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「空から降る一億の星」 - 悲劇でしか描けない美しさ

★★★★+

韓国版です。

日本版は放送当時にちょこちょこ観ていたような気がするのですが、バリバリの悲しい予感に怯んで最後まで観なかったのか、「明石家さんま出てたなぁ」「深津絵里は可愛かった」くらいのうろ憶えで。でもドキドキする世界観だった印象があって、今回この韓国版を観ました(日本版も改めてちゃんと観てみたいですが)。

あらすじは、年の離れた刑事の兄を持つヒロイン・ジンガン(チョン・ソミン)と、ジンガンの友人のパーティーにビール会社のスタッフとして来ていたムヨン(ソ・イングク)が出逢い、何かと失礼なムヨンに憤慨しながらもジンガンはやがて彼に惹かれていくようになり、ムヨンもまたジンガンには特別なものを感じているようで…。といった展開。だが、とある殺人事件の周辺でムヨンの気配が見え隠れしたり、ムヨンにはどうにも影がつきまとっていて、観ていて何を信じていいのか分からなくなる。そんなドラマです。

ただただ、仔猫が寄り添うような主役のふたりが愛しくて。ソ・イングクとチョン・ソミンのカップルは本当に他のどんな組合せよりよく似合うとさえ思いました。最初から、昔から、お互いしかありえないのに、なかなか噛み合わなくて手を取りあえないふたり。でもひとたび心が通ったら、この出逢いのために生まれてきたことを表情や仕草のすべてで表現するふたりにぴったり。

そして鉄板なのがパク・ソンウンの演じる兄・ジングク!日本版での明石家さんまとはまた違いますが、この兄の役を演じるのにこれ以上のキャスティングはないのではという納得感。パク・ソンウンはいろいろなドラマで見る俳優さんですが、少しかっこ悪くて、でもとにかく情に厚いキャラクターが実に似合います。

そんな3人の織りなす関係は滲み出るような色の濃い愛憎に染まっていて、これはそれこそ、日本が慣れ親しんできた北川悦吏子のDNAだとも思うわけです。そこにいい塩梅に韓国らしさを含んで、より普遍的な愛の業を描き出すようでした。

ソ・イングク演じるムヨンが、幼いころに失ったのであろう感情を取り戻していく過程は、子供の成長を見守るようで、つくり笑顔と心からの笑顔の違いに、そして涙に、なんだかずっと切なくて心がずきずきと痛みつづけました。思わずチョン・ソミンのジンガンに、「早くムヨンを見つけてあげて」と全編を通していつも願い続けてしまうのです。

終盤のふたりの物語はどれもが苦しくて優しい。そして最後に明かされるふたりの火傷の真相に、また涙、涙。心なんてなかったはずのムヨンの奥底には、本当に深い愛が澱のように存在していて。少ない言葉数と表情でそれを表現するソ・イングクに回を重ねるにつれ惹き込まれます。同時にムヨンを包み込む、ジンガンの笑顔には何度も安心させられました。

あちこちに出てくる普段の、ごく普通の町並みが印象的な作品でもありました。ムヨンの家の前から見えるちょっとした夜景や、近くの花屋、飾り気ない食事のシーン、そうした静かな日常がなんだかとても大切で、感情の揺れを雄弁に語ります。

そして数え切れないほど訪れるのが、切ない、悲しいシーン。韓国のドラマはそうしたシーンが本当に上手に丁寧に描かれる気がします。無言の悲しさが染み出すような場面もあれば、ジンガンの悲痛な叫びに胸がつぶれそうになることも。そこに添えられる音楽もまた、悲しさの中に一筋だけ希望が残っているような絶妙な加減のメロディで、頭から離れなくなります。

終わり方は分かっていてもやっぱり辛いものでした。北川悦吏子よ、ここまで来たら幸せにしてあげてほしかった…と日本版に対しても思いますが、せめて韓国版だけでも…なんて恨み節はありつつ、サッドエンドにしかない美しさがそこにはあって。ここまでの幸せだった時間が畳み掛けるように思い浮かびました。全てがそうやってとびきり輝いて見えるのは、こんな最後を迎えるからこそかもしれません。だからこの世には悲劇があるのでしょうか。

唐突にすら感じられる幕切れは、でも悲しい終わりは準備も整わない中でやってくるものなのかもしれないと思わされたり。そもそもがムヨンの自業自得みたいな部分もあるのですが、そのどうしてもうまく行かないところがまたムヨンというキャラクターなのです。

韓国ドラマは長い、と言うひともいますが、だからこそじっくり描かれる時間がとても有効なドラマでした。きっと日本版とは大筋は同じでも与える印象が随分と違うのではないかと思います。どこかひとつの場面が、というよりも大きな時の流れと積み重なって濃くなってゆく愛に、黙って身を委ねるような作品で、私はとても好きです。


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