉はすべてを象徴していた。“ステップファミリー= 再婚者の子がいる家族” では、継親の善意が子どもを追いつめやすい。「親代わり、良い親にならなければいけない」。日本の伝統といえる家族観が親も子も不幸にしている。現実を受け止めた先に見える、親子が幸福に生きる“家族の形”。
社会が子どものセーフティーネットを創り直し、多様な家族が“子ども中心”に幸せな暮らしを築くための、最良の処方箋!

本多真隆(2023)『「家庭」の誕生』ちくま新書

イエ、家族、ホーム、ファミリーなど、多くの名が生まれた理由は、その言葉を用いないと表現できない現象や思いがあったためだ。「家庭」には、リベラル、保守、それぞれの理想が託されてきたが、一方でその理想と現実には様々な乖離があった。明治から昭和、平成、現代まで、それらをめぐる錯綜した議論をときほぐしていくことで、近現代日本の新たな一面に光をあてる。

赤川学(2017)『これが答えだ! 少子化問題』ちくま新書

人口減少がこのまま続けば「日本は即終了! 」といった、絶望的な指摘をする人が少なくない。実際、四半世紀以上にわたって巨額の税金が少子化対策のために注ぎ込まれてきたが、改善の兆しはほとんど表れていない。それどころか、少子化対策に力を入れれば入れるほど効果が薄れるパラドクスが見て取れるという。なぜか?
いかなる理由で少子化は進むのか?すべての問いに最終的な解答を与える、少子化問題の決定版である!

筒井淳也(2023)『未婚と少子化』PHP新書

少子化が止まらない日本。理由の一つとして、そもそも「少子化にまつわる誤解」が、世に多く流布していると著者は指摘する。
たとえば「少子化対策=子育て支援」とだけ考え、手前の「未婚・晩婚問題」が改善されない現状は、誤解が招いた過ちの最たる例だ。
本書ではデータ・統計を用いて、これらの誤解を分析・検証。冷静な議論のために必要な知識を提供する一冊。

〈教育と福祉〉

★阿部彩(2008)『子どもの貧困』岩波新書

健康、学力、そして将来…。大人になっても続く、人生のスタートラインにおける「不利」。OECD諸国の中で第二位という日本の貧困の現実を前に、子どもの貧困の定義、測定方法、そして、さまざまな「不利」と貧困の関係を、豊富なデータをもとに検証する。貧困の世代間連鎖を断つために本当に必要な「子ども対策」とは何か。

★阿部彩(2014)『子どもの貧困Ⅱ』岩波新書

2013年、「子どもの貧困対策法」が成立した。教育、医療、保育、生活。政策課題が多々ある中で、プライオリティは何か? 現金給付、現物給付、それぞれの利点と欠点は? 国内外の貧困研究のこれまでの知見と洞察を総動員して、政策の優先順位と子どもの貧困指標の考え方を整理する。社会政策論入門としても最適な一冊。

三谷はるよ(2023)『ACEサバイバー』(ちくま新書)

子ども期の逆境体験、ACE(=Adverse Childhood Experience)は、その後の人生での病気・低学歴・失業・貧困・孤立など様々な困難と関連することがわかってきた。自分の子どもを不適切に養育する傾向もあり、その影響が次世代に及ぶ可能性も見えてきた。本書では、データを基に実態を明らかにし、彼らが生きやすく、不利にならない社会にするためにはどうしたらいいかを提起する。

澁谷智子(2018)『ヤングケアラー』中公新書

18歳未満の子どもや若者が家族の介護を行わねばならない状況を論じた一冊。高齢社会を迎える中、子どもや若者と介護の関係は、目を向けるべきテーマだ。本書は、調査の結果や当事者の声、そして海外のケースなどを踏まえ、今後の取り組みを考える。

濱島淑惠(2021)『子ども介護者』角川新書

祖父母や病気の親など、家族の介護を担う子どもたちに対し、国はようやく支援に動き出した。問題が認識される前から研究を重ねてきた著者は、2016年に国や自治体に先駆けて、当事者である高校生への調査を実施。ヤングケアラー研究の第一人者が過酷な実態を明らかにし、当事者に寄り添った支援のあり方を探る。

〈教育と犯罪・逸脱〉

鮎川潤(2022)『新版 少年犯罪』平凡社新書

2022年4月、改正民法に合わせて改正少年法が施行された。成年年齢を18歳とした民法と異なり、適用年齢は従来通り20歳からだが、18歳、19歳は「特定少年」とされ、より成人に近い処罰の対象となった。一方、薬物の乱用、特殊詐欺、SNSを使った犯罪など、近年、少年犯罪は大きな変容を遂げている。そこで、2001年刊行の旧版を全面的に改稿、この20年の動きに加え、改正少年法の変更点や問題点をわかりやすく解説し、少年期の子どもに及ぼす影響と今後の展望について論じる。

石川良子(2021)『「ひきこもり」から考える』ちくま新書

「ひきこもり」支援とは〈生〉を支えることです。その根本には〈聴く〉ことが深く結びついています。〈聴く〉こと、それ自体がその人の存在を肯定し、意味づけるからです。一方の〈生〉が他方のそれを圧倒することなく、できるだけ対等につきあっていくには、どうすればよいのでしょうか。自分とは異なる人生を歩み、異なる価値観を培ってきた相手と、どのように向き合っていけばよいのでしょうか。本書では、「ひきこもり」を通して〈聴く〉ことを考えていきます。

宮台真司(1994; 文庫版2006)『制服少女たちの選択―After 10 Years』 朝日文庫)

1996年、「援助交際」という言葉が流行語として認定されたその年、援助交際はピークを迎える。女子高校生を駆り立てたものとは何だったのか。著者自身が街を歩き、インタビューを重ね、問題のありかをていねいに探索し、考え抜かれた分析をまとめた論考。文庫化にあたり、新たに中森明夫氏の解説と、圓田浩二氏、元援助交際少女との対談2本を収録。

〈教育と政治〉

桜井智恵子(2012)『子どもの声を社会へ』岩波新書

兵庫県川西市の「子どもの人権オンブズパーソン」は,子どもたちの小さな声に耳を傾け,関係者・機関の間をつなぎ,問題の解決を図って,時には制度改善にまでつなげていく.この希有な公的制度の中から,子どもたちの息詰まる状況をつぶさに目にしてきた著者が,その問題解決のための「職人的技」と背景にある思想を紹介する.

絓秀実(2006)『1968年』ちくま新書

先進国に同時多発的に起こった多様な社会運動は、日本社会を混乱の渦に巻き込んだ。その結果生まれたウーマン・リブ(→フェミニズム→男女共同参画)、核家族化(=儒教道徳の残滓の一掃)、若者のモラトリアム化(→「自分さがし」という迷路)、地方の喪失(=郊外の出現)、市民の誕生と崩壊、「在日」との遭遇などの現象は相互に関連しながら、現代社会の大きな流れを形作っている。前史としての“60年安保”から、ベ平連や全共闘運動を経て三島事件と連合赤軍事件に終わるまでの“激しい時代”を、新たに発掘した事実を交えて描く現代史の試み。

竹内洋(2015, 単行本2011)『革新幻想の戦後史』中公文庫

戦後社会における革新勢力の席捲は、誰によって焚きつけられ煽られたものだったのか。膨大な文献と聞き取り調査により描き出す。読売・吉野作造賞受賞作を増補した決定版。

佐藤卓己(2024, 旧版2004)『言論統制 増補版』中公新書

戦後のジャーナリズム研究で、鈴木庫三は最も悪名高い軍人である。戦時中、非協力的な出版社を恫喝し、用紙配給を盾に言論統制を行った張本人とされる。超人的な勉励の末、陸軍から東京帝国大学に派遣された鈴木は、戦争指導の柱となる国防国家の理論を生み出した教育将校でもあった。「悪名」成立のプロセスを追うと、通説を覆す事実が続出した。言論弾圧史に大きな変更を迫った旧版に、その後発掘された新事実・新資料を増補。

5. 教育とグローバリゼーション

〈教育と多文化社会〉

朴三石(2008)『外国人学校』中公新書

日本には現在、二百校異常の外国人学校がある。多国籍の子どもを対象とするインターナショナル・スクール、駐在者の子弟が多いフランス人学校やドイツ人学校、アジア系の朝鮮学校や中華学校、最近増えているブラジル人学校…。由来もカリキュラムも様々だが、どの学校も、身近な異文化の象徴として国際交流の舞台となっている。あまり知られることのない外国人学校の歴史やシステム、授業風景を紹介し、その意義を考える。

宮島喬(2022)『「移民国家」としての日本』岩波新書

私たちの周りでは当たり前のように外国人たちが働き,暮らしている.もはや日本は世界的な「移民大国」となっている.しかし,その受け入れは決してフェアなものではなかった.雇用,家族形成,ことば,難民……彼ら彼女らが生きる複雑で多様な現実を描き,移民政策の全体像と日本社会の矛盾を浮き彫りにする.


〈教育の国際比較〉

★小松光/ジェルミー・ラプリー(2021)『日本の教育はダメじゃない』ちくま新書

昨今、メディアや識者からは、日本の教育に否定的な意見ばかりが目立つ。その結果として、教育現場の実態とはかけ離れた教育政策にすがりついてしまう。しかし巷間言われるように、日本の教育は本当にダメなのだろうか? 国際比較データを駆使して新しい姿を描き出す。思い込みを解きほぐし、不安や疑問に答え、未来に向けて提言をする。専門分野も国籍も異なる気鋭の研究者2名が、教育をめぐる議論に新しい視点を提供する。

苅谷剛彦(2004; 文庫版2014)『増補 教育の世紀』

 すべての子どもに等しく教育機会を与える試みがときに自由を抑圧し、一人ひとりの個性を尊重する教育がときに平等をむしばむ。
「平等と自由」という価値を背負わされた学校が、常にこうした難問に突き当たるのはなぜか。
問題の起源は、教育機会の拡大により社会の平等化を推し進めようとした、20世紀初頭のアメリカに探ることができる。
「大衆教育社会」の進展につれ、学校の担うべき理念が「個人の形成」から「個性の尊重」へと変質したとき、はたして何が起こったのか?
アメリカの経験を掘り下げることで、日本の教育が抱える根深い問題を浮き彫りにした、第27回サントリー学芸賞受賞作の増補版!

竹内洋(1993)『パブリック・スクール』講談社現代新書

過熱しない英国式受験のシステムを分析し、エリート生産装置パブリック・スクールの支配の秘密とその変容を解読する。

恒吉僚子(1992)『人間形成の日米比較』

多くの共通点をもち、互いに影響を与えながら、二つの国で「日本人」「アメリカ人」はどう形成されるのか。とりわけ摩擦の一因ともなったいる“個と集団”への意識はなぜ異なるのか。子供観の検討、初等教育の比較から、著者は集団への同調行動の二つのモデルを見出す。両国で教育を受け、カルチャーショックと逆カルチャーショックに交互に見舞われた熱い体験と、初等教育の現場での冷静な観察から生まれた、日米比較への新鮮な視点。

6. 教育と文化

〈教育とメディア〉

木村忠正(2012)『デジタルネイティブの時代』平凡社新書

デジタル通信メディアを軽々と使う若者たちは、どんなコミュニケーションをしているのか? 緻密な調査から、彼らの生態とともに、現代の日本社会の抱える問題点が浮かびあがってくる。

佐藤卓己(2008; 文庫版2019)『テレビ的教養』岩波現代文庫

テレビは本当に「一億総白痴化」をもたらしたのか? それとも、「一億総博知化」をもたらし得るものなのか――。戦前・戦後にまたがる「放送教育運動」の軌跡を通して、従来の娯楽文化論/報道論ではなく、〈教養のメディア〉としてのテレビ史を論じ、その可能性を浮かび上がらせた画期的著作。

河原和枝(1998)『子ども観の近代』中公新書

子どもを無垢な存在と見なすロマン主義的な子ども観は、日本では明治末に興り、大正中期の「赤い鳥」を中心にした「童話・童謡」運動で確立した。このイメージは、基本的には現在までも引き継がれているといえる。本書は、巌谷小波にはじまり、鈴木三重吉を経て多くの文壇作家たちが筆を染めた児童文学を素材として、近代特有の子どもに関する新しい「知」が、どのように生まれ、どのように普及していったかを辿る試みである。

〈教養〉

★竹内洋(2003)『教養主義の没落』中公新書

一九七〇年前後まで、教養主義はキャンパスの規範文化であった。それは、そのまま社会人になったあとまで、常識としてゆきわたっていた。人格形成や社会改良のための読書による教養主義は、なぜ学生たちを魅了したのだろうか。本書は、大正時代の旧制高校を発祥地として、その後の半世紀間、日本の大学に君臨した教養主義と教養主義者の輝ける実態と、その後の没落過程に光を当てる試みである。

稲垣恭子(2007)『女学校と女学生』中公新書

旧制高等女学校の生徒たちは、戦前期の女性教養層を代表する存在だった。同世代の女性の大多数とはいえない人数であったにもかかわらず、明治・大正・昭和史の一面を象徴するものだったことは疑いない。本書は、彼女たちの学校教育、家庭環境、対人関係の実態を検証する試みである。五〇年弱しか存在しなかったにもかかわらず、消滅後も、卒業生たちの思想と行動をコントロールし続けた特異な文化の再発見。

福間良明(2020)『「勤労青年」の教養文化史』岩波新書

かつて多くの若者たちが「知的なもの」への憧れを抱いた。大学はおろか高校にも進めなかった勤労青年たちが「読書や勉学を通じて真実を模索し、人格を磨かなければならない」と考えていた。そんな価値観が、なぜ広く共有されえたのか。いつ、なぜ消失したのか。地域差やメディアも視野に入れ、複雑な力学を解明する。

高田里惠子(2005)『グロテスクな教養』ちくま新書

大正教養主義から、八〇年代のニューアカ、そして、現在の「教養崩壊」まで、生産・批判・消費され続ける教養言説の底に潜む悲喜劇的な欲望を、さまざまな側面から映しだす。知的マゾヒズムを刺激しつつ、一風変わった教養主義の復権を目指す、ちょっと意地悪で少しさわやかな教養論。

〈読書〉

飯田一史(2023)『「若者の読書離れ」というウソ』平凡社新書

「最近の若者は本を読まない」のは本当なのか?「中高生に読まれている本」の綿密な調査と分析を通し、十代の読書の実態を検証する。

永嶺重敏(2023, 単行本2004)『読書国民の誕生』講談社学術文庫

日本人はなぜ、いつ、「読者」になったのか? そして何を、どのように、読んできたのか?出版資本と鉄道による中央活字メディアの全国流通、旅行読者の全国移動、新聞縦覧所と図書館という読書装置の全国普及――官・民による、これら三つの全国的要素の融合から、明治期に活字メディアを日常的に読む習慣を身につけた国民、すなわち「読書国民」が誕生してくる過程を、出版文化研究の第一人者が活写。私たちの読書生活の起源がここにある!


長尾宗典(2023)『帝国図書館』中公新書

近代国家への道を歩み出した明治日本。国家の「知」を支えるべく政府によって帝国図書館が設立された。しかし、その道のりは多難であった。「東洋一」を目指すも、慢性的な予算不足で書庫も閲覧室も狭く、資料は溢れ、利用者は行列をなした。関東大震災では被災者の受け入れに奮闘。戦時には所蔵資料の疎開に苦しんだ。本書は、その前身の書籍館から一九四九年に国立国会図書館へ統合されるまでの八〇年の歴史を活写する。

資料代やインタビューの交通費等、研究になにかとお金がかかります。研究に関心を持っていただいた方にご支援いただけるととても助かります。よろしくお願いいたします。