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最期まで「職人」であり続けた人

教授というと、どこか高貴で天才的なイメージが先行しがちだけど、一文、一文から滲むのは、悔しさや恥ずかしさを抱えた、人間くさい職人の姿。

入院中であっても、依頼された映画音楽などをつくり続けていた。満身創痍で、文字通り必死な状況下で完成させた曲がボツになったり、ダメ出しを喰らったりしたことも。怒りといら立ちを感じながらも、クライアントのために再び一から音に向き合う日々。まさに、最期まで「坂本龍一」で在り続けた。

テクノのカリスマ的存在は、歳を重ね、死を間近に感じるにつれて、雨や風、雪といった自然が奏でる音に深く惹かれていく。そこには、音楽に留まらず、生命とは、この世界とは……という本質的な問いと、「それそのものと同化したい」という根源的な欲求が感じられる。

壊れた古いピアノをNYの自宅の庭に設置し、あえて風雨にさらされるままにしていたのは、人間の力で創り上げた楽器と、そこから生まれる人工の音を自然に還したいという想いとともに、自身の音楽そのものを自然葬に……という願いを込めていたのかもしれない。

もう、坂本龍一の新しい音は生まれてこない。

作曲家にとっての音楽とは、生命そのものなんだと、改めて気づかされる。


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