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インタビュー調査の都市伝説・さらにあれこれ~「数人の話」から何がわかるのか?①~「代表性」の問題

インタビュー調査への疑問や批判では「数人の意見で何がわかるのか?」とか「数人の意見で意思決定をして良いのか?」というものが代表的です(まさに”代表”的)。またそれに関連して「リクルートで選ばれた数人に”代表性”はあるのか?」ということも言われます。その疑問や批判を回避するために大人数のインタビュー調査が行われたりもします。それは定量的な処理が目的です。しかし、そうなると、各対象者への設問やそのワーディングを構成する必要が出てくるために定性調査としての意味をなさなくなります。意識マトリクス理論でそれが明確に説明されたのですが、一言で言うと「C/S領域への侵入」ができないということです※。

※しかし、「量的処理をするインタビュー調査」が後を絶たないのは、そもそもが本来非構成的であるべきインタビュー調査が構成的にアスキングで行われているため、その重大な悪影響に気がつかれないからです。また以前にも述べましたが本当にC/C領域の情報だけで済むのならば、今の時代、ネットで自由回答アンケートをする方が効率的です。

ここで明確になるのは定量調査と定性調査はある意味「二律背反」で、その実施の目的や得ようとする情報の質が異なる、ということです。その違いについては最後にまとめたいと思いますが、要はその目的や質の違いが正しく認識されていないのでこのような議論に陥ってしまうということです。

その象徴的な例として「代表性」という用語について触れてみたいと思います。「代表性」という言葉は正しくは「統計的代表性」と表現されるべきです。その意味は統計理論に拠って、母集団の縮図となる「母集団から無作為に抽出されたサンプル」である、ということです。縮図であるとは、サンプルにおける属性分布が母集団の属性分布と一致するということです。そのためには少なくともN=30以上のサンプルを無作為抽出する必要があります。しかし統計的誤差というものがありますから母集団との誤差を小さくするためにはそれなりに大きなサンプルである必要があります。母集団の大きさに関わらず、サンプルサイズがおおむねN=1200~1500程度以上で統計的誤差は無視できる範囲(数%)に収束します。

即ち、所詮数人の、しかも作為的に抽出されたインタビュー調査の対象者には「統計的代表性」などありません。

しかしそもそも「統計的代表性」とは統計理論に基づいた母集団推計の目的にのみ意味があるのであって、それ以外の目的においては意味がありません。そしてインタビュー調査とは「母集団推計」を目的に行われるものではありません。その意味でマーケティングリサーチの世界において「統計的代表性」は「錦の御旗」のように過大評価されていると言えるのですが、実はインタビュー調査において「統計的代表性」を云々することは全くナンセンスだということです。

しかしインタビュー調査において”曖昧”に「代表性」という言葉が使われる場合、それは必ずしも「統計的代表性」を指しているとは限りません。たとえばあるブランドの商品やサービスを利用する「顧客」を対象にインタビューをすることを考えてみましょう。「ユニクロ」がそのブランドだったとすると、「ユニクロ」を利用したことのない人、利用経験が少ない人はその対象者として妥当とは言えません。これは「ユニクロの顧客を代表していない」ということです。この場合にこの意味での「代表性」が無いことは大問題です。これはしかし正確な言葉遣いとして「代表性」ではなく「調査対象者としての妥当性」と呼ぶべきものです。

つまり、前者の「統計的代表性」と後者の「調査対象者としての妥当性」の違いを認識して議論を行わなければ、上述したような「定性調査でありながら同時に量的処理をしようとする大サンプルのアスキングインタビュー調査」を行うというようなナンセンスなことが起こってしまうわけです。量的処理をするということは「調査対象者としての妥当性」のない対象者を含まなければならないということであり、そのためにアスキングをするということは定性調査の大原則である「非構成的なリスニング」であることを曲げなければなりません。すなわちコスパの悪いどっちつかずの中途半端な調査にしかならないということです※。

※師匠の油谷遵先生はインタビュー調査のクオリティについて「中途半端な『定性の定量化』の試みなどによって現在実施されているそのレベルは目も当てられないくらいに低下している」と早くから批判されていました。

しかしこのナンセンスな代表性の議論によって、グルインにおける1グループの中の対象者の「属性分布」をコントロールしようとすることすら行われているのが実態です。統計理論的にも、調査の期待成果としても、それは全くナンセンスの一言でしかありませんが、調査にはアマチュアのクライアントの求めに対してあるべき姿を提示せず、言われたままにすることによって自らの責任を回避しようとするノンプロ・エキストラの定性調査リサーチャーがそのナンセンスを助長しているのが実態です※。

※師匠の梅澤伸嘉先生はかなり以前から「わが国の市場調査に従事する人々における当手法についての認識や活用の方法がきわめてまちまちであり、手法のオーソライズやレベルアップの妨げとなっている」や「グループインタビューについての偏見に対してかなりの説明や説得を要するケースがありそういう努力を怠るとこの手法が歪められて用いられてしまう」という指摘をされていました。そのかなり後に「(リサーチャーは)発注者のオーダーを絶対視して、ひたすら従順になることを当然としている雰囲気が垣間見える」や「メーカーの発注担当者から、『最近のリサーチャーは専門家としての提案ができない』」という声をよく聞く」(林、肥田、2008)という指摘もされているのが実態です。つまり、「ノンプロ・エキストラ」のリサーチャーのクライアントへの説明不足や忖度によってかねてから手法自体のクオリティが劣化してきた構造があり、それが上記の油谷先生の指摘となっていたわけです。そしてその根源には梅澤先生の指摘通り、手法に対してのリサーチャーの理解不足があることが否めません。

話を戻しますが、C/S領域の情報獲得を期待した非構成のインタビュー調査というものは生活工学的観点で設計されなければならないということは既述ですが、生活工学的観点に立てばインタビュー調査における「調査対象者の妥当性」は既述の「NEC理論」に従えば判断できるということになります。

次の論点ですが、上記で「異なる」と述べた定量調査と定性調査の実施の目的や得ようとする情報の質の違いとは具体的にどういうことなのか、ということになります。

つづく





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