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死にたい私の未来の話。

死にたい。

希死念慮と呼ばれるこの症状に、私はもう何年も悩んでいる。

心のコップの水は常にあふれていて、少しのダメージで私はすぐに死にたくなる。

実際に、行動に移してしまったこともある。入院もした。

死にたい。

確かにそう思っているのに、私は未来を語る。矛盾したことだとわかっている。でも私は、未来、というよりも近い将来について希望を持ってもいる。

死にたい。

好きな場所がある。海が見渡せる崖のような場所。そこに行って、広い海を見ると、私の悩みなんてちっぽけに思えて…なんてことはないけれど、ただひたすらにぼーっとできる。死ぬ前に、そこから海を見下ろそうと思っている。

死にたい。

私にはしたいことがある。それはいわゆる「夢」というものなのかもしれない。でも私は、それを夢にしたくないと思ってる、目標にして、そして必ず達成させたい。

死にたい…でも生きたい。

こうした矛盾した感情を抱くことを、『両価性(ambivalence)』というらしい。

私は「確かに死にたい」と思いながら、未来を思い描いてもいる。

希死念慮について、主治医とはたくさん話してきた。主治医の言葉がずっと心の中にある。

「これからもいろいろな問題が出てくる。その時、死ぬという選択をすぐにするのか?きわめて短絡的だ。10年後、20年後に生きててよかったと思えるようなことと出会えるかもしれないのに、それを放棄するのか?こんなこと言われたくないだろうけど、私は医者として、スーさんくらいの歳で、生きたくても生きられない人をたくさん見てきた。スーさんは生きられる。」

私だって、生きたくても生きられない人。こころの病のために。

でも、私は未来を思い描くことができて、その気にさえなれば、思い描いた未来に進むことができる。

それが主治医の「スーさんは生きられる」という言葉の意味なのかなと思う。

心理士さん、作業療法士さん、主治医、友達。

たくさんの人に支えられ、生かされている今。

私は未来に進む選択を選び続けられている。

心をぽかぽかさせるために使わせていただきます☺️