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理想のテレビは国営放送!?【テレビの生き残り戦略#4】

こんにちは、Studio Topitaです!
私たちは理想郷を本気で「想像」「創造」するサークルと称し、毎月テーマを決めて語り合い、議事録をアップロードしています。
ぱっと聞いただけでは「?」かもしれませんので、どうぞ是非、自己紹介をご一読いただきたいです。
(常連さんは、いつもありがとうございます!)

Studio Topia 11月
第3回 「理想のテレビ体験とは何か?」

「理想のテレビ」を追い求めて、はや一ヶ月間。
各週ごとにテレビの長所や短所、新しい面白さなどを発見してきましたが、とうとう最終回です。
これまでの考察をもとに、テレビが生き残っていくことのできる戦略を編み出そうと、Studio Topia参加者で想像を広げました。

結果として出された答えは「国営放送」を作ること。
政府の広報機関というイメージの強い「国営放送」なので、「えっ?」「それってどうなの?」というところかもしれませんが、今回考えたのは、むしろ国民参加型、市民の手によって作られるテレビという意味での「国営放送」です。「財政基盤」や「制作者のやりたいことを追求できるテレビ構造」、「視聴者の参加性」などを考えると、なかなかに面白いアイデアだと考えています!

ぜひご一読ください。

議事録

テレビを生き残らせるべき理由
そもそも、このインターネット・パラダイムにおいて、テレビが生き残る必要はあるのか、という疑問があります。
11月のStudioTopiaを始めるにあたっての記事や、これまでの議事録に書いているので、詳しくはそちらを参照していただければと思います。
ざっくりまとめると、テレビだけが引き出せる感情があることや、「公共性」「技術の継承」「圧倒的権力」などの理由を基に、テレビは生き残るべきだ、というのが今回のStudio Topiaの主張です。

ただし現状は厳しく、視聴率や広告費の低下など、テレビは以前のように、放送しているだけで見てもらえるメディアではなくなりました。
インターネットの時代として、世の中全体にものすごい数のコンテンツも増えましたね。そのような状況で、「意義をもつテレビ」はどうすれば生き残っていけるのでしょうか。
今回は、「自分たちで理想のテレビ局を生み出し、そのテレビ局の戦略を考える」という形で想像してみました。

「意義を果たし」て、「テレビにしかできない」かつ「新しい体験」を。
具体的な戦略を考える前に、まずは方向性を定める必要があります。今回のStudio Topia参加者から意見を募り、「テレビの意義(公共性など)をきちんと果たす」、「テレビにしかできないことをもっと利用」、「新しく面白い、見たことのないテレビ体験を生み出す」といった方向性を採用しました。
「テレビにしかできないこと」とは、やはりその権威性を利用したコンテンツ作りのようです。権威、というとマイナスなイメージが先行しますが、街中で取材を断られにくい「知名度」や「信頼感」、色々なアクターをつなげられる「仲介力」などは、その権威性の賜物でしょう。具体例として、「(普通の人が普段関わることのない)職人さんに取材をしたり、さらにはそれで終わらずに、視聴者参加型のコンテンツを作ったらおもしろい」というアイデアが出ました。
「新しく面白い、見たことのないテレビ番組」の具体例はなかなか上がりにくいですが、流行った番組の後を追った結果、同じような番組が多くなってしまう現状を嘆いての意見のようです。

何をどうするべきか?
それでは、いったい何をどうすれば、方向性に沿えるのでしょうか。
先週までの会で、理想のテレビを作るための障害となりうるものをピックアップしてきました。その中でも出てきた「収益構造」に関するもの。つまり、運営するためのお金をどのように工面するかに関わって、問題が生じるということについて、解決策を考えてみました。
まず、(まだなんとか自分たちでも参入できそうな)民放として開設することを考えてみます。すると、ほぼ間違いなくスポンサーが必要です。しかし、先週までの会議の中で、「スポンサーがいると忖度が発生してしまう」ことは確認されています。では、どうすればいいのか。大きく2つの案が出されました。1つは、「スポンサーを選ぶ」という案。面白いテレビ体験を提供することができるのであれば、我先にとスポンサーが名乗り出るはず。と、すればその中から、「好きに番組を作っていいよ」「前衛的アヴァンギャルドな番組が見たいな」と言ってくれる、パトロンのようなスポンサーを見つけて依頼するという手があります。
もう1つの案は、民放をやめて、国営放送にする、という案です。

国営放送を作ってみる
国営放送。
国民をオーナーとし、税金を徴収して番組を作る。そうすれば、資金源に悩まされることはありませんし、特定の存在に(理論上は)忖度する必要もありません。公平性を期すためには、選挙を行えばよし!毎クールごとに、作りたい番組や自分の主張を公約として掲げ、国民に選んでもらう、というシステムです。

ちなみに、その「公共放送」という名前からも、なんとなく国営っぽい感じのする「NHK」ですが、その違いは何なのでしょうか。NHKのサイトで調べてみました。

電波は国民の共有財産であるということからすると、広い意味では民放も公共性があるということになりますが、一般的には営利を目的として行う放送を民間放送、国家の強い管理下で行う放送を国営放送ということができます。これらに対して、公共放送とは営利を目的とせず、国家の統制からも自立して、公共の福祉のために行う放送といえるでしょう。

NHK「よくある質問集」(https://www.nhk.or.jp/faq-corner/1nhk/01/01-01-02.html

営利を目的とせず、国家の統制からも独立している、というところがNHKのウリのようですね。
ですが、今回StudioTopiaで考えたのは、ここでNHKが取り上げているものとは全く違うタイプの「国営放送」です。
NHKの説明では「国家の統制」下に置かれるのが「国営放送」だ、ということになります。政府の意向を伝え、国家の都合の良いように情報を偏らせたり、作り上げたりする…というような固定概念のある「国営放送」ですが、今回考えたのは、そういった政府の広報機関ではなく、国民がその手で作り上げるメディア、という形です。
具体的に言うと、国民をオーナーとし、選挙によって選ばれたディレクターが税金で番組をつくりこむ(撮影スタッフは全て外注することで組織的なしがらみをなくそうというアイデアも出ました)、という新しい「国営放送」のイメージを提唱していきます。
「国のお偉いさん」がつくる「国営放送」に忌避感を持つ方も多いかもしれませんが、自分たちの手であるべき、あるいは観たいテレビを選べる、つくれると考えたら、なんだか面白い感じがしてこないでしょうか!

テレビの国営放送化:こんなニュースが生まれるかも?

細かく構想してみる:コンプライアンスや「タブー」の扱いは?
そして、そんな「新しい」番組構成にあたって、現状の問題点を解消したり、長所を伸ばせたりするように、いろいろと想像してみました。
まずはコンプライアンスや「タブー」の扱いです。
コンプライアンスに関しては、昨今のテレビが「誰も傷つけないように」するあまり、尖った表現や前衛的な試みをできていないのではないか、ということが指摘されました。傷付ける意図を持つ番組は論外として、何か意志を持って番組を作った結果そうなってしまうのであれば仕方がない、と言う意見が出ました。また、今のテレビが「なんとなく」放送することを避けているという「タブー」(皇室や警察など)に関しても、至って普通に追求する方針を持つべきだ、というのが今回のひとつ結論です。

見たい番組を考えてみる
さて、税金で財源が確保され、「誰か」に忖度しなくてもいい。
とすると、今は無いような番組が見られそうな気がしてきます。どんな番組を見たいでしょうか。
①日本の闇シリーズ
普段なら目を背けてしまうような、社会問題や不祥事などを取り上げて、徹底的に追求する番組です。具体的には、環境問題、政治家の汚職、慰安婦問題、冤罪特集などが出されました。何を闇と捉え、どう扱うのかは問題にもよりますし、なによりディレクターにもよりますが、どうでしょうか。見てみたいものはありますか?
参加者の声として、「現状、問題をとり上げても、番組の最後に希望を持たせて終わるテレビ番組が多い気がしている。それでは視聴後に解決した気になって、問題は解決しない。もっと後味が悪くてもいいのでは」といったものが出ました。
②100年残る番組を作る
これは具体的な番組アイデアというよりも、スタンスの問題ですね。「今のテレビは、いったいいつまで続くのか。10年後に存続しているのかもわからない。そんな中でいい番組を作れるのだろうか。それに対して、国営放送ということであれば存在可能性がある。安心して100年後に残る番組をつくれるのでは」という意見でした。国営放送だからこそ、無駄だと思えば切り捨てられる可能性もありますが、安定した基盤や財源の確保という意味では安心感がありますね。
③こだわり追求ハイクオリティ番組
「高級感のあるバラエティ番組」「バラエティの効果音を超豪華にしてみる」「クイズ番組の正解の時に鳴る『ピンポン!』の音をすごく心地よいものにしてみる」「くっだらないおもしろいドラマにお金をかけてみる」「福田雄一監督に投票したい」などという意見も出されました。
また、国営放送、というと硬いイメージがありますから、ゴールデンタイムにも教育番組なり教養番組を流していそうなイメージですが、あくまでも追求するのは「硬さ」ではなく、そのクオリティの高さ。最高のバラエティ番組を流すことが、国営放送の責務です。

他の局との兼ね合いは?
さて、新しいテレビ番組を作ると、既存のテレビ局との兼ね合いも気になってきます。
先週までの話し合いの中で、「テレビ局はたくさんあった方が良い。その中から自分で選びたい」ということが共有されました。さらにはイデオロギーの偏りをなくす、という意味でも、さまざまなテレビ局が並行していた方が、視聴者としても安心感がありますね。
ということで、非常に前衛的な放送局を構想していますが、それももちろん、他局とのバランスの上に成立するものでありそうです。

一言で表すと「こだわり追求」
最後に、テレビ局のキャッチコピーのような、その精神を表せる一言を考えて会を終わりました。
それは、「こだわり追求」。
視聴者(国民)が選んだディレクターが、思いやお金や労力をかけてとことんやり抜くテレビ。それこそがあるべき理想のテレビであり、また、テレビの生き残り戦略である、ということです。

まとめ
さて、ここまで「理想のテレビ」を考えてきましたが、いかがだったでしょうか。
「国営放送を作る」というアイデアを中心に様々考えてみましたが、抽象的なところでまとめると、「こだわりを追求して、必要な(今回出たことでいうと、前衛的な?)番組を作り上げられる構造がこれからのテレビに必要だ」、ということになります。
圧倒的強さとしてのテレビの権威性は、おそらくまだ残り続けます。全国ネットであれば、その存在感はそう簡単には失われないのではないでしょうか。その上で、その権威性をどう生かすか。「選挙制度」というアイデアが出ましたが、割と的を射ていて、視聴者が見たいと思っているものに合わせにいくのではなく、作り手が作りたいと思っているものを視聴者にぶつける(そして選ばれる)、というのが今改めて求められているのかもしれません。

反省として、今回は収益構造やコンプライアンスの問題、見たい番組をいくつか考える、というように、少ししか考えられませんでした。実際に国営放送にするなら税金はどのくらいどんなふうに徴収するか?といった税金の問題や、他局・インターネットコンテンツとの競争・共創戦略、選挙制度立案までできればよかったのですが、それはまたの機会に譲りたいと思います。

以上、11月のStudio Topia「テレビの生き残り戦略」でした。

面白かった意見

イデオロギー明確化装置としての国営放送
敢えて、国の意向ががっつり入れ込まれた、政府の広報機関としての「国営放送」が欲しい。イデオロギーが前面に出てくるかはわからないが、わかりやすい批判対象としての国営放送があればいい

テレビディレクター選挙を国政選挙と一緒に行ったら投票率が上がる
政治を「自分ごと」として捉える人が増えそう

「テレビマン」に働き方改革は要るのか:理想の働き方
「いいものを作ろう」と思ったら、魂を削るような働き方こそ至高ではないのか
→それが圧となると問題がある。魂を削って働きたい人、自分のペースを守って働きたい人で棲み分けるにしても、その価値観の違いはうまく調整されないといけない
→「理想の頑張り方」のようなことも考えたい

編集後記

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回はかなり好き勝手に考える会となりました。笑
出されたアイデアを「そんなこと無理だよ」「こういう問題があるよ」と否定することは簡単ですが、それではつまらないですね。
そういう夢物語から生まれるものがあると信じています。

今回の「国営放送」は一つの案ですし、実際に実現するとなったらかなり厳しい部分も多そうですが、「選挙制度」なんていうのは、今時の視聴者がコンテンツ作りに参入していくスタイルの究極版にも思えて、結構気に入っています。コミュニティ放送のように、市民が社会を学ぶ窓口になっても面白いと思いました。
みなさんの意見も、教えてください。(奈都)

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Studio Topia 11月テーマ「テレビの生き残り戦略」
第3回 「理想のテレビ体験とは何か?」
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