<靖国神社に行ってきました> (2020年9月6日のFacebook過去記事より)
写真は日本一の大きさの巨大な鳥居と靖国の本殿です。
先月は引っ越しのバタバタで行けなかったので、今年初の参拝でしたが、9月でも35度という猛暑日でした。
何年も続いた整備工事も終わって参道がすっかりきれいになり、休憩どころがモダンなカフェとギャラリーのようなショップに変貌し、遊歩道には「さくら陶板」をテーマに全国都道府県の陶工さんが奉納された作品が並んでいました。かっこよくなったなぁ…という印象と共に、靖国神社が今を生きる人たちに大切にされていることがよく伝わってきます。
日本人は遥か縄文時代の昔から、殺し合い・戦争を忌み嫌う平和的な民族です。戦国時代ですら各地方の文化や商業が栄えた時代で、実はあまり争いをしていません。
大名同士のつばぜり合いや、メンツを賭けたぶつかり合いは確かにありましたが、何しろ農民が合戦の見物に行けるのです。大陸の戦争からしたらスポーツみたいなものです。戦国ドラマのイメージはかなり作られたものと言えるでしょう。
当時、戦国大名たちがなぜ天下統一を目指したのか?
それはスペイン、ポルトガルの侵略がルソンや明(みん)まで迫っていたからです。そして侵略の先兵である南蛮商人とキリシタンの存在に目を光らせていました。ルソンはスペインに侵略され「フィリピン」にされてしまいました。早く天下を統一して外国勢力に立ち向かわなかれば、内戦に持ち込まれたり大名達が各個撃破されてしまうという危機感があったのです。
でも戦国ドラマにそんなセリフは出てきません。植民地時代(白人による世界侵略時代)は歴史教育のタブーだからです。特に日本では。
大陸の戦争は民族を丸ごと虐殺するという悲惨なものです。カソリックとプロテスタントの宗教戦争だった30年戦争では当時のドイツ地域の人口が1/3になり、フランス革命では200万人もの死者を出し、アメリカ南北戦争では70万人の自国民が犠牲になっています。
国内紛争ですらこうなのです。新大陸では1500万人以上が虐殺され、植民地政策では、先住の島民の9割が死滅することなどザラでした。
戦国時代最大の合戦と言われる「関ヶ原の戦い」でも死者は1万人程度。多く見積もっても4万人と言いますから桁が違います。
明治維新では戊辰戦争の死者が最も多いですが、明治維新全体での死者が3万人程度と推測されています。
明治維新のヒーロー達や長州、薩摩藩の活躍が華々しく語られますが、あれも多分に作られたイメージで、イギリスのユダヤ人達が長州、薩摩の下級武士に金を出して倒幕運動(クーデター)を仕組んだというのが本当のところです。国内を分断、混乱させて植民地にしようという算段です。フランスも幕府側について内乱に加担しました。
でも一塊のアウトローと言っていい下級武士達でも、ちゃんと国全体のことを考えられるのが日本人です。そして立場がその人を立派にしました。伊藤博文などがその代表でしょう。さらに商習慣がしっかりしていて賄賂が通用しなかったのも大きかった。結局ユダヤ資本は入り込めなかったのです。幕府もフランスからの融資を断りました。
インドのムガール帝国はその手で国を滅ぼされましたが、賢明な日本人はそれを退けたわけです。結局のところ欧米列強の最後のフロンティアが日本でしたから、我が国は英仏に侵略にされかかったところを、明治政府の樹立によって危うく乗り切ったというのが歴史の真実でしょう。
明治政府が誕生してからの大きな戦争は日清戦争です。この時の死者は、ほぼ戦闘員のみで約1万3000人と言われています。そのうち戦死者は3000人あまりで、9000人以上が疫病で亡くなりました。支那大陸の衛生環境の酷さがよくわかる数字です。清潔な日本人は大陸には余程馴染まないのでしょう。また利己主義の支那人に集団戦闘はからっきし向きませんから、清軍は装備は立派でも戦いは負け続きでした。
このくらいまでは日本人も経験済みの戦(いくさ)のレベルだったと言えます。でも次の日露戦争の犠牲者は11万人に跳ね上がります。
白人国家と有色人国家の初の総力戦、そして初の近代戦と言われた戦争で、世界中が注目しました。犠牲が大きかったのは、機関銃掃射、砲撃戦、爆弾、地雷、毒ガス等、武器の殺傷力が格段に上がった結果ですが、白人との戦争だったからとも言えます。彼らはバイキングに象徴されるように生粋の戦闘民族であり、侵略者ですから、戦闘も自ずと苛烈で血生臭いものになったのです。
次の第1次世界大戦では欧州に甚大な被害を出しています。民間人の犠牲も多く、欧州全体で850万人以上が亡くなりました。近代兵器は非常に残酷な上に、工場で働く民間人も準戦闘員と見做され、戦争が国民全体を巻き込む総力戦の様相を呈してきました。
そして第2次世界大戦です。日本が戦ったのは大東亜戦争ですが、主に後半のアメリカとソ連の攻撃によって日本は多大な被害を蒙りました。
日本人の犠牲者は民間人39万人、戦闘員174万人、合わせて210万人です。戦国時代、明治維新からすると目眩がするほどの数字です。
しかし第2次世界大戦における民間人の犠牲者は世界全体で8000万人(!)とされています。当時の世界人口の2.5%が失われた計算です。
ソ連の昭和14年の人口は1億9000万人ですが、先の大戦で戦闘員、民間人合わせて2700万人が犠牲になっています。日本の10倍以上です。
ドイツも同年の人口7000万人のうち、850万人が亡くなりました。ドイツはナチス政権が崩壊し、敗戦で国全体が蹂躙されたのも大きいですが、日本のおよそ4倍の犠牲を出しています。
当時の日本の人口は8000万人ですから、その2.5%なら民間人だけで200万人の死者が出てもおかしくはなかったと言えます。何しろ本土空襲に遭い、原爆まで落とされ、ソ連の対日参戦で満洲が蹂躙されたのです。それが人口の0.5%に収まっているのはなぜか?
ねずさんがブログでその答えを書いてくれています。
「数字をよく見るとわかります。民間人の犠牲は39万人、戦闘員が174万人とあります。この数字が示すもの。それは、帝国軍人が多大な損失を出しながら、勇敢に、そして立派に戦ってくださったおかげで《多くの民間人の命が守られた》という事実です。
私たちは、そうした、若き日の父や祖父のはたらきによって、いま、この命をいただいています。そしてその命は、ただただ若き日の父や祖父が、未来の日本がやすらかな世になることを願って、それこそ命がけで戦ってくださったおかげで、いただくことができた命です。
そのことに感謝の思いを常に忘れないこと。それは、日本人としての、ごく自然な、ごくあたりまえの常識とすべきものであろうと思います」
そしてもう一つ、天皇が戦闘を止められたからです。
これも以前のメルマガに書きましたが、昭和天皇が人類全体のことをお考えになり、このままでは核戦争に発展する、人類が滅亡してしまうと、終戦のご聖断をされたからこそ、民間の犠牲は最小限で済みました。
ドイツのように政府が崩壊して国がなくなるということもなかった。
このとき帝国陸海軍は武装解除しましたが、政府も機能しており、何より天皇はご健在でした。我が国自ら銃を置いた「終戦」であって、「敗戦」ではないわけです。今はなぜか日本が無条件降伏したかのように言われるのは、アメリカが占領政策で流布したプロパガンダ(嘘)です。
確かに、本土決戦をすれば最終的にはアメリカもソ連も撤退させ、戦争として負けなかったかもしれない。でも日本がボロボロになって戦後の復興もままならなかったかもしれない。そうすると、独立したてのアジア諸国に経済的な援助ができず、アジア全体が沈んだままだったかもしれない。そう思うと、天皇のご判断は正しかったとも言えます。
問題なのは敗戦コンプレックスに染まった現代人のアイデンティティです。
日本人は戦国時代からずっと、何のために一丸となり、何に抵抗しようとしたのか? そのことが分かれば、日本人は本来の歴史を取り戻し、本来の誇りを思い出すことができます。
さらにダメ押しでもう一つ、20世紀最大の出来事は何でしょうか? それは間違いなく、500年に及ぶ白人による植民地支配から人類が解放されたことです。
でも、これを世界の常識にしてしまうと、欧米の白人国家はまことに都合が悪い。そして自分たちが悪で日本がヒーローになってしまう。特にアメリカはアイデンティティ・クライシスを起こすでしょう。アメリカの正義のヒーロー好き、自分は正義だ正義だと声高に主張してきたのは、ある意味後ろめたさの裏返しです。
そして今も世界を牛耳っている国際金融財閥は、植民地政策を実行し、ボロ儲けした人たちの末裔ですから、そりゃタブーにもなりますわ…
靖国神社は幕末の動乱以降、国難に立ち向かい、対外的な戦争で散華された英霊達を祀っている神社です。300万柱もの英霊が眠っています。
縄文時代以来の長い長い我が国の歴史の中で、150年という短期間にこれほど多くの日本人が亡くなったことはありませんでした。どれほどの優秀な人材が、どれほど頑健で健康な男達が戦地で散華されたのだろうと思うとき、非常な無念に駆られるとともに「ありがとうございます」と深くこうべを垂れたくなります。
今100歳以上の高齢者はほぼ女性で占められていますが、戦争がなかったら、きっと100歳以上の健康な男性も結構いらしたことでしょう。
英霊の皆さんの願いは、親兄弟が無事でいてくれると共に、次の世代が平和で安全な世界に暮らせることだったはずです。
だから今を生きる私たちは、靖国の英霊に感謝を捧げつつ、まずは光に戻っていただき、霊界に戻れば転生できますから、次は幸せな人生を送れますように…と祈ることだと思っています。
私たちサトルセラピストは3の氣(エネルギー)で「魂」にもエネルギーを送れますから、年に一度くらいは靖国神社に参拝して、ぜひ英霊の魂に感謝と光を送ってください。
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