ある中国オッサン・その後

あの時から、3年ほどが経った。

この国での日々は相変わらず猥雑でせわしない。今日も荷物が届かないといってはあちらが大騒ぎになり、未払いの業者に連絡がつかないといってこちらが右往左往している。

なかにはどうせ後から問題が出るんだからいまのうちに対処しておけば、と声をかけたものもあったような気がするが、そのような「急がば回れ」的な発想はこちらでは大変にウケが悪い。だから、大半は聞き入れてもらえない。

結果として、いま俺の目の前には「だから言ったのに」という案件がいくつも転がっている。結局は誰かにシワ寄せがいくのである。つまり俺だ。

俺は大きく息を吐き、流れ着いてきた時限爆弾の数々をどう処理していくかを考え始める。一応は予定めいたものをメモするが、その予定だってきっとまた生えてくるであろう、別の問題にひっくり返される。そこまで見えていても、結局はその場その場で起きることに反応してがむしゃらにやるしかない。

おそらくすべての爆弾を処理することはできず、いくつかは爆発してしまうだろう。その結果、またいろいろとよからぬコトが起こるに違いない。

それは客先のハゲ茶瓶ベテラン駐在ジジイ(この後に及んでも日式カラオケ通いをやめていないらしい)を、真っ赤に沸騰させてしまうことかもしれない。

あるいは、出張に来れないことがたいそう不満らしい本社連中(こういう連中をせきとめるためにも、ぜひ日本人のノービザ渡航は再開しないでいただきたい)に、リモートで説教めいたものを延々と聞かされることかもしれない。ビデオ通話という文明の利器は、そんなことのために使うのではないと思うのだが。

しかしもう、何が起ころうとどうでもいい。すべてのことがうまくいくわけではないし、人間の能力は限られている。自分のできることは、自分の意思とは無関係に降ってくる結果を受け止めることだけだ。それに周りがどう反応しようと、自分はただ聞き流していればいい。

俺が先回りして問題を潰そうとした声だって、結局はここの連中には届かなかったのだ。だったら、俺にだって聞きたくない言葉を受け取らない自由が多少はあっていいだろう。

そんな言い訳を自分にしながら、たったいま通知が来たスマホを開く。メッセージアプリに、「来週の出荷が間に合いません」という旨の言葉を見つけた。ほらな。この国はこういうふうに出来ている。

俺は愚痴を吐くことにも疲れた口から、改めて大きな息を吐いて、急場をしのぐための言葉を紡ごうと、キーボードを叩き始める。

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この国で生きることは、理不尽に揉まれることだ。頼まなくてもやってくるトラブルと不合理に身を委ねる。明日どうなっているかわからない環境に対して、予測を立てたり立てなかったりしながら、よきにはからい、うまくやっていく。それがこの国での生き方だ。それはわかっているつもりだった。

しかし、この3年で起きた疫病と、それにともなう政治的判断によって起きた波は、俺にそのことを徹底的に理解わからせた。

今日乗れた地下鉄に、明日は乗れなくなっているかもしれないし、その次の日にはまた乗れるようになっているかもしれない。通勤には毎日の検査が必要だと言われたが、ある時は毎日検査していてもダメなことがある。こんなことが、あらゆるレイヤーで起こる。

あれだけ国の誇りであるかのように喧伝され、逆に民草を苦しめるようにまでなっても調整すらされなかった(むしろ、どんどんと厳しさを増していった)感染対策が、ある日一夜にしてすべて放棄された。その後は、訳のわからないまま過ぎていった。その間、個人ができることは何もなかった。

疫病とともに過ぎていった理不尽の波は、この国で起きることを象徴しているかのようだった。

そうした波を過ぎた後の俺は、もはや理不尽に対して「クソが」という呪詛を吐くことすら無意味だと悟るようになっていた。

国レベルでもたらされた特大の理不尽に比べれば、個人が織りなす小さなトラブルや、その結果起きる祖国の老人どもからのちょっとした怒られなど、あまりにささいなことだ。

良くも悪くも肝が据わった自分に、これでいいのだろうかという少しの疑問と、でもこうした自分も悪くはないかもしれないという少しの誇らしさを感じながら、また俺はこの国での日々を過ごしていくのだろう。

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積もりに積もった未解決案件の山を適当に放り出しながら、名前を呼ぶサービス(今にして思えば、あれはいったい何だったんだろう)がなくなったスターバックスに、久しぶりに寄ってみる。

一番安いアメリカンコーヒーを頼み、窓際の席ですすり始める。夕方だというのにやたらに高い太陽と目に刺さる日差しは、いまも変わらない。変わったのはマスクをつけなくなった人々と、円安のせいでやたらに高くなったように感じるコーヒー、そしてこの国にまた一つ適応したかもしれない自分だ。

うまくもまずくもないコーヒーの味を噛み締め、明日も迫り来るだろう理不尽に適当に思いを馳せる。考え過ぎないようにしながらスマホをいじり、何をするでもなく過ごしてから、店を出る。

街にはデリバリーの電動バイクが縦横無尽に駆け回っている。以前は音もなく半径50cm以内を通り過ぎる電動バイクに神経を尖らせていたものだが、いまはそうした気負いもない。暑い中大変そうだなと思いながら、道を譲ったり譲らなかったりしている。

あの時と変わらぬ喧騒の中を、そこを泳ぐことが少し上手になった自分に気付きながら、俺は額に流れる汗を拭い、帰路に着く。

また明日から、クソみたいかもしれないが、それはそれで価値のある日々が始まる。

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