わたしたちにとっての青春小説ーー『ゾンビつかいの弟子』を読んだ。

(この投稿はカクヨムで投稿している他人の小説を読んでは脚本術の観点から分析する個人企画の転載です。元の投稿はこちら。)

概要

今回の作品はこちら。

ゾンビつかいの弟子

作者は森とーまさんです。
https://twitter.com/mori_toma

今回を番外編としたのは、この作品は特に応募があったとかではなく僕が勝手に読んでめちゃくちゃ面白かったので感想を書きたくなって書いただけのものだからです。
内容はほんとうに面白いです。魂のこもった作品でした。この感想はネタバレを含みますので、本編を読んでいない人は本編を読んでから下記を読んでください。気付けば夜通し読んでると思うので、読んでください。

あらすじ

いつの間にかゾンビが現れ、少しずつ社会が混乱に陥っていく現代日本。主人公の伊東はSNSで出会った妹代理のビィやゾンビ狩りをする自警団の神白と一緒に、緩やかにパニックに陥った社会で旅をする。ゾンビ研究に入れ込むビィやゾンビ狩りに勤しむ神白とは対象的に、ゾンビをどう捉えていいのか分からない主人公はそれと関係するのを避けていたが、進学した大学で谷中先生と出会い、ゾンビ研究に足を突っ込んでいく。
大切なものが簡単になくなってしまう社会で、ゾンビに魅入られてしまう彼彼女の理由とは。

感想

すごく良い青春小説でした。
俺は青春小説が大好きで『ぎぶそん』とか『2匹』とかあとnoteで公開してるやつだとファイヤーダンス失敗/山口慎太郎さんの『デリケート』とか、映画だと『ウォールフラワー』とか『シング・ストリート 未来へのうた』とか、あとドラマだと『セックス・エデュケーション』とかこれは青春ではないけど親子の愛憎の詰まった『mommy』とか『アンブレラ・アカデミー』とか、そういうのが好きで、大好きで、今回それに加わったのが『ゾンビつかいの弟子』というわけですね......。

これまずタイトルがまるで異世界転生ものみたいなんですけど、本編はそういう系ではなく、かつ、終わってみるとほんとすごくこのタイトルがいいんです。主人公がそうやって生きたんだねというか、誰かと関係性を築いたんだということが、すごく温かくて良いです。

よかった箇所はたくさんあるんですが、特に文体や演出、キャラクターの描き方と言った点がよかったです。もう全てが愛しくなってしまうような作品でした。こうやって、面白かったとかうまかったとかじゃなくて、あこの作品ずっと心の中で温かいものとしてあり続けるんだろうな、思い出になっちゃったなみたいな作品ってどうやって書くんでしょうか? 俺は普段脚本術とかをやっていて、どうやったら作品が破綻しないかとか、どうやったら面白くなるのかみたいなことを考えているんですが、こういう発想からだと本作みたいなものって作れる気がしない。作りたいんだけど。

好きなシーンは神白が主人公と初めて喧嘩するシーン、数田に薬をせびるシーン、ビィとの本作では最後の会話、主人公が神白を追い払うシーン、トモくんと神白の関係、土下座をする神白、高速道路が封鎖されてマジムカツクと言う主人公、ああもうこれあげてたら切ないな、なんかいっぱい好きなシーンあるので読んでください。(もう一度作品リンクを貼る)

分析

脚本術的な視点から『ゾンビつかいの弟子』は書けないと言いつつ、俺ができるのはそういう視点だけなので、そういう視点からこの物語を分析してみます。
今回はキャラクターと全体構成の2つの視点から読みました。

キャラクター

まずキャラクターの観点から。『ゾンビつかいの弟子』で良かったのは間違いなくキャラクターなんですが、通常、脚本術とかで勧められるような個人の超克によるキャラクター作りをしておらず、関係性の中でキャラクターを描く、というような書き方がすごく良かったです。

具体的に説明します。

既存のキャラクター作りの金言として「立体的なキャラクターを作れ」というのがあります。『工学的ストーリー創作入門』ではこれを、キャラクターの持つ3つの次元を押さえたキャラクターであるとしています。

詳しくは下記の通りです。

第一の次元:キャラクターの表面的な姿
第二の次元:第一の次元の理由になるキャラクターの内面や過去
第三の次元:物語を通じて見せるキャラクターの決断
例)いつも他人を寄せ付けない不良(第一の次元)が、自分が親から捨てられたという境遇(第二の次元)を投影させて、捨て猫を拾う(第3の次元)。

これを本作のキャラクター、例えば数田に適用してみるとどうなるでしょうか。

第一の次元:無愛想で主人公に金をたかってくる
第二の次元:鬱気味だったがふらっと出て行っては他人を連れてくることで回復してきている
第三の次元:主人公たちを助ける

という感じです。どうでしょうか? しっくり来ましたか? 僕はあんまりです。まあ確かにこの三次元に落とし込むことはできるんですが、これが数田の全てであるとは思えません。また、三次元としても、第三の次元があまり強くないように感じます。

僕にとっての数田って、無愛想で金ばっかりせびってきて、けど山ではびっくりするくらい頼りになって、かつ「こんなことは、もう、しないでくれよ」と漏らして、神白と口喧嘩して山に二人を置いていこうとして、けど置いていけなくて、そして過去には鬱気味で、知らない人の世話をすることで回復して来ている。実家が豪華で仲の良い弟がいて、ってそういう人なんです。

で、どこで数田のこと好きになったかなって考えたんですけど、助けに来てくれたり、心配するそぶりを見せたり、喧嘩したり、過去がわかったり、というポイントだったなと僕は思います。

それらのポイントは、ただの無愛想な男だった数田の別の顔がみれたシーンだったと思います。つまり、色んなシチュエーションや、様々な関係性の中でそのキャラクターの多面性が描かれるわけです。

このように、何か個人の中での超克があるとかではなくて、関係性の中でキャラクター個々人が浮かび上がってくるみたいなことをしているのがすごく良かったなと思います。

そしてこの構造はもちろん、作品の全体構成の中にも現れています。

全体構成

というわけで全体構成についてです。

こちらも脚本術でよく言われるような、三幕構成とか、シンデレラ曲線とかの全体を一本の目的でまとめ上げるような構成方法とはまた違ったやり方をしていると思います。

脚本術的な物語の構成についてざっくり説明すると、

主人公が物語の契機となる事件に遭遇し、その課題に取り組む中で苦しみながらも仲間やなんらかのアイテムに助けられて成長し、独り立ちをしたぞと思った途端に挫折を経験し、自らを見返すことで課題への対処方法がわかり、最終局面でそれをクリアする。

的な感じです。

じゃあ本作がどんな作り方をしているのかと言うと、先ほどキャラクターのところでも書きましたが、この作品は主人公の個人的な超克のストーリーではなくて、関係性の中にあるストーリーです。

具体的には、小さなサププロットを連ねてキャラクターを描くことに主眼を置きつつ、全体を貫くものとしてゾンビが扱われています。ただ、ゾンビはいわゆるゾンビものみたいな、主人公が解決しなければいけない課題として現れるわけではなく、テーマやモチーフ的なものとして扱われています。

これの上手い点は、序盤ではあたかもゾンビものであるかのようにジャンル的な課題(ゾンビにビィがさらわれたり、ゾンビのせいで社会が麻痺して主人公が放浪する羽目になったり)を扱っている点です。序盤をジャンルのもつ外面的な課題の力で乗り切りつつ、キャラクターへの感情移入が進んだ後半からは本作のうまみである関係性のストーリーをやるわけです。

関係性のストーリーをやる上で、キャラクターが馴染んでない序盤は結構厳しいなと思うんですが、そこをうまく乗り越える枠組みとしてゾンビが出てきており、あと最終的にそれがいい感じにテーマとして全体をまとめてくれていたのが本作の構成的なうまさです。

最後に

なんかこうやって書いてしまうとそれだけなのか!? って感じですが、て言うかほんと読んでもらいたいんですが、今だからこそこの物語が価値を持つ面もあるので、ほんと今、早く、読んでもらいたいです。

物語全体から漂ってくる現代日本の持つ雰囲気とか、ほんと今しかわかんないところあると思うし、うわ、この感じだ、これだ俺たちの今持っている時代性は、みたいなのめっちゃあるので、ほんと読んでください。これがな、これがわたしたちにとっての青春小説なんだよ!!!! ってなりました。

(読んでくれしか言ってないな?)

以上!!!!!!

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