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いじめの記録〜通信制高校で過ごした日々

 前回は通信制高校の特進コースを辞めるまで、を書いた。今回は通信コースに移ってから大学受験を終えるまで、を書いていく。

 高校2年生になってすぐ、通信制高校の「単位制」というコースに移った。理由は体調不良と、新しい担任との相性が最悪だったから。

 「単位制」というのは大学のように自分が受けたい授業だけ取り、その時間だけ学校へ行く、というものだ。高校卒業に必要な単位は主にwebでの学習とテスト+スクーリングと呼ばれる必ず出席しなければいけない授業で賄われていたから、単位制の生徒が学校に通うのは、「ずっと家にいてもしかたないので、自分のできる限りで学校に行こうね」という意味を持つ。

 週に6,12,18コマ、どのコースか選んで通う。私は初め12コマを選んだ。単位制に移ってからは順調だったように思う。行ける範囲で学校へ行くけれど、その授業を受けている人たちは決まった人ではないし、学年だって違う場合がある。下手に馴れ合いを強要させられないし、授業中の発言も自由だ。縛られていない感覚があった。ただ、週に一回ある同級生だけのホームルームはすごく居心地が悪かったけれど。それはいじめに遭った後遺症、みたいなものでこの先も続いていく。

 3年生になって週6コマのコースに変えた。学校の負荷を減らして予備校に集中しようということになったのだ。学校から言われた推薦先はもちろん親が認めるようなレベルのところではなかったし、自分自身もそこに行きたいとは思わなかった。あとは、私は犬が好きなので専門学校でもいいかな、とは思っていた。ただ、専門学校は週5日毎日高校のように朝から夕方まで授業があり、休むと卒業にとても響くことを知り、自分の体力ではできないと思った。

 そうして大学受験勉強に勤しむようになったのだが、体調が悪いのであまり集中できない。英文を読んでいると目が回ってきて、同じ行を何回も読んでしまうこともあった。集中力が続かないので暗記も苦手だった。英単語や地理の用語を中々覚えられなかった。
 
 救いだったのは予備校がオンデマンド方式だったことだ。東進ハイスクールに通った。好きな時間に好きな場所で1人で講義を受けられた。誰とも話さなくてよかった。国語は得意だったので最後に残していたのだが、体調を崩し気味になって予備校に通えなくても家のPCから授業を受けることができてとても助かった。私に合った勉強法に出会えたのも合格できた理由だ。

 とはいえ、苦しい受験期間だった。志望校の模試の判定は大抵CかDだったし、父親がまだ私に対して諦められない時期だったので親にやらされている感も強かった。当然上を目指すだろうという考え方は私を苦しめた。私は、私が精一杯やって受かるところに行けばいいと思っていた。

 自信を持っていうが、今までの人生で一度も手を抜いたことはない。いつも全力で全ての力を出し切ってきた。いつも挑戦し続けてきた。これだけは誓って言える。親にやらされたとはいえ、誇れる人生だと思う。

 結果、東京都市大学都市生活学部という文理融合の学部に進学した。ここにいくと決めたのは私だった。見つけたのも私だった。受験期間中、たくさんの大学が出展するセミナーのようなものに自主的に通った。名前が有名な大学、という知識だけで選ぶのは良くないと思ったからだ。直接その大学の顔として出展に来ている方とお話ししてその大学の雰囲気を感じることを大切にした。

 そんな時だった、野球場を中心としたボールパーク化構想に興味があった私は、東京都市大学の都市生活学部の「ハードの面だけではないソフト面からのまちづくりも学べる」という点に惹かれた。初めて少しわくわくした。

 私には経済学部、経営学部、商学部、など代表的な学部はピンとこなかった。何を学べるのが将来どのような研究室に入りたいのか何も気持ちが動かなかった。好きなことから学ぶことを決める。これは大学生になるまでできなかったことだ。小中高、ずっとやらされてきた私にはこの大学に進学することを決める理由として十分すぎた。

 希望する大学に無事合格した私は、大学生活を送ることになる。この先は次のnoteで。

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