ネメシスの著者校正と、トルツメの蜃気楼のそれから。コロナが終わったらなんて言いたくない。

これは昨日の話。

『ネメシスⅥ』の初稿ゲラを直し終えて、提出した。

校正さんに指摘してもらった疑問点などをチェックしつつ、ほかに僕が加筆修正したいところも含めて赤字を入れていく作業が「著者校正」と呼ばれるもの。ここでどれだけ粘り強さを発揮できるかが勝負なので、一週間、早寝早起きで机の前に座った。集中して作業できたと思う。

もともと僕は校正者でした。大学時代から数えれば編集プロダクションで約十年間、後半は演劇が忙しくなり長期で休みをもらったりしてあまり働けなかったけど、いろんな書籍や雑誌の校正校閲をやらせていただいた。

その経験は小説を書くのに役立っている。多彩なジャンルの文章に触れられたし、お金をもらいながらスキルと知識を得られた。校閲やってなかったら作家になってない。演劇で食えないときに支えてもらって、社会人としても育ててもらって、感謝しかありません。

先日、その編プロが会社をたたんだ。理由は言わずもがなコロナによる影響。目立たないけど世の中に必要な、ほんとに重要な仕事である校正校閲を専門に請け負う会社がまた一つなくなるのは、出版業界にとっても大きな損失だと思う。専門的な特殊技能。十年やったけど僕はプロの校正になれないと感じた。それほどすごい仕事だと思う。

  *

話が戻って月曜日。『ネメシス』の原稿ゲラを講談社に持って行き(ふつうは郵送するんだけど僕のワガママで一日多く作業したから編集部に手渡しした)、その足で、かつて働いていた編プロにご挨拶に伺った。舞台『トルツメの蜃気楼』のモデルにもなったオフィスだ。壁一面にそびえたっていた巨大な本棚はすでに片付けられ、景色が違ったけど、部屋のなかにある空気は変わらない。社員さん方と少し話したり、創作資料に使えそうな本を二十冊ほど譲ってもらったり。持って帰ろうとしたら経費で郵送してくれた。それは今日届いた。

別れ際、お世話になった取締役に「作家がんばってね」と言われた。ここには本が出るたびに「本が出ました」と一冊持って遊びに来ていた。そのたびに「がんばってるじゃん」と言ってくれた。僕が演劇に専念すると言って辞めたときも「舞台がんばってね」と言ってくれた。「もし食えなくなったらいつでも戻ってきていいから」とも。この先、食えようが食えまいが、もう戻れなくなった。

大手出版社と違って、編プロの名前が表に出ることは少ない。請け負っていた書籍や雑誌は、誰もが知るものが多かったけど、その会社は堅実に仕事を続けた末に、ひっそりと幕を下ろした。倒産ではない。念のため。会社をたたむという選択に至った。お世話になりました。

『トルツメの蜃気楼』で描いた景色は、まだ僕のなかに確かにある。一緒に作ったキャストさんフタッフさんのなかにも残っててほしいし、観てくださったお客さんも憶えててくれたら嬉しい。だけどそれとはまた別の、個人的な想いとして、現実にある会社がなくなったのが悔しい。もう働いてなくても寂しい。

いろんなものが消えていく。町には空き店舗が増えて、テナント募集の紙が貼られたまま。この一年で好きだったお店が何軒もなくなったし、僕が週一で立っているBARコジンシュギだってそう。去年の緊急事態宣言のときに一度潰れかけている。観劇ファンや読者の方と、気軽にお話ができる場としてはじめた、とても大切な場所だ。「コロナ落ち着いたら行ってみたいです」と言ってくださる方もいて、すごくありがたい一方で、申し訳ないけどコロナが落ち着いたころのビジョンは僕には描けない。だって未来をイメージできるような現在じゃないから。これは悲観的なわけじゃなくて、いま、ほんとにいま足掻かないと、大切なものを失った未来がやってくるから。コロナさえ終われば日常の幸せが戻ってくるという希望は抱けない。なんとか絶望エンドを回避するために試行錯誤して日々生きるしかない。

近いうちに、もう一つ大切な場所がなくなることが決まっている。コロナが収束するまではいろんなことが「仕方ない」で処理されていくかもしれない。でも一人ひとりにとって大切なものを、赤の他人に「仕方ない」なんて言われたくないし、言っちゃいけないと思う。

コロナが終わったらやりたいことはいっぱいある。けれど僕は「コロナが終わったら~」というかたちで未来を描くことができない。その言葉を使うと、何というか、いま直面している現実がボヤける気がする。できるだけいまを見落としたくないなあと思いながら、コロナが終わるまでを闘う術を模索している、一年以上演劇やれていない演出家の松澤くれはです。

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