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「スジ」に縛られる日本の話

日本在住の中国人ジャーナリスト・王志安さんが、日本の福島第一原発と、その周辺地域を取材した動画を、一連のシリーズとしてYouTubeに発表しています。

先ごろの処理水排出問題にまつわる、中国の反応を受けて制作されたものです。

日本のメディアによる取材でどうしても前提となりがちな「かわいそうな被災者・被災地」という視点にも、欧米的な「悲惨なフクシマ」という視点にも、ましてや中国的なヒステリックに日本を批判するような視点にも立たない、ただ淡々と現地の人々の話を聞くものとして、特別なドキュメンタリーになっていると思います。

日本人にとっても見る価値のあるものになっていると思うので、興味のある方はぜひシリーズをご覧になってみてください(ご本人が、 自信があるシリーズなのに再生数が少ない!と嘆いておられるようなので)。若干怪しいながら、日本語字幕も付けられています。

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シリーズの中で、個人的にもっとも印象に残ったのがこの動画です。

復興庁の地方機関であり、被災地の復興に現地で取り組んでいる、復興局の局長に対するインタビューです。これまでの復興の歩みや現状、これまでにかかった予算などのほか、この局長の個人的な所感を引き出そうとする、鋭いインタビューになっています。

この動画で王さんは、終始「復興の取り組みは、ひょっとして無駄ではないのか?」という視点から質問をぶつけています。

復興地域に戻ることを希望するのは基本的に高齢者であり、またすべての人が帰還を希望しているわけでもない。震災から時間が経ち、もといた人々と土地の結びつきは弱まりこそすれ、強くなることはない。

その状況下で、もといた住民が再び住めるようになる、という意味での復興が達成されたとして、それは限られた人数が少しの間そこに住んだだけで終わり、ということになるかもしれない。では、そこに国として巨額のリソースを投じることに合理性はあるのか? その動機はなんなのか? という問いです。

これに答える復興局の局長のほうは、 すべての予算が福島第一原発の周辺に割かれているわけではないことや、復興は住民の帰還だけではなくその後の地域活性化も見越して行われていることなどについて、王さんに説明を試みようとします。

その説明は疑問に誠実に応えようとするものではあるものの、どことなく核心を避けるようでもあり、婉曲的です。

復興予算の具体的な使われ方や、そこに不正や非効率があったのではないかという批判は日本のメディアからも出ているかもしれません。しかし、こうして復興事業にリソースを割くことそれ自体の是非を問いかけるようなものは、おそらく少ないのではないでしょうか。

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このインタビューを、あえて中国人と日本人の考え方の違いという視点で捉えた場合、そこには非常に日本人的な「スジ」の発想が浮かび上がってくるのではないかと考えます。

「スジ」の発想とは、田中信彦さんの書籍「スッキリ中国論」から借用した表現です。

日本人は「こうあるべき」という形、つまり「スジ」を重視し、目の前の現実よりもその「スジ」を優先しがちである、という論です。日本人として、多くの人に心当たりがありますよね。対して、これとは反対に目の前の現実にどこまでも正直なのが中国人的な「量」の発想です。

日本において、復興事業に巨額のリソースが投入されることについて、その是非を問う声がそもそも上がらない(上げられない)のは、「災害に見舞われた人を、国が補償すべき」という強固な日本的「スジ」の存在が無関係ではないでしょう。

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