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眠れぬ夜に、サントーシャ。

困った、困った。

白状すると、11月・12月と上手く睡眠がとれていない。
眠れないほど忙しい、なんてことは全くないのだが、今までと同じ時間に布団に入っても寝つけないのだ。
正直、すこし困っている。

カフェイン・アルコール制限、スマホ・PC制限、適度な運動、寝る前瞑想、ホットミルク…etc。あっさい人生経験を掘り返してひととおりやってはみるものの、目覚ましい効果はなく。

身体だけでも休めよう、と布団でじっと目を閉じる。
これまで睡眠不調に陥ったことは何度かあり、20代の頃ひどいときは睡眠導入剤を処方してもらっていた。あのときは睡眠時間がとれないまま働いていたら、体内リズムがめちゃくちゃになっていたのだった。「ストレスを感じている」なんて改めて認識できないほどに、それは私の生活に深く食い込んでいた。
今回は何というのか、思い当たることが無い。
むしろ11月・12月は比較的穏やかである。あまりにひどかった7-9月の夏バテの影響なのか、もしくはこれから起こる大きな変化の予兆なのか。
この、原因を探る作業も結局答えはないので苦痛である。
 

マヨナカ・プラクティス

AM2:00頃になると眠ることへの執着に疲弊して、諦めモードに入ってくる。
そんなことが続いたある日、明日(ていうか今日)も早いというのにモソモソと布団から這い出した私は、暗闇のなかヨガマットへ向かった。
眠れないなど貧弱!貧弱ゥ!(ジョジョの奇妙な冒険)。
我、ヨガをする者也。
シルシャーサナ(ヘッドスタンド)、ハヌマーンアーサナ(前後開脚)、ウルドヴァダヌラーサナ(ブリッジ)、太陽礼拝A・B…。
ふだん好きでもない、なんなら苦手なアーサナも、もくもくと練習した。コンタクトレンズも眼鏡もせずぼんやりした視界のなか、寝間着で。
 
気づけばAM4:00、睡眠不足は改善されるどころか深まるばかり。
息切れしながらマットに寝ころび、暗闇を見つめ、心から思った。
あぁ、もう十分だ、と。
 

暗闇に浮かぶ…。


つかみかける、「サントーシャ」の意味。

12月の我がstudio KIKIのレッスンテーマはヨガ哲学におけるニヤマ(勧戒)から「Santosha(サントーシャ)」を選んだ。意味は「知足、足るを知ること。今の自分に満足すること」
物欲やお出かけ欲を刺激されるホリデーシーズンにあえてこのテーマを選んだのは、1年の締めくくりに、今すでにあるものへの愛と感謝を捧げたかったからだった。
意味はアタマでは理解して、生徒さんにも伝えてきたつもりだったが、この真夜中ロンリープラクティスを経て、さらに1つサントーシャに近づいたような気がする。
眠れず、頭も視界もぼんやりとして、ままならない身体と呼吸を用いて行うヨガは、今までで一番の心地よさを私にもたらした。
 
うまく説明できない。でも心から思ったのだ。
眠れなくてもいい、不安定でもいい、素晴らしい心身を持たなくてもいい。
今の自分で、十分なのだと。

目標なんて、なくていい。

ヨガを始めて4年とすこし。
実践者としてもインストラクターとしても未熟なのだと、日々思う。
そんななか今夏からインスタグラムを真剣にやり始め、フィットネス関係者・起業家さん・コーチング勢アカウント等から「Yurieさんの目標はなんですか?」とDM等で聞かれることがたまにある。(大抵そういった方は自分のビジネスの養分となるものを探しているのであり、私に興味があるわけではないのだが。)

私はこの質問がとても苦手だ。
そもそも会ったこともない人にそこまでのオープンマインドを要求されたくない、という前提を抜きにしても、目標というものは特にないのだ。
大きな流れに逆らわず、そのときどきに目の前のことに必死に取り組み、出会いやご縁を大切に、そうした一喜一憂を積み重ねて、「今、ここ」に流れ着いた。
これからも、そんな感じでラフにいきたい。
 
最後に、今回の体験を経て読み返した『インテグラル・ヨーガ』の一節を紹介したい。

知足によって、無上の喜びが得られる。(中略)
知足とは、幸福を求めて外界に赴くことなく、ただあるがままであることである。もし何かが来るなら、来るがままにさせる、来なければ来ないで、それも良し。

『新版インテグラル・ヨーガ』第二部サーダナ・パダ(実修部門)より

【参考図書】
『新版インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ』
スワミ・サッチダーナンダ著 伊藤久子訳


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