(復職日記)「いつも自分ばかり」は黄色信号です
2度目の復職後に書いています。
体調不良に陥り、通院、休職、休養、リワーク通所、復職/社会復帰まで。
置かれている状況、要する時間、使う制度、支援してくれる人、環境。全てが誰ひとりとして同じことはないと思います。私の場合、2度の休職を経験してますが、その2回ですら何もかもが違った。
その中で、印象に残ったことを振り返ります。
自分の味方、私の場合は家族
休職に至る程、弱ってしまった時。そんな時でも「ここにいて良い」と思わせてくれる場所や人がいるのは幸せなことです。
特に何かをしてくれる訳ではない。何なら、いつも通り過ごしてくれている。ふと、目線が合うと「ん?」って表情はしてくれる。それくらい。
それだけで安心できる。
それは場所かも知れないし、人かも知れない。両方、セットだと尚、嬉しい。
私の場合は、自宅であり家族。
とはいえ、家族みんながそうか、常にそうか、と言われると違う。
厳しいことを言ってくる家族もいる、言ってくる時もある。家族だと、むしろ容赦ない。これは、私の疾患が理解がしにくい環境がそうさせているのだろうな、とやり過ごす。
身近な人だからこそ、思ってしまうことがある
いつも自分の味方でいてくれる人。とても身近な人。
復職をして、普段の生活リズムが戻ってくるほど、その嬉しさを忘れてしまう。
リモートワーク中心の生活になった私には、自宅が職場のようなもの。自ずと、家事全般に目がいく。やっておこう、がいつの間にか「やっておかねば」になっていく。程々に分担すれば良いだけなのに。
休憩の合間に気分転換にやっていた掃除や洗濯も、気がつくと「自分のノルマ」に感じてしまう。誰に言われた訳でなく好んでやっていたにも関わらず。
気が付かないうちにストレスが溜まっていく。そして、つい考えてしまうのが、
「いつも自分ばかり」
ということ。
考えが偏り過ぎですよね
「いつも自分ばかりやっている」
「いつも自分ばかり我慢している」
「いつも自分ばかり・・・」
という言葉が出てきている時、最初は気がついてないです。
そして、繰り返し考えてしまうとストレスを積み重ねてしまう。
この言葉が頭に浮かんでいることには早く気が付きたい。なぜなら、考えが偏り過ぎているから。現実に沿ってない考えなのでストレスを溜め易い。対立も生みやすい。
冷静に考えて "いつも" じゃないはず。"自分ばかり" でもない。
ある程度の割合で相手も同じようにやってくれている、又は、替わりに他の何かをやってくれている。
"いつも" = 100% のことなんて、無理すぎるのです。物理法則や数学じゃあるまいし、現実的ではないことです。
落ち着きを取り戻す
こんな考え方に捉われてる自分が最近までいました。
これは黄色信号です。その先に進んではいけない合図です。止まろうと思います。
止まることができて、ようやく「いつも自分ばかり」と考えていたなぁ、と気が付いた。気が付いたから止まれたのかな。正直、分かりません。そんなに器用ではありません。
何はともあれ、少しずつ、落ち着きを取り戻しました。
これまで起きていた辛いことに比べたら、些細なこと。だけど、こうやって落ち着きを取り戻せる過程を振り返れるようになったのは大きな変化です。
以前の自分よりも、こういう考え方ができるようになったな、「おや、成長しているな」と感じます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?