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園芸家12ヵ月

2年ぶり、観葉植物総植え替えウィーク

ちょこちょこと小さな鉢植えを買っては枯らす、ということを繰り返した小娘時代を除き、まじめに観葉植物を育て初めてもうすぐ10年になる。
といっても極めて簡単なもので、ホームセンターで植物、土、鉢を買い、粛々と植え替え、あとは水をやるだけ、というアパート園芸者(えんげいもの)なのだが。

毎年3月末・4月初旬から萌芽をはじめ、初夏に旺盛に葉っぱをつける彼らのために、4月か遅くとも5月中には古い土を捨て、伸び切った根を切り、新しい土を入れる。
ところが、去年はそれをやらなかったのだ。

昨年の今頃は断捨離とnote開始、新レッスン準備に追われていたんだ、と誰にいうでもない言い訳が虚しく浮かぶが、自分でも「違う」とわかっている。どんなにやるべきことが多くとも、アニメも映画もYouTubeも観ていた。(あぁん。)
自分の望んで育てている植物の世話をする時間がない、なんてことはないのだ。

素人園芸者、推して参る。

年単位ぶりに鉢をひっくり返して、予想はすれど、彼らの根詰まり具合いに申し訳無さが極まる。
「あぁぁ、ごめんよモンティ(モンステラ)、たから(パキラ)、シグナルとシグナレス(ユッカ)も…息苦しかったろう、すぐにキレイにしてあげるからね…。」(大体の植物には名前がついている。)
お隣さんがベランダで聞いたら、すわ何事かと思われるような独り言とともに作業に入る。


マイ・ファミリー

ここ数年は、ベランダ・室内合わせて10鉢程度で落ち着いている。
私は花や実にあまり関心が無く、とにかく葉っぱを愛でられるものを選ぶ。
田舎のホームセンターといえど、ユーカリ、モンステラ、クワズイモ、ツピタンサス、ガジュマル、シェフレラ、セローム、フランスゴム、パキラ…と目移りするほどの種類は十分にあり、片っ端から集めた時期もあった。
しかし15、20と小鉢が増えていった結果、手入れが行き届かず枯れるものも出てきた。

チャンギ国際空港のバタフライ・ガーデンのようなみっしり空間に憧れるものの、足るを知るべし。
私が心を傾け育てられるのは10鉢程度なのだろう。

色々とやり過ぎなチャンギ国際空港


映えないガーデン

観葉植物を育てているという話をすると、よく人から「オシャレだね~!」と言われるのだが、実態はお洒落とは程遠い。
10年を経ても私の部屋は洗練されず、「さみしくて植物を集めた1人暮らしの大学生男子」みたいな空間に住んでいる。
軽さ重視でプラスチック鉢ばかり使うし、剪定のセンスがないので、みんな「前髪セルフカット失敗したやつ」か落ち武者みたいになっている。

さりとて芽吹き、葉を広げる彼らをみると、愛おしさを禁じ得ない。
切った根や葉、土の発する青々しいにおいをかぎながら、陽に当たる姿を見ていると、生命の純粋な美しさと力強さを感じる。

数年前のインドネシア・バリ島。
「ヨガの勉強のために」などとは対外的な名目で、どうにもこうにも生きづらく、ただただ私は小さな変化を求めていた。
合宿も終わりに近づいたある日の就寝前、チェコの作家カレル・チャペック氏の『園芸家12ヵ月』における「11月の園芸家」の章を読んだ。

おれたちのさびしさや、
おれたちのうたがいなんてものは、
まったくナンセンスだ。
いちばん肝心なのは生きた人間であるということ、
つまり育つ人間であるということだ、と。

カレル・チャペック『園芸家12ヵ月』

涙が滂沱と頬を伝う。
花も葉も枯れ落ち、
誰を喜ばせることもできなくとも、
私はまだ生きているのだ、それだけでいいのだ、と思えた。

そこから回復を遂げた私は押しも押されぬ人気ヨガインストラクターへ…と虚構の物語を紡ぎたくもあるのだが、現実はそう甘くない。
実際は、推して押されて日々の些事に汲汲としながら青息吐息、桃色吐息。(古い。)心優しい生徒さんのおかげで何とかレッスンを続けられている生臭インストラクター生活だ。

それでも。

あのとき救われた魂は、今も確かにここにある。


 

【作品情報】
『園芸家12ヵ月』(中央公論新社・中公文庫)
カレル・チャペック著 / 小松太郎訳

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