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< 2023年の靖国参拝に思うこと >

3月第1週の土曜日、クリスタルの仕入れに出かけたついでに靖国神社まで足を伸ばしました。一年以上ぶりの靖国参拝です。
特に旗日でもない土曜日の午後なのに参拝の列が出来ており、春休みだからでしょうか、 比較的若い人が多いのも印象的でした。

いつもなら、手を合わせて靖国の英霊に感謝を捧げ、命を賭して守ってくださったこの国のためにわたしもがんばります、と誓いの挨拶をして終わるのですが、今年は気づいたら「お願い」になっていました。
「どうか見守っていてください」という霊前の宣誓ではなく、
「どうかお守りください」という神頼みの祈願になってしまった…

今になって思い返すと「英霊であるご先祖様に心配をおかけしてしまった」と、反省しかないのですが、この時はどうしようもないほどの危機感が込み上げてきて、思わず言葉が溢れてしまっていました。

かつて、平和的だけれども強かった日本は、国外勢力にどう対抗すればいいかを考えてこれまでやってきました。
日本は世界最古の国民国家ですし、何事も国民総出で立ち向かったわけです。男も女も、老いも若きも、武人も百姓も、一丸となってがんばった結果、今もこの国とこの国の文化は存在しています
明治維新も半分は国外勢力が仕掛けた倒幕クーデターですが、それでも明治政府は植民地支配か日本をら守り抜くことに成功しました一介の下級武士でも、国を担えばそれなりの働きができるという、“日本人の日本人たる所以”を発揮したわけです。
遡れば、戦国時代の大名もルソンがフィリピンになったことで、南蛮人による植民地支配に危機意識を持っていましたし、豊臣秀吉のキリシタン宣教師追放もその一環でした。あのローマ帝国ですら出来なかった「キリスト教の禁止」を我が国はやってのけたのです
徳川幕府時代も、武器の近代化で決定的に遅れをとる幕末までは何とか維持していました。鎖国とは白人のキリスト教による浸透を防ぐためにあったと言えるでしょう。
もっと遡れば鎌倉時代の元寇もそうですし、さらに古くは「古事記」の神話時代に描かれている、縄文から弥生時代にかけての縄文文明(古日本文明)による日本列島の再統一も同じ文脈でした

ところが今回は、自国の政権が国外勢力に乗っ取られているために、日本人が日本人を殺すという暴挙が行われています
政権や官僚側に完全な悪意があるとは言いませんが、悪意の権化のような存在に操り人形にされており、そのことを大半の国民が気づいていないという状況です
これが今回の「亡国の危機」の根幹にあると言えるでしょう
戦後の徹底的な情報統制と洗脳教育の結果、あの強靭だった日本や日本人は、今やすっかり骨抜きにされ、バラバラにされてしまったのです

自分で思考することも自分で情報を取りに行くことも忘れ、与えられた情報だけで全てを判断し、与えられた役割、与えられた制限の中だけでヌクヌクと、周りの目を気にしてビクビクと生きるわたしたちの姿を見て、ご先祖様は何を思うでしょうか…

少なくとも2020年のコロナの前に、日本人は先の「大東亜戦争」の意味について気づかなければならなかった…今さらですが、そう思えてなりません

あの戦争の構図は、有色人種の最後の希望だった「日本」に対する、白人の代表だった「英米諸国」による侵略戦争であり、なぜ日本が南に向かったのかは、資源の確保という目的以上に、植民地侵略されていた東アジアを解放するためだったと、日本人として認識する必要があります。その大義のために多くの優秀な若者が戦場に赴き、血を流し、命を散らしたのです。そうでなくては英霊の魂が浮かばれません

当時の日本は悪の枢軸国側というレッテルと貼られていますが、実際には「善意」によって統治された「愛の皇国」というのが本来の立ち位置であり、一方、正義の民主主義国家アメリカというのは偽りで、実際には闇の金融勢力に乗っ取られ「金権腐敗」した「悪の共和国」だったわけです
言い方がドラマチック過ぎるかもしれませんが、この構図は今も変わらず、「悪の共和国」が「愛の皇国」を侵略し、今なお属国化していることに気がついているかどうかで、ワクチンの「闇」と「悪意」に気づけたかどうかも決まってしまったように見えます

「洗脳戦」「認知戦」「情報戦」への完膚なきまでの敗北…
これが第5世代戦争の在り方だと言ってしまえばそれまでですが、ここまで連帯感を失い、危機意識を共有できなくなった今の日本人に、うすら寒いほどの「亡国の危機」を感じてしまったのも事実です思わず神頼みしたくなるほどに…

日本人同士のコミュニケーションはあくまで「善意」が前提です。相手の「悪意」に対してはすこぶる弱い。だから今も「オレオレ詐欺」が絶えないわけです。
俗にいう「お人好し」が日本人の気質であり、これは長い歴史の中で「善意」と「利他心」で社会が運営されてきたことを意味しています

日本人は、2000年以上前に天皇という「権威」から政治権力を移譲されるときに、時の政権(幕府)は天皇の「おおみたから(大御田彼等)」である「民(農民)」を預かる立場になるという政治の仕組みを発明しました
これが画期的だったのは、こうすることで権力者は「民」を所有できなくなったばかりか、最高権威の「宝物」である「民」の幸せのために政治を司る「責任」が生じたことです
これは縄文時代から続く「長老が村社会を治める」という仕組みを制度化したものと言えるかもしれません。
信頼される「長老」が、情報を共有して全員が納得する形にまとめ上げ、それぞれが役割分担して問題に対処したり、より良い社会を作り上げていく社会… 
おそらく長老を出す家柄は、その村で最も古い血筋でした。まとめ役としてのシャーマニックな存在は、実力よりも権威性が重要で、それがその村の権威に繋がったからですその古い血筋の存在が村人にとっての誇りであり、アイデンティティだったと思われます。その長老役を「天皇」に置き換えたと考えれば、この制度は縄文時代以来、1万年以上も続いてきた仕組みの再構築だったと言えるでしょう。
これが古来日本の「政(まつりごと)」の中心的思想であり、古事記によれば、これを「しらす(知らす・治らす)」統治といいます
「しらす」「しろす」になり、「しろしめす」「すめらぎ」になり、皇(すめらぎ)になったと解釈されています。

学校ではこれを「律令制」と習いますが、背景となる思想については何も教えてくれません。
日本書紀には、第16代仁徳天皇による「皇室の存在は民(たみ)を本(もと)とす」という言葉が記されています
この「皇主民本主義」というべき政治思想と、7世紀以降の「律令制」と呼ばれた政治制度は、世界の歴史上どんな大国にもできなかった「究極の民主主義」を実現していました
日本人が時の政権を、揶揄しつつも「お上」として信頼してきたのは、こういう(民本主義的な)体制があったからです。政治権力は「民」の安寧と幸福のために責任を負っているという認識が政治権力の側にも民衆の側にも浸透していたからこそ、日本人はこれまで能天気に生きて来れたのです
今は完全に裏目に出ていますが…
それがどれだけ良く出来た仕組みだったかについては、大政奉還以降の明治政府が「藩幕政治」から「律令制」に戻したことからも分かります。
明治22年の「大日本帝国憲法」の発布までは、「太政官」と「神祇官」からなる千年前の制度で国家を運営していました明治維新というムーブメントの本質は、刷新ではなく「復古」だったわけです。

「しらす」は社会の隅々まで「知らしめる」ことですから、「情報を共有する」という意味です。極力情報格差を無くし、同じ意識レベルで問題に立ち向かういう、非常に水平感のある社会の姿がそこに見えてきます
俗にいう「丸チョン」の世界観です。
真ん中にまとめ役として天皇がおわして、あとはみんな同じ立ち位置という平等な世界観です。役割が違うだけで、天皇ですら同じ地平に立っているのです。この価値観は、欧米のピラミッド型の階級社会と対極を成すものです。

「自由・平等・博愛」の精神はフランス革命時に生まれた人類の理想とされていますが、フランス革命自体がユダヤ人によってルイ王朝を打倒するために仕組まれたものですし、少し考えれば「完全な自由」と「完全な平等」が相容れないことも分かります。これはあくまで革命達成のための空虚なスローガンであり、絵に描いた餅なのです。

奴隷制の欧米社会では「自由」は獲得するものでしたが、日本人にとって「自由」とは生まれた時から備わった権利であり、共同体の共通の利益ために制限すべきものと捉えていました
そして自由意志の行使も、平等性も、共同体がそれを認めてくれる限り実現できることを知っていたのです。これを「個人主義」に対する「共同体主義」といいますが、そもそも人間は社会性のある動物です家族や共同体なくしては人は生きていけません
自由と平等のバランス、そして博愛の精神は縄文時代から実践されてきた日本人の美徳です。何も外国に教えを乞う必要はありません。

「近代個人主義」という思想そのものがフェイクであり、「ユダヤのディアスポラ思想を普遍化したものに過ぎない」と気づく必要があります
アメリカ人は「合衆国憲法」を世界最初の民主憲法と誇らしげに言いますが、現存する世界最古の民主成文憲法は聖徳太子の「十七条の憲法」です「合衆国憲法」の千年前に発布されたものですしかもこの「十七条の憲法」には、民主主義を実践するための心構えまで書かれています
アメリカ合衆国憲法は「神の前での平等」を謳いますが、あくまでこれは白人男性に限ったもので、この時代はまだ女性は男性の所有物でした。これを草記したジェファーソンは、黒人奴隷が鞭打たれる音を聞きながらこの文言を書いたわけです。まさにダブスタ、欺瞞という表現が思い浮かびます。

ところで「しらす」統治を叶えるには、もう一つの難関があります。長老がまとめ役になるのは「直接民主制」が実践できる範囲に限られます。お互いの顔が見える小さな社会ならまだしも、日本列島全域をカバーするような情報共有は本当に可能だったのでしょうか?
実は、これを担ったのが「神社のネットワーク」だったことも分かっています。
中央で出された「おふれ」は、長老である神主達を通じて数日の内に全国に行き渡ったといいます。そして村人の声をすくいあげるのも神主の役目でした。
律令体制を担う二つの柱として、行政を司る「太政官」と並んで「神祇官」が存在したのは、この双方向の情報共有システムが、「しらす」という政治体制に必要不可欠だったからですこの神社間のネットワークがすでに存在していたからこそ、律令制は実現可能だったとも言えます
「大化の改新」以降、平安時代が始まるまでの古代の政治改革も、縄文時代への「復古」だったのかもしれません。

当時は神社と言っても「お社」はまだありません。そこにあったのはしめ縄を貼った大木であり、巨岩であり、稲籾を備蓄するための高床式の「倉」でした
「神社神道」は仏教伝来以降、当時としては異様に見えたであろう仏閣が建てられ始めたことで、それに対抗するために神社を建立するようになったものです。

「米」は3年から、最長で5年ほど備蓄が可能な画期的な作物でした風水害や地震などの自然災害が多い国土の中で、どこかしらで災害が起こると「米」を融通し合う関係が広がっていったと考えられますそれが「神社のネットワーク」と「倉」の存在に見てとれるのです
そういう意味で「神社神道」以前に、縄文時代から連綿と続いてきた「古神道」というものの凄さを思わざるを得ません。
この「古神道」の奥に垣間見える思想や信仰には、今回の文明期にはない「本質的なもの」を感じさせます
これからの時代にも通用する「スピリチュアル」な世界観です。
何しろ、アトランティスを始めとする前文明期が完全に滅んだ13000年前より以前から、縄文文明はこの国にあったのですから。

↓この内容をさらに詳しくお話しする機会もあります。

「古事記」を読み解くと、古事記に書かれている時代と、古事記が書かれた時代、そして明治維新以降の「現代」が重なって見えてきます
天孫降臨と神武天皇による列島の統一は、縄文系の文明による「しらす」の国家の再編でした。そして古事記が書かれた7世紀から9世紀も、天皇と律令制による「しらす」国家の制度的な再構築だったと言えます。

そして今日本は明治維新以降、3度目の「国難の時代」にあります。今回は人類全体を巻き込んでいるという意味で、歴史上最大の国難なのかもしれません
その最大の山場が、「原爆」と「絨毯爆撃」よる民間人の殺戮によって先の戦争が「終戦」を迎えた時だと思っていましたが、日本人のワクチンの接種率と洗脳による思考停止状態を見るにつけ、最大の山場はこれからのような気もしています

おそらく今年の早い時期に、ワクチンによる犠牲者は大東亜戦争の死者を超えるでしょう。1年半前の靖国参拝の投稿で、2022年のワクチン死は150万人以上、場合によると300万人と予測しましたが、低い方は当たってしまいました。
今年中にワクチン死は日本だけで累計千万人を超えると思われます。場合によると2000万人くらいは亡くなってしまうかもしれません。世界で一番ブースターを接種してしまった日本は、世界で一番過酷な人口減少を経験する可能性があるからです。
しかしそれをいち早くくぐり抜けることで、世界に先駆けて体制を整えることもあり得ます鍵となるのは1000万人が覚醒することだと思っていますが、そのための情報共有、つまり「しらす」社会を実現するのは、今回は神社ではなくSNSなのかもしれません
イーロン・マスク氏が指摘するように、日本人の発信力は世界でも群を抜いています。10年ほど前にブログが全盛だった頃も、インターネット上にある文字で一番多いのは、英語ではなく日本語だったことが話題になりました。
英語は世界中の人たちが使っている一方、日本語はほぼ日本人しか使っていません。日本人は日記を書くのも読むのも大好きで、老若男女どんな世代にも確かな文章表現力があります。Twitterも同様に、日本語のコンテンツが非常に多いと推察できます。この日本人の発信力こそが日本を守る最後の砦なのでしょう。

日本の人口が1億人まで減少した頃、1割にあたる1000万人の日本人が目覚めて次の時代を創っていく…これは十分起こり得ることです
風の時代は「民意」の時代です誰かに救ってもらう、誰かについていく、誰かに導かれる時代はもう終わっています自分を導くのは「内なる魂」であり、一人一人の「内なる神性」が問われる時代なのです
次の時代の救世主は、この1000万人のことなのかもしれません

↓まだ肌寒い薄曇りの中、早咲きの桜が咲いていました。

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