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「悪いことをしなければ、個人情報を取られても問題ない」にいまいち同意できない理由

くまてつさんのこんなnoteを読みました。

お知り合いの方に突然PCR検査を受けるように通達がきたことへの驚きと、なぜか濃厚接触者であることが知られていたということに感じる不気味さについて書かれたものです。面白かったです。

プライバシーと利便性のバランス

近年は個人情報について、情報が収集・集積されることによってもたらされる利便性と、それに伴うプライバシーの問題が取り沙汰されることが多くなってきたように思います。

コロナ禍の世界において、それはさらに顕著です。上のくまてつさんのnoteからもわかるように、中国においては個人情報——とりわけ個人の移動経路がコロナ対策に広く活用されていることがその議論の的となります。

個人的には、スマートフォンを触っているだけでどこからかは個人情報が漏れていくものだし、過度に怖がるのも違うかな、と思っています。今どき、デジタルデバイスから離れて生きていくわけにもいきません。また、中国のそれに文句を言っても、どうしようもないことも事実です。

そんなわけで「中国の監視社会怖い!」と無根拠に不安になりながらSNS上でがなりたてている人を見ると、なんだか人生大変そうですねえ、まあ頑張って生きていってください、と思ってしまうわけです。

「便利だから問題ない」

一方で、「便利なことに使われるから問題ない」「個人情報が取られて困るのは犯罪者とか悪い人だけ。普通に品行方正に生きていれば困ることはない」という意見もよく見かけます。つまるところ「個人情報を取られて困るのはやましいことをしてる人か、犯罪者くらいでしょ?」ということです。

そりゃもちろん、何事もなく生きていれば個人情報が誰かに見られていようが、実害というか現実的な生活に影響は出ません。ただ「見られているだけ」「それがあるサービスなどに使われているだけ」のことです。自分がそれを気持ち悪いと思うか、それを許容できるかどうかという範囲の話、と捉えることもできるかもしれません。

しかし、これも個人的にですが、少し短絡的というか解像度の低いモノの見方のように思います。

個人情報を第三者に差し出すにあたってもっと警戒しておかなければならないのは、「それが本来の用途で使われるかどうか」という可能性のはずです。

つまり、ある目的のために集められている個人情報が恣意的に別の目的に使われることはないのか、その情報を扱う権限を持つ者が第三者にそれを引き渡すことはないのか、ということです。

たとえば、Aというサービスの範囲内で扱われていたはずの情報が、いつのまにかBというサービスにも流用されているということは、本当に起こり得ないのでしょうか。そうなった時も「便利だから構わない」と受け入れるのでしょうか。

これはそもそも法律や倫理のレイヤーでいえばアウトですが、現実にはこのようなことはいくらでも起きることです。「ここだけの話」のはずのことがいつのまにか周知の事実にまで広がっていた、という光景にはみなさん心当たりがあるでしょう。情報を扱うのが人である以上、縛りをかけておくことは究極的には不可能です。

法的な縛りや倫理を超える利益がそこにチラつけば、なおさらこのようなことは起こりやすくなります。私的利益のために社外秘の情報を活用する例など、世界中どこにでも見られることです。

その「悪いこと」は絶対的なものか?

また、もう一つ心配しておくべきことがあると思っています。

「悪いことをしなければ問題ない」と述べる人は、自分が「悪いこと」をしていない、「悪いこと」とは無縁の人生を送っている、と無邪気に考えています。しかし、それって本当でしょうか。

もちろん、大多数の人は犯罪を犯すわけでもなければ、倫理的に外れたことを日常的に行うわけでもありません。その意味では確かに主観的には「悪いこと」と無縁ではあります。

しかし、あるとき「悪いこと」の基準が変わってしまったらどうなるでしょうか。例えば法律が変わったり、「倫理」とされるものが急に変化した時です。そうなったときに、これまで収集されていた個人情報をもとに遡及的に過去が掘り起こされ、たちまち自分が現在における「悪い人」に変わってしまうことは、本当にあり得ないのでしょうか。

あるいは、あなたに悪意を持つ人間がいたとします。その人物が悪意を持って、あなたの個人情報の中から「厳密には法律違反、あるいは倫理的にアウトだが、普段はお目こぼしされていること」のような事実を見つけ出し、それをもとにあなたを「悪い人」に仕立てあげようとしたらどうなるでしょうか。

陰謀論だ? そんなこと起こり得ない? そんな「悪意」持たれないように生きろ? そもそも重要人物でもなんでもないお前ごときの情報を、誰が欲しがるんだ? 確かにそうかもしれません。

しかし、法律的な基準ですらある者に恣意的に運用されていたり、また私的関係と利益が何よりも勝るためにあらゆるものの横流しが起こる国(どこの国かはご想像にお任せします)のことを知っていると、やはり最後のところで楽観的に「悪いことをしなければ大丈夫」とは言い切れないし、どこか一線を引いておくほうが良いのではないかと考えてしまいます。

そんなわけで、「悪いことをしなければ、個人情報を取られても問題ない」という論にはいまいち乗れないというか、僕はそこまで楽天的にはなれないなあ、と思います。

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冒頭にも述べたように、個人情報の収集によって利便性の向上が見られる以上、それを全て否定する気にもなりません。ただ、逆にあまりに無防備でいたり、積極的にそれを推し進めようとするのもなんか違うんじゃないか、ということを中心に、今日は書いてみました。

結局は正しい知識もとに、それによって得られる利便性と、自分の許容できるリスクとの兼ね合いを見て、どこまでそれにコミットするのかを考え続けていかなければいけません。「最終的にはバランス」という、いつものつまらない結論ですが、結局そういうことです。

いろいろなことに性急に結論を出さず、冷静な決断のもとに自分の行動を決めて行けたらいいですね。

今日はそんなことを考えました。ではまた明日。

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