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『夏前に。』

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「あの、わたしぃ、すーこさんみたいな髪型に憧れます〜。」


そう言われたのは、今年の2月のことだった。


夕方の化粧室。

雑巾を絞る私と鉢合わせたその人は

「お疲れ様です」の挨拶の二言目に、そう言った。

今まで、趣味についての会話を交わす程度だったから、

突然のことで驚いた。


155センチの私より、1つ下から向けられる目線。

茶色の瞳が見開いたように、私を見ていた。

独特の、低音ながら少し鼻にかかるような声。

滑らかな言葉の内容とは裏腹に、少しの緊張の色がうかがえる。


「え、これですか?これは、染めて、パーマかけて、巻いてるからですよ!」

私の咄嗟の返事。

付け加えて

「毎日巻くんです。そのままだと、海苔みたいなストレートですよっ。」

と。

(「何言ってんだ、私。」と内なる声。)


「えぇ〜、そうなんですかぁ〜。」

小さな笑いを含む返答に、相手の”お人好しさ“が見え隠れする。

被せるように私は

「そうなんですよー。

逆に私は、“アナタ”の髪型の方が憧れますよ〜。

柔らかそうで、猫っ毛っていうのかなぁ。羨ましいです。」

と言った。



「え、そうですかぁ。そんな事ないですよぉ。」

その人は、なんて事ない、という風に答えた。

少し、会話の内容なんてどっちでも良い、と言わんばかりに聞こえた。


本当に、たわいない会話。

中身があるのか、ないのか。

よくある、女子のじゃれあい、だ。


「じゃあ…」と

私たちは、また軽く会釈をして、

自分の目的を果たして、その場を後にした。


そんな出来事。

今年の2月。



前々からだけど、

きっとその人は、

”自分の世界を大事にする人“だと感じていた。

“自分の世界”というか、

“自分を守る囲い”というか。


人への優しさと、自分を守る囲い、

そのどちらをも譲れない、

そんなタイプだと。


すれ違いざまに、簡単な会話を交わすのは

“知り合いなのに「お疲れ様です」だけで終わらせるのは、相手に悪い、と無意識に思う“から。

知り合いなのに、柔らかい笑顔で会釈して通り過ぎるだけ、なんて、

そんな器用な事は、至難の業。


…私がそうであるように。


…と、その人に対してもそう思っている。勝手に。


今年の2月までは、

私の方が”居心地の悪さ“を感じていた。

すれ違ったら、「挨拶以上の会話をした方がいいだろう」と思っていて

だけど、「話題を見つけられなかったら悪いな」とか相反するように思っていて、

あえて、

そこにその人が居るのに気づかないふり、

した事も有った。


けれどうっかり目が合ったらその人は

一瞬躊躇いながらもスススッとこちらに寄ってきて

「最近どうですかぁ?」と

声をかけてくれていた。

滑らかに聞こえるようだけど、

どこか緊張の色が見えるように、

たどたどしくね。

それでも、あちらから話しかけてくれるのは

その人の年の功だと思う。

…主に趣味の話だけど。


とにかく、

話しかけた方がいいよなぁ、と思いつつも

様子を伺うし、緊張もする…

その戸惑いの感情を私はよく知っているから、

その人もそういうタイプなのが、

なんとなく伝わってきていた。


仲良くなれる要素は沢山あるのに、

仲良くなりきれない。

そんな感じだった。

私たちの、ここ5〜6年は。


今にして思えば、

私たちには、

それくらいが適正距離だったのかもしれない。

特別な感情などなくて、

ただ少し

“他と違う人”。

それくらいの認識がずっと続いていれば

こんな風な、突然の大迷宮に迷い込むことは

無かっただろう。

確固たる自分は、案外緩い地盤の上に居た。


ただ、

おかげさまで

私は新しい自分に出会うことができた。

懐かしい感覚を呼び起こし、

今の私が、更にアップデートされた。

幻を追いかけながらも、

冒険と挑戦を喜んで受け入れている。


半ば強制的に、花をこじ開けられた春。


これから降る雨が通り過ぎたら

待ち受けているのは、

ジリジリと暑い夏なのか

それとも、カラッと晴れた夏なのか。

いずれにしても、楽しみだ。


そして一つだけ、悩んでいる。

“髪を切ろうか”と。


あの人が“憧れる”と言ってくれた、

この髪を。


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最後までお読みいただき、

ありがとうございました。















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