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(うつ病・復職日記)推し活に憧れる

 2度目の復職後に書いています。

 私が通っていたリワークでは「こころストレッチ」という講座がありました。第三世代の認知行動療法とも言われる "ACT療法" (Acceptance and Commitment Therapy) を中心にした内容です。
 その中で、印象に残った、大切にしたい話。


 *この記事は、"推し活" のこと自体は書いていないです。

人生の価値(軸)は変化する

 以前、ACT療法を受講して大切にしたいと思った話を書きました。

 人生において大切にしたいこと。軸。
 今は「家族と”一緒に笑顔になる”」が軸になっているな、と感じています。家族を笑顔にする手段として、自分の命を削って働く→体調を崩す、では成り立たない。そういう気づきがありました。

 ここまでは、以前、思ったことの振り返りです。

推し活に憧れる

 唐突に書いた "推し活" というもの。今の私には、なんだか素敵な響きに聞こえます。

 パートナーとの関係は良好です。週末は一緒に遊びに行ったりする。
 家族との関係も嬉しいことに良好です。同じことを一緒に楽しむこともある。

 ありがたいことです。とても嬉しい。そして、少しだけ欲が出てきました。"一緒に推し活できれば、もっと楽しいのでは?"と。

 "推し活" って、どんな感じ?

 それが私は分かっていないだけかも知れない。
この人と "一緒に推し活" している日々が楽しい、と思える感じに憧れます。"一緒に" という所がポイントです。

「私はこういう者です」と言えるようになりたいのかも

 私は所属している組織への愛着は強い方だと思います。母校や会社の一員と思えることに一定の安心感を覚えます。

 今までは、⚪︎⚪︎学校の私、⚪︎⚪︎会社の私、と言うことができた。

 そんな私が 40歳代の後半を迎えて、人生の転換期を意識するようになってきた。自分が何者なのか、を再定義したい。そう思っているのかも知れないな、と思いました。

 学校や会社という誰かが作った組織に依存する私、ではない私自身はこういう人だと、と胸を張って言うことができる私になりたいのかな、と思った。

 その気持ちの表れの一つとして「⚪︎⚪︎推しの私です」と言いたい、と思っているのかも知れません。パートナーと一緒に楽しめることができれば更に良い。

 今の私は、「推し活に憧れている私」です。

 楽しもう、という感覚が戻ってきたことが嬉しいです。

 おわり

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