嘘をつかずに、恥ずかしいことは恥ずかしいままに。わくわくすることは、わくわくするままに。
8月31日の夜に、どうしても読んでほしいnoteがあるので書きます。
ここから先は、私が2021年の8月31日に何を考えていたかの記録。
上のnote読んで、さらに体力が残っている方は下へ。長いです。
8月31日は、2年前に初めて丹後に来た日であり、昨年は「まちの人事企画室」にジョインする前日。
今思えば特別な日だけれど、はるか前にはちょっとしんどいなと思ったことがあります。
結局何がどうしんどかったっけ、って思っても、よくわからない。
でも、麻実さんの言葉たちに少なくとも涙がダダ漏れするくらいには、何かあった、記憶の中。
自分自身が自分の心の中に入ってしまうと、忘れてしまうことがあるんだ。それはモノ、ヒト、ジカンの距離計算が極端に縮まってしまう。誰かの声や風景の音、興味のない情報が全く入ってこなくるとね、自身の脳内だけで作り出された世界で泳ぐことになってしまう。これは素晴らしいように見えて大変危険だ。
そうだった。
今も、大事なことを考えるときには一人の世界に入ってしまう。
私は”私”と会話して安全を確かめてからでないと前に進まない。
今は戻ってこれるけれど、そうじゃないときもあったなあ。
「苦手だった朝ごはんを好きになっていく過程が、自分の輪郭を知ることだった。」
麻実さんは4月にrootsで、こう言っていた。
私は今日、大学生にライフヒストリーを話してほしいと言ってもらって、言葉を紡ぎながら、
「今まで誰かにやってもらって嬉しかったことをここでやっているのだと思います。」こう言った。
人生の良いことは、楽しいことは大体最後の方。
--良いことがあるとしたら。
ここに至るまでには、いろんなことがあった。
具体的には麻実さんがどんなことを考えて、どんな状態だったか知らない。
でも、私が普段うまく隠せていると思ったことをすべて見抜いてそっと包みこんでくれるくらいには(みんなにもバレてるよ、だから大丈夫、と教えてくれた)、作品を受けとって、ぐらぐらと感情が動いて平静に仕事ができないくらいには、私の中心に届く何かがあった。
そういうこと、なのだと思う。
出会えてよかった、そう思う。
今日、大学生に向けて最後に話したこと。
「やりたいことがあっても、なくてもいいし、あって今だと思うならやってみてもいいし、不安なら誰かにそっと話してみてもいいし、近くにやってみようとしている人がいたら一緒にやってみてもいいし、しんどいなと思ったら休んだらいいし、何が正解とか不正解とかじゃないと思うから、自分の気持ちを知ってそう動いてみてほしいです」
これでよかったかなあ。
誰も傷つけなかったかなあ。
否定してなかったかなあ。
終わってからずっと考えている。
でも、言葉にして伝えたいことだった。
今週の日曜日、麻実さんのミニ公演がある。チケットはあっという間に売り切れた。
「ぼく、だから行かないよ」
https://www.asamicrodance.com/single-project
夏休みが終わる。
ぼくは決断しなくちゃならないんだ。
心は決まっているよ。
ごめん、母ちゃん、父ちゃん。
だって、こんなにもやることがあるんだ。
「ぼく、だから行かないよ」
たとえ声にならなくても、届いてほしい声。
知ってほしいこと、想像が生まれたらいいなと思うところ。
8月31日、何を書こうか。
そう思ったときに、今感じることをそのままに書くということしか思いつかなかった。
一つも嘘をつかずに、もうすぐ30歳になる私が、今どんなことを考えているか。
小さい頃の私を、どんなふうに抱きしめているか。
消えることもなければ、がらりと変わることもない。
ただ、良かったか悪かったかではなくて、”そうだった”というふうには、思えるようになる。かもしれない。
それくらいしか、もう何十年も生きているのに言えない。
一人でできることなんて、かわらず全くない。
だから、明日からも目の前の15歳〜18歳に真剣に向き合う。
嘘をつかずに、恥ずかしいことは恥ずかしいままに。わくわくすることは、わくわくするままに。(すっごく難しかったし、難しい。でもだからこそ。)
感謝の気持ちをこめて。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
「じゃあ、また明日ね。」
(写真は、4月に麻実さんが撮ってくれた、今の暮らし。)
サポートいただき、ありがとうございます! 有料noteを読んで、学びにして、また書きたいと思っています。