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CLYDE WAS HERE 後編

 銃声が一つ鳴る。私は自分の着ていた白いワイシャツが赤く染まっていくのをじっと眺めていた。徐々に痛みが広がっていく。

  「私の歌を聴かないでこの部屋から出ようなんて、許されないわ。」

 振り返るとそこにはボニーが怒りを露わにして未だ、私にピストルを向けている。私は自らの血で汚れたワイシャツを指先で触ってみた。指についた血はヌルヌルしている。そして、とても綺麗な紅色をしていた。私は其奴をそっと舐めてみる。口いっぱいに鉄の味が充満する。

  「これだ。これこそが自由だ。」

 私は心の底から喜びが込み上げていった。私はさっきまでの自分の行動が急に恥ずかしくなって、痛くもない傷口をおさえながら元いた席に座る。
 そこには、恐怖も、怒りも、不安も、痛みすらも忘れた私ではない私が居た。
 
 ボニーはピストルを握ったまま目を瞑る。演奏が始まった。

 彼女らが演奏する曲は三文オペラの劇中歌「モリタート」だった。不気味な歌詞を軽快に歌う彼女を見て、私は踊り狂いたい気分になっていく。それは、溺れていく様だった。私は音の波に心攫われ、自分がどこに居るかなんて小さな悩みを捨て、流れに従う。どんどん奥へ奥へと吸い込めれていく。

 銃声が一つ鳴る。ピストルから硝煙が漏れ、強引に女を連れ込んだ男が倒れた。演奏は続く。
 銃声がまた一つ。今度は、強引に連れ込まれた女だった。女は弾丸の勢いで壁に強く叩きつけられたまま動かなくなった。それでも演奏は止まらない。私は早く自分の番は来ないのかとワクワクしながら、彼女の力強い歌声を聴いた。
 再び銃声が一つ鳴る。次はバックと呼ばれる老人だった。老人は今しがた弾いていたアコーディオンを大切に抱えながら眠った。

 続けて銃声が一つ。クールにタバコを蒸していた男が崩れ落ちる。男の側には吸い殻が山のように積まれた灰皿と彼、愛用のトランペットが転がっていた。演奏はクライマックスに差し掛かろうとしていた。
 ベースを弾くことに夢中になっている少年の額に、ピストルが触れる。少年はそれでもなお、演奏に夢中だった。これはプロとしての意地か、それとも恐怖か。そんなこと、どうでも良くなるくらいに少年の発する音は美しかった。銃声が鳴る。それ以降、少年が抱えるベースから美しい音が聴こえてくることはなかった。

  少年よ。素敵な演奏をありがとう。

 ボニーは一人になっても演奏を辞めない。今、この部屋は彼女の声で満ちている。ボニーは私にピストルを差し出した。私は素直に其奴を受け取ると彼女の指し示す所に銃口を向ける。ボニーの声は今も響いている。私は引き金を引いた。部屋は静まり返り、硝煙が姿を表す。私は自分の右脳にピストルを突き刺す。銃声が一つ鳴る。

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