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アダルトチルドレンの生きづらさ

わたしはアダルトチルドレンなのですが(我ながら変な自己紹介だと思う)、自分の欲求を自覚するのが激ムズで困っています。

自分で自覚ができないから、相手しだいになってしまうんです。
自覚ができていたら「こうしてほしい」「これはやめて」と一言伝えればいいだけの話の可能性もあるのに、「こいつはひどいやつだ」と相手を責めることで自分を守る。
でも相手を責めることによる報復が恐ろしいから、「わたしに価値がないからこういうことをするんだ」と刃が自分に向いてズタボロになっていく。

正直、これはもうどうしようもないことだと思うようになりました。
諦めているけれど、悲観的な感じではなく。
これを乗り越えて自分の欲求を知っていく、自分の欲求を察知することに慣れていく練習をしていくしかないんだと思っています。
めちゃくちゃしんどいことだし、苦しい道のりだし、これを自然とできる人もいると思うと悔しいし悲しいけれど。

アダルトチルドレンにとって、自分の欲求を自覚するって果てしなくハードルの高いことなんですよね~。
そんなもの、ないほうが楽だったから。何度も何度も裏切られる経験をさせられてきているから。
きっと自分の欲求に応じてもらうことで人は他者との愛情や信頼を育んでいくのだろうけれど、それが全くなかったわけですから。
そもそも人生がハードモードすぎるんだ。(自分にいいきかせる)

やるせない気持ちから、ついつい「自分にもっとなにかできたんじゃないか」とさらに自分を責める材料を探してしまうけれど、そんな時はこの文章を思い出してほしい。

精神分析の考える赤ちゃんは最初は空腹という考えをおそらく持っていないので、ただ単におなかのなかにとんでもな悪いこと、つまり空腹というドンでもない不機嫌な悪いことが起こって、ワーッとわめく。赤ちゃんの体験をもし言葉で表せれば、自分というものがバーッと内側からバラバラにされているようなことかもしれない。そういう体験をボーンと外に投げ出してゆく。それに対してお母さんがやはり、何ともいえない不安や心配をしたあげく、それに空腹だという意味を見出だして授乳するということを繰り返しているうちに、わけのわからないものに意味が生まれてくる。

『集中講義・精神分析』より

この赤ちゃんの例のように、自分のなかにあるぐちゃぐちゃなものを、音に出したり、くり返し咀嚼していく。
そこにある、自分が拒否したいものや、求めるもの、感じていることの意味を知っていくことが、目指すものへの一番の近道のような気がする。

もちろん、わたしたちはもうこれ以上、ひとりで頑張る必要はない。
頼れる人がいるのなら頼ってみるといい。今どきはオンラインカウンセリングも充実している。
わたしは長らく人を信じられなかったけど、やっと信じて頼れるようになったし、新たな出会いの中で救われたこともたくさんある。
こんなこと言われても信じれない人も多いと思う。わたしもそうだったから分かる。

それでもわたしは、人を信じる道を勧める。
その道を教えてくれた人がいたからわたしは救われたし、ここまで生きやすさを感じることができるようになった。
信じれなくてもいい、けれどどうか諦めないで。

わたしもまだまだ道の途中。
頑張る全ての人に幸が訪れますように。

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