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「意識マトリクス」入門〜調査主体の「無意識領域」が自覚されているか?

インタビュー調査の仕事をしているとクライアントからよく要望されるのは「深層心理の深掘をしてほしい」ということです。他にも「潜在意識を聞き出してほしい」とか、「ホンネを聞き出してほしい」というのも典型的です。これらはほぼ同じことを要望されているのだと考えられます。最近では「インサイトを聞き出してほしい」という言い方がトレンディです(笑)。

このような言い方がされるのは、インタビュー調査における発見とは、調査対象者の深層心理を明らかにすることによってもたらされると考えられているからでしょう。

それは間違ってはいないのですが、潜在意識、深層心理とは本人ですら意識できていないものですから、そもそも話せるわけがないのです。つまり聞き出せるわけがない。「そう言えば」と気づくこともありますが、それは忘れていたたことを思い出しただけで、元々意識できていたことに過ぎません。深層心理とは自らの存在に危機が及ぶ程の異常な状況でなければ、それが意識の表層に現れるようなことはまずありません。

すなわち、深層心理、潜在意識とは無意識であるが故に、通常は推測するしかないのです。だから「インサイト」(洞察)と呼ばれるのです。聞き出せるものではないし、聞き出そうとすること自体が間違いなのです。つまり「聞き出す」テクニックや能力の問題ではないのです。故に、そもそも「聞き出そう」とすること自体、放棄される必要があるわけです。

ここまで言い切られると関係者の中にはショックを受ける方が少なからずおられるかと思われます。しかしおいおい折にふれてご説明すると思いますが、そう考えることで、インタビュー調査の様々な問題が解決できるようになります。

では、その考え方の基本についてお話をすることにします。

そもそも論となりますが、「定性調査」とは何のために行われるのかというところに遡ると、従来持っていなかった新たな認識、概念を得るためであるわけです。つまり、調査主体には現在意識されていないこと、知られていないことを「発見」すればよいわけです。それには「自分には認識できていないことがある」という「認識」が必要です。これはいわゆるソクラテスが言った「無知の知」と言われるものです。同様のことは孔子も「知之爲知之、不知爲不知、之知也」と述べています。このような認識は自分を自分が客観的に認識できていてこそ成立するものであり「メタ認知」と呼ばれます。いわば、ゲーム画面の中では自分と化しているキャラクターを、自分が画面の外側からコントロールしながら眺めているような認識の在り方だと言えるでしょう。

「チコちゃんに叱られる」というテレビ番組がありますが、チコちゃんの質問は常に、誰しもが何気なく使っている言葉、何気なく見ている物事について、「その意味やワケを知っていますか?」というワンパターンです。しかし、そのように突っ込まれた時に初めて、自分がそのことについてわかっているつもりが実はわかっていなかった、という現実を突きつけられるわけです。その時こそが「メタ認知」すなわち「無知の知」を獲得する機会ですが、「意地悪な上げ足を取るような質問をするチコちゃんが悪いのだ」という傲慢な態度だと、この「無知の知」は身につかないわけです。

マーケティングの領域でいうと「インサイト」や「コンセプト」というような「横文字」言葉については多くの場合この例に当てはまります。そのような言葉を使っている人にチコちゃんのように「それはどういう定義で使っていますか?」という質問をすると「むにゃむにゃ」とわかったようなわからないような答えをもらうことが多々あります。実のところ「マーケティング」という言葉すらそうなのですが、そのような質問をすると「3歳」ではないこちらが、白い目で見られてしまうわけです。

メタ認知があったとしたら、誰かにそれを質問するか、自分で調べることができます。それをしてこなかったというのは自分がそれを知らないという認識を真摯に持っていなかったということなのです。これは、本当の発見とは、実は自分が質問しようとも思わないこと、しようにも、そもそも無意識なのでできないことの中にあるのだということでもあります。

アスキングタイプのグループインタビューの中でしばしば起きる現象の一つに、インタビュアーが席を離れた瞬間に、それまで低調だった話が盛り上がり、しかもそれが、そこまでインタビュアーが手練手管を使っても出てこなかった貴重な情報であったということがあります。この時に「先ほどまでにどうしてそのような話をされなかったのですか?」と聞きますと多くの場合「話してよかったんですか?」=「聞かれていなかったので話してよいとは思いませんでした」という旨の答えが返ってきます。それは、本当はそんな話が聞きたいのに、その話を引き出す質問をインタビュアーが思いつかなかったということなのです。つまり、インタビュアーの「無意識」の領域の話であったということです。一方その話は対象者同士の間ではしたくてしょうがない話であるのに、聞いてもらえなかったということです。それどころか、特に興味関心もない話、経験のない話,、すなわち意識していない「無意識」のことをアスキングされるので、盛り上がらなかったということなのです。

この調査主体と調査対象のすれ違いで気づかされるのは、調査という「コミュニケーション」の中には、調査主体と調査対象にはそれぞれ意識できている領域と意識できてない領域があって、一部重なっている部分はあるけれども、意識の方向性がズレているということです。それを見える化したのが「意識マトリクス」です。調査主体側の意識は主として企業人としての「商品・サービス」に向いているのに対し、調査対象側の意識は主として生活者としての「生活」に向いています。

そもそも調査というものは「わからない」から実施されるものであり、事前には「思いもしなかった」ことこそが「発見」であるのに、それは「質問」では見いだされないわけです。なぜならば、それはそもそも質問すらできない領域にこそあるからだということになります。しかしその領域は生活者にとっては興味・関心の向いている領域であり、調査主体側にとっては未知の情報量が豊富な「宝の山」です。そうであるのに、調査主体側は相手が無意識でそもそも聞き出せない領域の話を、一生懸命「深掘り質問」だの「聞き出すチカラ」だので聞き出そうとしているということです。それはあたかもペンペン草も生えていない「草刈り場」でお宝を探しているがごときです。

次回は「聞き出そう」とすることの弊害の話をしてみたいと思います。



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