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世界と中国と自由について考える

松井博さんが、コロナ禍を経て世界中で失われつつある自由について書いていました。印象に残ったのはこれらの部分です。

自由を政府に明け渡すと、それが国民に戻ってくることはもう2度とないのです。

どの国の国民もコロナショックで判断力を失い、国にすべてを預けてしまい、それで当然だと考えています。

たしかに今の世界は、以前よりも「民主」に耐えられなくなってきているというか、時間のかかる手続きをすっ飛ばした統制でもこぞって受け入れ、より目先の安心感や効率を重視しはじめているようにも見えます。

中国において受け入れられる統制

中国において、それは顕著です。いわゆる民主主義国家の苦戦を尻目に、感染の抑え込みと経済の回復という点では大きな成功を収めた中国においては、「中国のやり方こそ正しいのだ」というコンセンサスが国民の間でも強くなりつつあります。

中国のコロナ対応はいわゆる民主的手続きを経て行われているものではありませんが、それでも多くの国民に支持されています。やはり安全が得られ、目先の生活に困ることがないというのが大きいのだと思います。

さらに言えばコロナ禍以前から、経済・文化の発展がめざましい中国において、国民は自国のやり方に自信を持つようになってきていました。近頃では、国民を守り幸せにするこのやり方こそがむしろ「民主」ではないか、という意見も多く叫ばれています。

監視社会とも形容される中国の体制ですが、それは意外にも広く支持されています。その姿は日本人から見て違和感を伴うことも多いですが、それは全世界的に起こっている「民主」や「自由」への懐疑がもっとも顕著に表れた姿なのだ、と考えることができるのかもしれません。

自分には関係がない

また、中国の人々を見ていると、多くの人が自由を明け渡すことについてどこか「他人事」「自分には関係のないこと」だと考えているように思います。

個人情報が取られようが、いろいろなところで統制が強くなろうがが、自分は品行方正に生きているから問題ない、統制が強くなって困るのはテロリストとか犯罪者だから関係ない、という意見も多く聞かれます。多少不便になったとしても、日々の安全や利便性などのリターンの方が大きいし、何より自分には影響が少ないのだから別にいいじゃん、という姿勢です。

個人的にはちょっと無防備すぎるような気がしますし、冒頭の松井さんのnoteでも挙げられているように自由を手放すことは不可逆的なものですから、そうやって何でも譲歩しているうちに、あれよあれよと何もかもが縛られてしまう世の中になってしまうのではないかという危惧もあります。他人事だと思っていた統制の矛先が、いつしか自分に向いてくることもあるでしょう。

しかし、それでも中国の人々は多くの場合、管理を望みます。それは人が多すぎることによって生じる難しさへの諦観かもしれません。「そうでなければ中国は回らない」という消極的賛成の結果として、今の中国の体制があります。

ルールと自由の間のバッファ

もう一つ、中国において人々が自由を抵抗なく手放しているように見えることの理由として、個々人のルールとの付き合い方が関係しているのでは、と思うことがあります。

中国においては、「ルールはルールだが、それに従うか、それをどう解釈するかは自由」という意識が支配的です。あるルールが課されたとして、馬鹿正直にそれに従うのは賢い選択ではなく、むしろそのルールにどこまで踏み込んでも許されるのか、どのぐらいまでの規模なら睨まれずにルール違反ができるか、ということがまず念頭に置かれます。

つまる、もし表面上は自由を手放さざるを得ないようなルールが敷かれたとしても、それにどう与するのかは自分次第だ、と考えている人が多いのではないかと思います。このあたりは、実際に中国人と交流を持ったことがある人ならわかっていただけるのではないでしょうか。

ある意味ではこれも、「自分には関係ない」という意識の現れの一つなのかもしれません。

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個人的には、今の中国が日本や西欧のメディアで苛烈に批判されるほどディストピア的で、自由のない国だとは思いません。一方で、コロナ禍によって勢いを得た中国は、これから物凄いスピードで自由と決別していくのではないか、というふうにも見えます。

そうなった時にどんな社会がそこに広がっているのだろう、そうなっても中国の人々は同じように体制を受け入れるのかな、という一抹の疑問もあります。

なんにせよ、自由を手放すことを是として突き進む世界の筆頭にある国として、中国は非常に興味深い観察対象であることは間違いありません。これからも中国の姿を見守り、それを伝えていきたいと思います。


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