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語学と根拠のない自信

よく自己啓発方面などから「根拠のない自信を持て」というフレーズを聞きます。こと語学に関しては、これはかなり的を得た提言だと思います。

特に中国人の日本語話者を見ていると、このことを強く感じます。ネイティブの僕から見て明らかに文法も語彙も発音もへんてこだけど、とにかく果敢に話す。そして、大抵の場合なんとかコミュニケーションを成立させてしまう。そんな場面に何度も遭遇しました。

ライティングに関してもそうです。最近ボランティアで中国人の大学生が書いた日本語の文章を添削する機会があったのですが、これはちょっとアレだなー…と思うものもありつつ、ほとんどの場合は意味がなんとなくわかってしまうのです(日本語の小説を翻訳し評論した文章で、「作者を与える意図がよく了解した。翻訳を通じて、前よりよく翻訳していた」という文字列に出くわした時はさすがにキン肉マンばりに「意味はよくわからんがとにかくすごい自信だ」と言いたくなりましたけど)。

彼らに共通しているのは、自分の今の能力がどうであれ、とにかく実践の場に出かけていって無理矢理にでもアウトプットを出してやろうという気概です。そうして経験を積むうちに、彼らの日本語はみるみるうちに上達していきます。日本に一度も行ったことがない日本語話者にもたくさん会いましたが、その多くが「本当に行ったことないの?」と思わせる見事な日本語を話していました。

これは、何かと用意周到にしてからでないと行動を起こせない傾向の強い日本人が、彼らから大いに学ぶべき点だと思います。特に語学に関してはなかなか実践の場に出かけず、参考書や語学スクールにお金をただ取られていくばかりの人も多いと聞きます。周到にやるのは悪いことではないですが、どこかでちょっと背伸びをしてでも自分の能力を試しに一歩踏み出すタイミングを決めなければ、本当に自信が持てる日は永遠にやってきません。

僕自身も、最初は日常会話がなんとかこなせる程度の時から「中国語話せます」と宣言して、中国語を使う職場に飛び込みました。当時は今より多少若かったこともあり「とりあえずなんとかなるだろう」という考えだったように思います。

仕事が始まってみると結局僕はスムーズに仕事をするには話にならないレベルでしかなく、その後大きな苦労をしました。しかし、あの時言葉ができないなりに飛び込んでみたからこそ適度な挫折を味わい、そこから成長に繋げることができ、今はそれなりに中国語が話せるところまでたどり着けたのかな、と振り返って思います。

机の上でできる勉強も大事ですし、文法や語順、発音をないがしろにしてもよいというわけではないのですが(「気持ちが大事、気持ちがあれば通じる」ということを殊更に強調するのは個人的にクソだと思ってます。その程度の意識では通じるものも通じません)、語学を学ぶ人は、どこかで実力以上のところに飛び込んでみてほしいと思います。

ひょっとしてあなたに足りないのは、その飛び込むための勇気と、根拠のない自信だけかもしれません。

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