昭和の暮らし:(18)洋食

1960年代後半~70年代前半ぐらいの食生活のうち、和食で育った父母が初めて試しに買ってみた感じの食品、洋食の類を思い出してみる。

レタスは、初めて食べる食材という様子だった。母によるとバナナも、結婚前ぐらいに食べ始めたそうで、最初は気持ちわるかったと言っていた。私が幼い頃は常食していたので、かなり普及していたのだろう。
ブロッコリやらプチトマトやらは、けっこう大人になってから見た。カリフラワーはすでにあった。学校給食でも出た。

当時は、関西地区では納豆を食べる習慣がなく、関西ではないが、名古屋市でも現在ほど盛んに食べられてはいなかったと思う。父母も納豆には馴染みがなく、我が家で納豆を食べ始めたのはかなり後になってからのことだ(いつ頃だったのか、覚えていない)。

チーズはプロセスチーズと呼ばれる小さな三角形のアルミにくるまれたあれと、スティック状のQBチーズぐらいだった。スライスチーズはなく、とろけるチーズもなかった。

チーズといえば、母がたまに買う雑誌に「暮しの手帖」があった。昭和の主婦の意識向上に貢献した尊い雑誌だった。その「暮しの手帖」のある号に、スイスでは食前やデザートにチーズを食べるという食習慣の紹介が載っていた(読書好きだった私は、家にある活字はなんでも読んだ)。

その生地には、数種類のチーズが専用のナイフとともに、おしゃれにお皿に盛り付けられた白黒写真が載っていて、ブルーチーズだとか白カビがどうだとか、そういうことが書いてあった。カビなんて食べ物としてはくせ者だけれど、日本の漬物だって外国ではくせ者なんだという論調だった。当地では、漬物を食べる感覚で食事前にチーズを一切れ、何種類か自分でスライスして自分の皿にとって食べるなんてことも書いてあった。

チーズ文化を知り「異化」を経験した私は、おそらく、遠い外国のチーズにあこがれを感じ、その気持ちを温めていたのだろう。それから更に10年後ぐらいんの80年代半ばに、栄の明治屋で輸入食材のブルーチーズを買ってみることになる。そして、あまりのカビ臭さにショックを受けることになる。

話は戻って、60年代のハイカラな食べ物のこと。
イタリア料理は浸透していなかったので、スパゲティも家庭でそれほど熱心には食べられていなかった。
家庭用の麺類は、ゆで麺の袋麺が多かったような記憶がある。乾麺もあったのかどうか覚えていないが、ひやむぎなんかは乾麺なので、あったのだろう。ゆで麺は湯で時間が短いので手軽だった。うどんもそばも柔らかい麺が1人分づつ個装されている。熱湯に入れるとすぐにアツアツの麺になる。ただ、美味しくはない。伸びてしまっていて腰がないのだ。

スパゲティもゆで麺だった。
やわらかくて、しかも赤い着色麺が透明ビニール袋に入っている。赤い色は、おそらくケチャップの色だったのだと思う。個装だったか、2~3人分だったかは記憶にない。粉末ソースがついていたような気もするが定かではない。

60年代のスパゲティは、トマトケチャップ味で、ウインナーや野菜と一緒にフライパンで炒めて食べていた(と思う)。あるいは、具なしで、単に麺を炒めていたかもしれない。
今でも、ハンバーグなどの付け合せに、スパゲティの麺だけが入っていることがあるが、当時のスパゲティとはそういうものだった。

マルシンハンバーグも洋食の家庭食品化だった。自宅でひき肉をこねてハンバーグを作るなんてことが始まったのは、うちでも1973~4年ぐらいだったと思う。それまでは個装のマルシンハンバーグだった。袋を開けると真っ白な油脂のからむ硬いハンバーグが現れた。それをフライパンで焼くだけだった。独特のソーセージに近い香りがした。

他にもいろいろあるけれど、また別の機会に。