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ブルースが聴きたくなる夜〜人種差別を音楽から考える〜


アメリカ・ミネソタ州で起きた白人警官による黒人男性死亡事件が世界中で波紋を呼んでいる。

自分の身の回りには実感しにくい話だが、僕も人種差別はない方が良いと思っている。

平和的デモは参加する勇気はないけれど賛成だし、奴隷制の象徴とされていたものがやり玉に挙げられるのもわかる。

しかし、時間が経つにつれ違和感を覚えるニュースを目にするようになった。

以下のニュースがこの記事を書こうと思ったきっかけになったので、もしもお時間があれば下記ニュースもご覧いただきたい。



■直接的であれ、間接的であれ、関係するものは全てダメなのか?


上記のニュースは要するに「人種差別を助長している作品を公開しないのは当たり前だが、それをモデルとしているアトラクションも変更すべきだ」という主張である。

差別問題の根源は奴隷制を取り入れていたアメリカの歴史にあるが、この主張を突き詰めていくと、「奴隷制が背景にある芸術すべてを否定することになるんじゃないか」という心配をしてしまった。

具体的な例を挙げると、アメリカ南部発祥の音楽だ。

その中でも僕が過去の音楽活動で親しみのあったブルースを採りあげたい。

■アメリカ南部発祥の音楽


アメリカ南部発祥の音楽には、ブルースの他にジャズやR&B、ゴスペルなどがあげられる。

これらの音楽は元々「霊歌」や「労働歌」と呼ばれる黒人音楽が時と場所を変えながら生まれたものであった。

「霊歌」や「労働歌」は、奴隷としての生活を強いられている当時の黒人の無念さや悔しさ、解放への願いといった思いを歌にしていた。

面と向かって農園主に抗議できない人々の唯一の思いを託せる手段だった。唯一の意味は参考書籍より引用する。

霊歌には、通常「ダブル・ヴォイスィング」と言われる二重の意味が込められている。一つは白人マスターが聞いても「聖書」的であると判断できる側面、そしてもう一つは奴隷のみがわかる隠された意味である。

『アメリカ南部 大国の内なる異郷』P176


■ブルースが聴きたくなる夜


簡単ではあるが以上のように、これら素晴らしい音楽には歴史的背景を抜きにしては語れない。

今回のニュースを見たら、そのような歴史的背景から生まれたものは何でも否定する事態になりかねないと取り越し苦労してしまう。

「それはないだろう」という意見があるとしたら、被害者である黒人がブルースなどを創造し、それを奏でるのは問題ないという話かもしれない。

しかし、ブルースはいまや、いや半世紀以上も前から黒人だけの音楽ではなくなっている。

僕が好きな70年代に活躍したミュージシャンの多く(例えばLed Zeppelin、Freeなどのバンド、ソロではEric Clapton、Jeff Beckなどがそうだ)はブルースの影響を受けているし、現在もブルースに根差した音楽を演奏しているミュージシャンはたくさんいる。

今挙げたミュージシャンは皆白人だ。想像に過ぎないが、今回の件を絡めるならば「白人はブルースを演奏するな」といった主張も出てくるのかもしれない。(もしかしたら、そのような声はずっとあったのかもしれないが、残念ながら僕の情報力では知ることができなかった)

差別の助長や考え方の線引きが難しいところではあるが、人種を問わず多くの人々を感動させている芸術はたくさんあるはずである。

万が一、それらが全て否定されるようなことがあるのならやはり寂しい。

そして、できるならばブルースをはじめとする世界中の人々に愛される黒人発祥の音楽は、人種を越えて和解の象徴として歌い、演奏され続けていくことを願ってやまない。

ここのところやけにブルースが聴きたくなるのは、この件に加え、労働者として働く自分の中にある「解放」への欲求もあるのかもしれない。

もっとも、休みをもらえている時点でそんなことを言う資格はないのかもしれないが…今夜はシカゴブルースのドン、Muddy Watersを聴くことにする。

黒人や白人などという表現が差別的表現であるという見方もあると思われますが、メディアでの表記にならって当記事でもそのまま表記しました。


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