「うつは甘え」と言いたかった。【うつ病大学生の日記】
ゆっくりやっていこう。
そう決めたはずだったのに、私は酷い白黒思考に襲われた。
自分一人で考えて、結論をすぐに出すのは私の悪い癖。
スポーツ演習(いわゆる体育)のレポートを書いていて、ふと思った。
「このレポートを書いたところで、私はこの授業の単位が取れないんだよね。」
スポーツ演習の授業は、出席を最重要視される。
正直、どれだけ適当なレポートを書いていても、出席し提出さえしていれば、単位取得はできるのだという話を、体育研究室の事務員さんから聞いてはいた。
でも、私は授業に出られなかった。
1,000字を超えるレポートを書くことは簡単にできる。
でも、授業に出席するという、ただそれだけのことが出来なかった。
人が怖い。
そんなの甘えだと分ってる。
大体、接客のバイトもしていて、塾でバイト、サークルにも参加し、更にはボランティア活動にも積極的に参加している私のどこが、人が怖いというのだろう。
わからないけど、法則性が見いだせないけど、怖いんだ。
怖くて、苦しくなって、実際に立っていられなくなって…
そんなはずない。バイトだって、サークルだってできてるじゃんって自分を責めて…
スポーツ演習の授業は必修だ。これが取れなければ、卒業ができない。
「あー、もうどれだけ頑張っても無駄だな」
そう諦めて、学校帰りに一人で海を見に行った。
授業に出席できなくても、毎回必ず提出したレポート。
そのために費やした時間。
全てが無駄になった。
結局この世界は、0か100かしかない。
支援者さんは「30も60もある。グレーも存在する。」っていうけど、そんなのないじゃないか。
単位が取れるか取れないか、それがすべてなんだよ。
自分がこれまで積み上げてきたものって何だったんだろう。
精神科に、入院なんてしなければよかった。
そもそも、精神疾患にならなければ、トラウマなんてなければ、発達障害なんてなければ、生まれてこなければ…
考えてしまう。
初めて学校を休んだあの日。
私は、サボることを覚えてしまった。
現実から、逃げる方法を知ってしまった。
(これは、自分自身に対して思っているだけで、今現在、学校に行けていなかったり、不登校だったあなたを責めているわけではない。その決断ができたあなたに、私は心の底から「頑張ったね」と言いたい。)
休まなければよかった。
甘えなんて覚えずに、あの時の強さを持ち続けて、必死になって勉強し続けて、自分自身なんて省みずに、憧れの大学に行けばよかった。
うつ病だと言われて、発達障害と診断されて、知った世界があったけど、そんな世界、私は知りたくもなかった。
精神疾患に理解がない奴になっても別に良かったんだ。
「頑張りたくても頑張れない人がいる」
そんな言葉を聞いて、「そうだよね。」と理解できる人じゃなくて、「それは本当に頑張ろうとしていないのだ」と理解できない人になってもよかった。
そんな人間になってもよかった。こんなに苦しまないといけないのなら。
海を見て、全てを終わらせたくなって、でも、それでいいのかと思う自分もいて、よくわからなくなった私は友達と話した。
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次の日、デイケアに行った。
デイケアのスタッフさんが「元気ないね。受け持ちさんとお話しする??」
そう気を利かせてくれて、私は「受け持ちさんと話したい」とお願いした。
受け持ちさんに声をかけられたのは、デイケアで過ごす時間も残り少なくなった時。
しゃべれなくなった私は、受け持ちさんと2人の部屋で、受け持ちさんが差し出してくれた紙に、お借りしたペンを使って、思っていることを全部書いた。
死にたかったけど、受け持ちさんとお話してからでもいいと思って今日来ました。結局は全部、0か100しか存在してない。ODに頼って苦しみを乗り越えてきたけど、今の私にはODする薬すらない。苦しみを乗り越えられない。
本当はもっと長かったけど、要約するとそんな感じ。
「もっと早い時間に、お話を始めるべきでした。ごめんなさい。」
そう、謝られた。
受け持ちさん「死にたい気持ちは抑えられていますか?」
私(首を横に振る)
受け持ち「行動しませんか?
私(わからない)
受け持ち「もし行動するなら、手段はOD?他のこと?
私(ODはしない)
受け持ち「絶対に行動しないって約束してください
私(無反応)
受け持ち「スーさん?約束してくださいね。
私 (無反応)
受け持ち「これからのこと、一緒に考えていきますから。スーさんはひとりじゃないですからね。来週、僕とお話しすると約束してください。
そう言われても、私はやはり無反応で、受け持ちさんが呼び出されてしまい(受け持ちさんはデイケアのトップだから忙しい)、ご飯を食べたら話そうということで、面談は終わった。
でも、ご飯を食べた後、私は受け持ちさんと話せなかった。
待っていたのに、他の利用者さんが受け持ちさんに話しかけて、話せなかった。
帰り際、「来週もお待ちしています。」と言われた私は、話しかけてくれなかったことにイラついて、「約束はできません。」と言い、受け持ちさんの顔も見ずに帰った。
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次の日に診察だった。
もう、主治医に話す気すらしていなかった。
私がODしたということを、デイの受け持ちさんが書いたカルテを見て知った主治医は、ODについての話をした。
「それをせざるを得ない程、苦しかったんだね。」
そう言ってくれたけど、「本当に思っているのか?」としか、思えなかった。
最終的に、私が固まってしまい、診察はすぐに終わった。
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カウンセリングで、心理士さんに「どうしたの?」と言われた。
心理士さんの顔を見た瞬間から、私が泣き出したのに、その理由を何も話さなかったからだろう。
やっとのことで声を絞り出し、思っていることを伝えると、心理士さんからこんな言葉が返ってきた。
「(主治医)先生は、自分の目の届かないところでスーさんが何をするかわからないことを恐れているんだよ。だから今日、ODしたスーさんを入院にしなかったことのは、(主治医)先生にとって、勇気のいる決断だったんだよ。」
「スーさんは、思ってすぐに行動するから、何しだすかわからないから、危うくて、毎週ひやひやなんだよ。」
「医者にとって、患者に何かあることほど、悲しいことはない。あなたに何かがあったとき、悲しむ人はたくさんいる。スーさんのこと、救いたいと思っている人はたくさんいるんだよ。(デイの受け持ち)さん、(主治医)先生、デイのスタッフ、スーさんの友達、そしてもちろん私も」
「スーさんの現状を変えられるのは、スーさん自身だから、私はここで背中を押し続けることしかできない。」
「辛くなったら、行動する前に、私に会いに来ると約束して。」
「差し出された手を、つかんでみようよ。」
そう言われて、私は少しだけ前を向けた。
これから、やっていける気がした。
でも、それは幻みたいなものだった。
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今私は、大泣きしながらこの記事を書いている。
事情があって、バイトの掛け持ちをせざるを得なくなったのに、ダブルワーク先が見つからない。
これから先、どうなっていくんだろう。
大学のこと、親との関係、そして、新たに加わった悩みもある。
ぼちぼち頑張りたかった。
「頑張らなくていいんだよ。」
そう言われたって、頑張らなかったら、私は生きていない。
「うつは甘え」
それは、私が自分に対して強く思っていること。
病気を理由に、甘えてるんじゃないよ。
本当にできないの?逃げていないで、現実ともっと向き合えよ。
あなたは……私は、本当にうつ病なの??
ただ、逃げたくて、甘えているんじゃないの???
あの日手に入れた、コーヒー一杯分の余裕を、もうすでに、失ってしまった。
心をぽかぽかさせるために使わせていただきます☺️