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なぜ僕たちは「海外には同調圧力がない」と思いこんでしまうのか

ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎さんによる、日本の同調圧力に関する発言が話題を集めています。

この記事によると、いわく真鍋さんが米国籍を選択した理由は「日本の人々は、いつもお互いのことを気にしている。調和を重んじる関係性を築くから」だということです。そして、「アメリカでは、他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない」ともおっしゃっているそうです。

ご本人にとって日本は肌に合わず、アメリカが適合的であったということはおそらく主観的な事実なのでしょう。しかし、白饅頭さん松井博さんもおっしゃっているように、本当にアメリカでは他人の気持ちを気にする必要がないわけではありません。生存のためにそれなりに「空気を読ん」だり、自分の言いたいことを飲み込んで面従腹背をする場面もあるはずです。

アメリカに限らず、僕の住む中国だってそうです。よく一般的に「空気を読まない」とされる中国人ですが、その感情の発露の仕方と対象が違うだけで、やはり彼らは彼らなりに社会のコードに配慮しながら生活しています。その中で生きづらさを感じている人だってたくさんいるでしょう。これは、たぶんどんな国だって同じです。

ではなぜ、日本では定期的に「日本は同調圧力が強くて生きづらい」「だから優秀な人はみんな海外に行くのだ」というような話題が盛り上がる程度には「海外には同調圧力がない」という認識が広まっているのでしょうか?

このあたりについて、海外在住の人間が思うことを書いてみたいと思います。

隣の芝生は青い

……今日の話題はだいたいこれだけで片付いてしまうのですが、それだとあまりに味気ないのでもうちょっと続けます。

自分が日本を飛び出して中国に出てきた時は、やはりご多聞にもれず「このまま日本にいてもしょうがない」みたいなことを考えていました。同調圧力に疲れたからかどうかは別として、日本での「生きづらさ」みたいなものを感じていたことはやはりあったと思います。

で、そのような気持ちを持って海外に出て来ると、自分にとって良いところとか楽しいところ、つまり隣の芝生の青いところばかりが目につくので「ほら、やっぱり中国(海外)は生きづらくない! これこそ自分の求めていた場所だ! 日本は終わってる!」みたいなことを思ってしまうのですよ。付き合いたてのカップルが幸せの絶頂なのと似ているかもしれません。

しかし時間を重ねるにつれ、どの国だって良いことばかりではないことにだんだんと気がつくようになります。どんな国、どんな環境にも長所と欠点があり、それが自分に合うかどうかの違いでしかありません。

ただ、そこに気づくレベルに至るまで海外生活を続ける人って実はそんなに多くありません。日本の海外経験者の多くは留学や駐在など、期限付きで海外生活を体験します。つまり、悪いところが見える前に帰っていってしまう人も多いのですね。

結果として、海外生活をいいところで切り上げられた人、芝生の青い部分だけを見ていられた人の「海外は生きやすい」という感想が一人歩きしていくのではないかと思います。(過去の自分を含め)日本にいる人も、それはそれで「いま自分の感じている生きづらさは日本社会のせいだ」というストーリーを求めていたりしますしね。それらが合致して、なんとなく「海外には同調圧力がない」という話になるのかもしれません。

僕の周囲では、長く海外生活を続けている人ほど「単純にどちらがいい悪いとはいえない」「海外にだって同調圧力はある」という意見を持つようになっている印象です。どこの芝生も、よく見れば青い部分ばっかりではないのです。

外国人特別枠としての自分

同調圧力の話で言えば、最初に海外に来た時って「外国人特別枠」なんです。つまり、まだその社会の一員としては認められておらず、どこか蚊帳の外にいる状態です。その国の言葉にも習慣にもあまりにも慣れておらず、自分では何もできません。言ってみれば赤ちゃんと変わらない状態なわけです。そのため社会からの同調圧力も発揮されず、逆に周りに助けてもらえたり、優しくしてもらえたりなんかします。

ただこれも時間が経ち、さまざまなことを経験していくと、ずっとお客さんとしての「特別枠」のような扱いではいられなくなる時が来ます。僕の場合は中国語を学んで中国人が中心の職場で働き、結婚して「ウチ(自己人)」の関係に入り込んだくらいの時期から、同化を求められるというか、その辺りの圧を強く感じるようになりました。

おそらくですが、真鍋さんはアメリカという異国において外国人特別枠を保ちながらも、十分に尊重されるだけの研究者としての実力を持っていたため、そのあたりをあまり感じずに生活できているということでもあるのでしょう。一般人の場合はそうそううまくはいかず、どこまでこの圧力にコミットしていくのか? という選択を迫られる場面が出てくることのほうが多いのではないかと思います。

近年はSNSウケもありそう

もう一つ近年に特有の現象として、「日本サゲ」「海外アゲ」をするとSNS、とりわけTwitterでは賞賛の嵐、つまりRTやfavを集めやすいということも関係があるのではないかと思います。

Twitterを日常的に見る人であれば、「日本はこれこれこうで終わっている」「それにくらべてどこそこ(任意の国)はすごい」みたいなツイートが毎日のように万単位でバズっていることに心当たりがあるでしょう。上の真鍋さんのそれなど、ある意味それの典型的な例ともいえます。

これに関しては、実は僕も恩恵にあずかっている部分があるのであまり偉そうなことは言えません。狙ってやっているわけでもあえて露悪的に書いたわけでもないのですが、自分の書いたものの中でも「日本のこれがダメ」みたいな成分が含まれるnoteは、賛否両論含めてアクセスが伸びやすいという傾向が確かにあります。

先ほども書きましたが、やっぱり「日本のここがダメ」みたいなことを誰かに言ってほしいというか、日本を否定してほしいみたいな需要は日本のインターネット上にある程度存在しているのだと思います。その中でも、日本のムラ社会や同調圧力が槍玉に挙げられることが多いのでしょう。

そうして万単位のバズを起こす「日本叩き」を発信したり、それを受け取って共感を寄せているうちに、「日本は同調圧力があってダメ」「海外は自由に生きられる」みたいなことを過度に内面化してしまう人も少なくないのではないかと思います。

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以上、「海外には同調圧力がないというコンセンサスの怪」について自分の思うところを述べてみました。自分で言うのもなんですが、けっこう当たってるんじゃないでしょうか。

他にも何か理由などを思いついた方がいましたら、ご意見お待ちしております。

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