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新しい宗教意識

タラントのたとえ(要約)


 イエスは,マタイ伝25章において,神の国を資産運用に譬(たと)えました。話はこうです。ある資産家の主人がいて,その主人は留守中,僕(しもべ)たちに資産管理を委ねました。それぞれ僕の能力に応じて,相応の資産を委ねたのです。主人が帰ってきた時,僕たちに資産の運用状況を尋ねました。ある者は大きく資産を増やし,ある者は少し増やし,ある者は全く増やしていませんでした。そこで主人は,資産を大きく増やした者に大いなる栄光を与え,資産を有効活用しなかった者を酷(ひど)く罰しました。
 神の国にふさわしい生き方を教えるために,資産運用を譬えに用いるとは,何やら不謹慎な気もします。が,イエス当時の古代ローマ帝国は,古代資本主義経済の形成期だったことを忘れてはなりません。ローマ帝国による地中海周辺地域の統一により,一気にグローバル化が進み,貿易の範囲,投資の機会が激増したのです。さながら,インターネットによってグローバル化が進み,株式・債券・為替・コモディティ(商品)・不動産・仮想通貨と運用対象が増え,金融リテラシーが求められている現代社会と似た状況だったのかもしれません。つまり,資産運用は,庶民に身近な話題だったのです。

イエスの真意


 この譬えによって,イエスは何を示唆したのでしょうか?資産家の主人とは,創造主である神のことでしょう。僕(しもべ)たちとは,人間のことです。委任された資産(タラント)とは,各人の神性(才能(タレント))のことでしょう。“儲ける”とは,その才能を発揮することだと思われます。つまり,イエスはこう言いたいのです。神は,この世界を人間に託された。そして,この世を素晴らしい世界にするよう,各人に独自の能力を授けられた。故に,私たちは,神から与えられた“創造性と独自性”を発揮して,この世を善化しなければならない。この地上に神の国を実現しなければならない。各人に与えられた使命・役割・能力はバラバラだが,それぞれの力に応じて,唯一無二の使命を果たせ!これが,イエスのメッセージの本質だと思われます。
 創造性と独自性,これこそ,キリストが我々人間に期待した力です。旧約聖書にある「人間は神(創造主)の似姿として造られた」とは,「神は人間に創造性を授けられた」という意味です。また,「それぞれを名前で呼ばれた」とは,「各人には独自性がある」という意味です(聖書における命名とは,本質の付与を意味する)。

宗教意識のイノベーション


 考えてみれば,今までの宗教的意識には,“創造性と独自性”が欠如していました。むしろ,“模倣性と同質性”が重んじられてきたのです。従順な小羊としておとなしく教会的権威に従い,悪魔が支配する世界に怯(おび)えつつ生きる。まるで,地球の乗客のように,傍観者として生きてきたのです。これからは,そうであってはなりません。イエスが言うように,我々は地球の乗組員として,主体的に世界に参与しなければなりません。神の似姿が世界を変えずして,誰が世界を変えるのでしょうか?
 これからの宗教的意識は,神性の発揮を通して,創造的に世界を変革するものでなければなりません(フョードロフ「共同の事業」)。これらの宗教的意識は,唯一無二の独自性を発揮して,旧世界を突破するものでなければなりません(ハンナ・アーレント「人間の条件」)。これらの宗教的意識は,権利ではなく義務を,幸福ではなく使命を重視するものでなければなりません(ボンヘッファー「倫理」)。
 ユダヤ教的な宗教意識は,律法という重荷を背負う「駱駝(らくだ)の倫理」でした。キリスト教的な宗教意識は,神の教えに従順な「小羊(こひつじ)の倫理」でした。しかし,これからの宗教意識は,悪なる世界に立ち向かい,道なき道を切り拓く“勇気ある敢行”でなければなりません。すなわち,「獅子(しし)の倫理」でなければなりません(ベルジャーエフ「人間の運命 逆説的倫理学の試み」)。イエスがマタイ伝の最後に,「勇気を出せ,雄々しくあれ(28-18~20)」と語る所以(ゆえん)です。
 

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