書くという行為

「書き続けなければならない。」
今僕はそう、実感している。

書くという行為は、思索をことばにするという行為であり、
しかもそのことばを「残す」行為だ。

或る雑誌に全12回書いた連載が、今年の2月で終わった。
フォトエッセイという形で、取り留めもない思索を、ゆっくりと書いた。

これが、とても、良かった。
自分の中でことばにしてこなかった一つ一つの光景が、
ひとひらずつ思索となり、ことばとなっていく。

いちどことばとなった光景は、誰にも奪うことのできない光景となる。
無意識のうちにあった大切なものを、掌で包み、守ることができる。

ことばにするとは、貴い行為だ。

その連載が終わった今、
これまで記してきたブログもあったが、
敢えてまた新しい媒体に記してみようと思い立った。

誰に読まれてもよい。
むしろ、誰かに読んでほしい。
自分の光景が思索となり、ことばとなっていく様を。

むろん、需要はないだろうと思うが。
書き続けたい。思索がある限り。光景がある限り。

S.D.G (yus)


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