昭和の暮らし:(21)アッコちゃん

小学生の女の子たちは、テレビで夕方に始まる少女のためのアニメを見ることが何よりも楽しみだった。当時は「アニメ」とも呼ばず、漫画と言っていたように思う。毎週楽しみで楽しみで、見忘れるなんてことは全くなかった。妹とテレビの前に並んで座って、放映開始時間になるのを待った。

「魔法使いサリー」や「ひみつのアッコちゃん」は、私の血肉の一部と言ってもいい。テクマクマヤコンにあこがれて、自分も変身できればいいのにとか思っていたのだろうか、もう子供心は忘れてしまった。

アッコちゃんの鏡のロケットを買ってもらって、首からぶら下げていた。プラスチックの丸い安っぽい箱に鏡がはめ込まれているに過ぎないそのロケットの蓋を明けて、何度「テクマクマヤコン」を唱えただろうか。

続く東映シリーズの「魔法のマコちゃん」も我々少女の心をがっちり掴んだ。「魔女っ子メグちゃん」ぐらいまでは見ていただろう。「花の子ルンルン」ぐらいになると、妹だけが見ていた時代になる。

手塚治虫の漫画のアニメ化もあった。「リボンの騎士」や「不思議のメルモちゃん」は、女の子に特にグッと来るお話だった。

別系統で、「アタックNo.1」も見逃さなかった。スポ根とも思わずに見ていたし、実際バレーボールも好きだった。魔法は一切使わず根性で技を磨いて勝利していく。不自由な昭和の女の子たちの心を解放してくれた新たな昭和のヒロイン像だった。

少女向けかは分からないが、「ムーミン」も必ず見ていた。唯一少女っぽさのあるノンノンや、ミーのミムラ姉さんなど女らしいキャラクターは僅かで、じっさいどのキャラクタに感情移入していいか分からなかったけれど、民話じみたモノノケ感があって、谷の向こうに何があるかわからないような村っぽい世界観も民話っぽくて良かった。

昭和のTVアニメは子どもの”まんが”で、本を読む効果に比べて有害とすら考えられていた。うちの母親も例外ではなかった。子どもがテレビを見すぎたり、アニメや漫画に打ち興じる時間が長引くと、そうではないことをさせようと介入してきた。夕飯の洗い物や、後片付けをする「お手伝い」の時間として、毎週これのことしか考えていないほど大好きなアニメを見せてもらえない日もあった。

今よりも堅苦しくて、思い通りに行くことがひとつもない現実を生きる昭和の女の子たちの心を、魔法や変身で救ってくれた制作や原作のおじさんたち(なぜか男だよね)には感謝しかない。