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「チャレンジ精神」のルーツ

私は昔からすぐ諦める子どもだった。

中学で入部したテニス部も、レギュラーになれないからといつの間にか行かなくなり、習い事のピアノも楽しくないからと数ヶ月で辞めた。

そんな私が「継続は力なり」という言葉の意味を、身を持って実感した出来事がある。それが大学受験だ。

私が通っていたのは私立の進学校で、進学しないという選択肢はなかった。高校2年生になると、周囲は受験モード。周りの友達は予備校に通い、なかには予備校と家庭教師を掛け持ちする人もいる。

しかし、私は予備校には通わなかった。正確にいうと「通えなかった」のだ。私の家は母子家庭で、母は体が弱く働くことができない。父からの仕送りと、私や兄のバイト代、祖母からの援助で生活していたため、予備校に通う余裕がなかった。

進学せずに働くという選択肢も考えた。大学に進学したとしても、4年間学費を払い続けられる保証がなかったし、学びたいことも特になかったからだ。

でも、大学に通わなかったら、就職先の選択肢が狭まる可能性があることも理解していた。

高校3年生の私は、貧しい生活から抜け出すためには「四大卒」という肩書きを手に入れなければならないと考え、奨学金を借りて大学受験に挑戦することにした。

もちろん、四大卒だからって安定した職に就けるわけではない。今思うと浅はかな考えだけど、やりたいことも優れた才能もない自分には、それしかなかった。

まずは各教科の先生に「一人で勉強するので、一番いい参考書を教えてほしい」とお願いしにいった。

英語のI先生から薦められた参考書が、本当に薄っぺらくて「これで本当に大丈夫なの?」と不安に思ったことを今でも覚えている。

先生は「薄っぺらいから不安でしょう。でもこれ1冊で良いの。内容をすべて暗記する覚悟で何周も解きなさい」と言った。

本格的に勉強を開始したのは、高校3年生になってからだ。各教科につき1冊だけ参考書を買い、あとは図書室で貸し出している赤本を使った。放課後は毎日学校に併設される図書館に通い、閉館時間まで猛勉強。

学校が休みの土日や、夏休みのような大型連休には、地元の図書館へ往復1時間かけて通った。おにぎりと水筒を持って、開館時間から閉館時間まで缶詰め。

繰り返し読み解いた参考書はボロボロになった。

雨の日も雪の日も、真夏日も図書館に通い、体の弱い母の代わりにスーパーで買い物をして帰る生活は楽ではなかったが、そんな生活を続けていると、今まで読めなかった英語がスラスラ読めるようになり、模試の結果もグンと上がった。

予備校に通っている友達にも引けを取らない成績を残せたので、大きな自信につながった。

受験する大学は3校に絞って臨んだ。浪人するつもりはなかったので「落ちたら後がない」というプレッシャーに押しつぶされそうだったことをいまだに思い出す。

第一志望大学の試験当日、それまで積み重ねた全ての力を振り絞ったが、自己採点では曖昧なライン。合格発表まで、不安な気持ちが続いた。

そして迎えた合格発表日、web上に受験番号を入力し確認。自分の体が揺れるくらい、心臓が波打っていた。

「合格」の文字が見えたときは、いつぶりだろう、声をあげて泣いてしまった。

「予備校に通わせてあげられなくてごめんね」といつも謝っていた母も、泣いて喜んだ。あのときの感動と安堵の気持ちは、一生忘れない。

この経験は、私の人生において大きな糧となっている。

就職活動が上手くいかなかったとき、仕事で困難にぶつかったとき、いい結果が残せなかったとき、心が挫けそうになることは何度もあるが「努力を継続すれば何かしらの道は拓ける」と心が覚えているのだ。

すぐに花ひらくことはないかもしれない。
その道で成功することはないかもしれない。

だけど「努力を継続し成功した経験」は私の軸となり、何事も恐れず、新しい挑戦へ突き進むための原動力となっている。

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