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疼木快維氏による歌集書評

私の1st歌集“Immoral Baby_Pink Trap”について, 疼木快維氏による書評が公開されました.

私自身も敬愛する三島由紀夫や千葉雅也の言葉の引用, 創作の際に常に意識の傍らにあるフーコーやサドについての論考を織り交ぜて語られる批評に, 私は驚きを禁じ得ません.
‘疼木くん, きみって私の親友だったっけ ?笑’と問いたくなるほどにツボを突いた論旨の展開に感動を覚えました. (氏とは何の打ち合わせもしておらず, 互いについて知り得ることはX等で発表された言葉や作品のみです.)
私の短歌を芸術として捉え, 哲学的な視点から光を当て, 歌集に籠められた想いや仕掛けを鮮やかに読み解いて頂けたこと, 真にアーティスト/歌人冥利に尽きます.
特に’所有’についての示唆に富んだ考察は, 私の哲学と人生観に関わる重要なものでした. 疼木氏は, 西尾維新氏の作品に対する佐藤俊樹氏の批評文の中でカント~ラカン~サドについて語られた部位を引用し, 私の歌集から’サド的理性’を汲み取るのです. これは非常に勇敢な事と言わざるを得ません. 現代とはサド的理性を認めない(認めることが出来ない)生温かい人権という名のファシズムが, 不寛容な知性で地上を覆い尽くそうとしている時代ですから. SGDs/多様性を謳いながら, 画一的でエロスの枯渇した自由と平等が政治的に正しい社会. そんな世の中でサドについて語ることは’狂っている’と看做されかねません.

“【書評】産声と歌声”より

フーコーはSMについて’肉体のエロス化’, ‘権力のエロス化’, ‘自分自身からの離脱’と説いています. 私はエロス無き世に反旗を翻すBDSM(Dom/sub)実践者であり, 自分自身に囚われた人権意識に対し疑義を呈する者です. こうした私のスリリングな生の思考を疼木氏は直観的に感じ取り, 独自の解釈からサド的理性というキーワードで歌集を読み解いているのです. 
また氏は, 私の創作の姿勢の基礎にある, 共感性重視の現代短歌へのアンチテーゼに対し, 深い理解を示してくれています. 氏も私と同様に’短詩には純粋に詩であって欲しい’と願う者, つまり慰めや優しさではなく, ’狂気=凶器’としての詩を追求する同志なのだと感じました. 私は短歌を共感性のための感情の道具にしたくない. 精神の発露としての短歌を信じたい. 私は詩を現実を破壊し創造する呪術であり, 自分の信じた世界を祝福する祝詞だと信じています.
私の短歌に興味の無い人にも, 疼木氏のこの書評は読んで頂きたいです. 氏の短詩への情熱と現代短歌への希望に満ちた’檄文’. 彼はここで真の批評とは詩に限り無く近付き, 美しく危険なるものなのだと証明しています.


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