見出し画像

(うつ病・リワーク日記)思い込みが自分を追い詰める

 2度目の休職中に書いています。リワーク通いです。

 私が通うリワークでは「こころストレッチ」という講座があります。第三世代の認知行動療法とも言われる "ACT療法" (Acceptance and Commitment Therapy) を中心にした内容です。
 その中で、印象に残った、大切にしたい話。


備えることは悪くない

 私は「こうなったらこうしよう」と備えつつ物事に対応する方だと思います。

 場合によっては「心配性だね」「細かいね」と言われる。人によっては「気にしなくて良いことに注力する」と評価されたこともありました。
 だから、"気にしすぎることを気にする" ようになった。気にしてない風に装ったりした。

 講座のワーク中や、面談で、言われた。

 「それもあなたらしさ。
 なんか嬉しかった

 "気にしすぎることを気にする"ことは止めても良いんだな、悪いことではないんだな、と考えられるようになってきた。

自分の考えに捉われると悪い時がある

 では、何が良くないのか。それは、自分の考えに捉われること。

 自分の考えだけに捉われて、それが全て、絶対だと思い込むと自分を追い詰める。強いストレス要因になってしまう。

 もちろん、自分の信念に沿って夢中に頑張っている姿を否定するものではない。自分の軸(=Value, 価値)に沿ったことを一生懸命できるのは嬉しいことです。

3つの視点を忘れない

 講座で、ある哲学の言葉を教えてくれた。
 「絶対的な真実はない。全ては相対的なもの」という考え方でした。発生する事実は一つでも、誰もが”自分フィルター”を通して解釈する、のだという。

 そして、3つの視点を意識するワークをやった。

  • 自分視点:自分の軸に沿って動きやすい。エネルギーを発揮し易い。一方で、相手への配慮を欠くことがある。全体像が見えず独りよがりになり易い。結果、社会や周囲と軋轢ができたりして自分に強いストレスがかかる。

  • 相手視点:相手に配慮ができて円滑に進む。結果、対人トラブルが減る。一方で、自分にとって何が大切か見失い易い。本来の自分とのギャップが生じて、ストレスが溜まる。過剰反応になる。

  • 第三者視点:全体が見えて適切な動きができる。誰かの感情に流されず冷静に動き易い。一方で、自分の大切なことを見失う可能性がある。当事者意識が薄れる。心理的な距離は取り易い。

 私は、仕事では相手視点に偏る、家庭では自分視点に偏る傾向があると感じた。

大切なのは視点を行ったり来たり

 3つの視点は、どれが良くて、どれが悪い、という評価はない。そういう視点がありますよね、というだけに過ぎない。

 大切なのは、視点の偏りで自分を追い詰めないこと。ストレスを溜めないこと。
 大切なのは、視点を行き来できること、だった。

 例えば、自分視点だけに捉われて「これは絶対に自分で何とかしなくては」と思い込んでる時に、「あの人なら何て言うだろう?」と第三者視点を取り入れてみる。すると、「いや、自分だけでやらなくて、早めに"手伝って"と言う方が良いのでは」という考えが入ってくる。

 絶対的な真実だと思い込んでいるのは、全ての人にとっての真実とは限らないのです。

不調は考えの偏りを生む

 穏やかに過ごしている今、平然とこのような記事を書いています。だけど、何か不安なことがあったり、不調に陥ったり。

 肝心な時に、考えの偏りから出られない。自分視点に捉われる。それが絶対だと思い込んでしまう。

 結果的に、その認識は正しかった、ということはあるかも知れない。ただ、少なくとも考えの偏りだけで思い込んでいる時は、根拠も偏っている

 例えば、「お腹が痛い=悪い病気」と思い込んで不安になる。痛いことは辛い。きっと悪い病気だ、と思い込む。だけど、悪い病気である根拠になる検査はしてない、とか。
 お医者さんにポンポンしてもらったら、胃腸が弱ってるだけだと言われる、とかもあり得るよね、と"自分の中の第三者"が言う。
 じゃ、一回、診察してもらおう、と現実的な考え方に戻れるのが良い

日頃から練習

 誰にでも、自分視点の考えに捉われる場面はくる。だから、相手視点、第三者視点(俯瞰視)する練習を日頃からしておく。案外、すぐにできるようにはならない。

 いざって時には、できないのだから、平常時に練習をして習慣付ける。

 脳は習慣が好きらしい。
 自分の考えに捉われ過ぎない練習をしておこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?