見出し画像

第8回「使える現象学」(レスター・エンブリー)

このマガジン「デザインという営みにコピーを与えてみる」では、デザインにコピーを与えるという目標に向かって「デザインを語ることば」を集めています。第7回では呉清源先生の「碁は調和の姿」を紹介しました。

さて、第8回でご紹介し、書き留めておきたいのは「使える現象学」です。

「使える現象学」

この言葉は、哲学者レスター・エンブリーの主著『Reflective Analysis, A First Introduction into Phenomenological Investigation』の日本語タイトルです。単純に訳せば「反省的分析:現象学的探究への招待」となりそうですが、訳者(和田渡・李晟台)は『使える現象学』としています。おそらく、エンブリーが序文で述べた以下の文章をふまえてのことでしょう。

本書は、勉強し記憶すべき一連の成果としての現象学への入門書ではなく、むしろ、方法としての、あるいはもっと適切に言えば、より熟達するためのアプローチとしての現象学への入門書である。
ーーレスター・エンブリー『使える現象学』p.27

本書の主要なメッセージは、テクストから、ことがらそのものへ。エンブリーは次のように続けます。

今日、自らを現象学的と呼ぶ研究の多くは、実際のところ、真の現象学者たちが生みだしてきたテクストにもとづいて行われる学問研究である。これらのテクストは難解であるから、こうした学問研究は実際に貴重である。けれども、それがそれ自体として目的になってはいけない。むしろ、学問研究は現象学的探究を促すものでなければならない。われわれは、「探究」においてテクストを解釈するのではない。先行するテクストが同じ、または類似したことがらについて探究しているにせよ、いないにせよ、ことがらに関する知を追求するのである。
ーーレスター・エンブリー『使える現象学』p.28

この本の原著が発行されたのは2003年。いまでは状況が変わっているかもしれません。エンブリーは、大学で現象学を教える教師や、現象学の文献学的な議論に愛想をつかしている学生たちに向けて、「哲学に関する文献研究から哲学そのものへ」という挑戦を投げかけました。テクストはあくまで探究の手段であり、ことがらの探究を重視すべきだと主張したのです。

わたしは、デザインとは使える現象学であると考えています。次節では、デザインと現象学を結びつける鍵概念「反省的分析」についてご紹介します。


現象学における「反省的分析」

エンブリーは、現象学を「反省的分析として記述できるアプローチ」だと述べています。反省的分析について端的にわかりやすく伝える技術が自分には足りないことを自覚しつつ、要点を述べてみたいと思います。

まずは、ことがらそれ自体を経験します。次に、ことがらを経験している自分自身の確信を成立させる条件を省みます。たとえば、誰もが「美しい」とか「わかりやすい」と感じるに違いないという確信があれば、なぜそう感じられるのか、どのような条件が作用しているのかを熟考します。そして、確信を成立させる構造を見つけだし、記述する。これが、反省的分析のアプローチです。

このとき、どのような「仕方」でことがらを捉えているのか(≒指向性/指向的過程)を意識します。次の図は、指向的過程の要素を9つに分類しており、経験を分析するさいに役立ちます。

エンブリー指向的過程

この図を見て、「なるほど確かに。でも、この分類は妥当だろうか?」という発想をしたとき、「反省的分析」に足を踏み入れています。ポイントはものごとを自明なものとみなさないようにすること。この図がもし教科書に掲載されていたとしても、対象を自分自身で反省する態度が、反省的分析の入口になります。

エンブリーは本書で、食事の風景などを題材に、日常を反省的に観察・分析するお手本を丁寧に叙述していきます。対象を要素分解し、分類図をつくりながら多角的に分析するプロセスについていくと、言語がいかに慣習的なものであるかに気づかされ、これまで無意識に受け入れてきた様々な「認識の枠組み」(エンブリーは「規定(determination)」と呼ぶ)を発見することになります。目から鱗でした。エンブリーは、反省的分析のデモンストレーションを通して、ことがらを再発見する方法を示してくれたのです。(興味がある方は、ぜひ本書に取り組んでみてほしいと感じます)。

エンブリーは、次のようにも述べています。

一般的および特殊的な記述的叙述では、「区別」、「分類」、「交差分類」が重要な位置を占める。表や図は、それらを明確に理解するのに役立てることができる。そのうえ、問題になっているものにそれほど深く入りこまなくても、すぐに表現上の曖昧さや不明瞭さが見つかり、それらを表現する言葉を改善する必要が感じられるようになる。現象学者になるということは、こうした問題に気づいたり、それを解決するこのような方法に慣れるということである。
ーーレスター・エンブリー『使える現象学』pp.79-80

表や図の効果は、とても重要です。こういった、モデルを構築しながら「反省的分析」を繰り返す作業は、デザインにおいても頻繁に現れます。コンセプトや関係性の図示はもちろん、スケッチ、ムードボード、ジャーニーマップ、プロトタイプなど、思考をアウトプットする過程で、同じことが生じます。そのため、「反省的分析」には、「つくることで学ぶ」プロセスが大きな役割を果たすと感じています。

さらに言えば、文章に感銘を受けたり、ポスターや装飾を美しいと感じるとき、それらを自ら再現することによって、その現象を創りだす本質的な要素を発見することができます。

わたしは、デザインのアプローチに現象学の「反省的分析」を取り入れることで、「現実の再制作(つくることで学ぶ)」というアプローチに自覚的になることができました。

次節では、わたしの原体験を交えながら、「反省的分析」と「現実の再制作(つくることで学ぶ)」のつながりを示したいと思います。


卒業制作を支えてくれた『使える現象学』
〜ことがらに関する知を追求する喜び〜

わたしにとって、『使える現象学』は特別な本です。なぜなら、ことがらに関する知を追求する喜びを実感させてくれたからです。

本書との出会いは、2007年頃。プロダクトデザインを学ぶ4年生の時でした。

卒業制作では、衣服と人間の関係を捉え直し、新たなファッションデザインのあり方を提案したいと考えていました。言語と身体のギャップに関心があったので、エンブリーの「テクストからことがらへ」というメッセージに惹かれて『使える現象学』を購入しました。

わたしは、現象学に導かれ、「つくること」を通してことがらを探究する方法を強化していきました。2007年当時のノートには、ことがらと向き合う探究プロセスが記録されています。

画像1

制作過程で、さまざまなテクストやイメージからインスピレーションを受けました。では、なぜそういったインスピレーションがもたらされたのか、あるいは、それはどういった概念であり、どのように表現されうるのか...

画像3

インスピレーションを第一印象のままでおわらせるのではなく、その本質を理解し描き出すために、自分なりに「現実を再制作」しています。

そのほか、衝撃波のつくり出す美しさを理解するために紙を折ってみたり...

画像2

自己同一性やアイデンティティの象徴にもなっているメビウスの帯をリサーチし、衣服と関連づけて検討したりしています。

画像4

実際にメビウスの帯をつくって、手元で操作しながらノートに記録していたことを思い出します。

また、アイデンティティについて理解を深めるため、精神病とは何か、精神科医とはどのような仕事をしているのか、テクストを通して学んでいます。

画像5

精神とは何かと考えるうちに、人間の身体と精神という二元論を超えて、人間そのものを探究しなければならないと考えるようになっていきます。

そして、精神と身体を媒介する衣服というメディアを使えば、人間そのものに迫ることができるはずだと確信しました。次の、ふたつの境界を統合する照明のビジュアルは象徴的です。

画像6

そのほか、概念としての身体(名詞)と所作的な身体(動詞)を区別して検討していました。わたしたちの持っている身体像があくまでも概念的なものなのかもしれないと疑問が湧いたのでしょう。

画像7

その後、衣服を精神療法に活用するアプローチを本格的に考えはじめます。

当時のわたしは、精神病の最も大きな課題は、ことがらに対する「実感が伴わなくなること」だと理解しました。そこで、「実感をとりもどす」ためのプロダクトを提案しようと決めました。

画像8

この宣言のような記録文書をみると、現象学自体を自分なりに解釈して取り入れようとしているのがわかります。

精神病は言葉の病気といわれ、身体感覚と概念認識に乖離が起きることで生じるといいます。身体を包み込む衣服には、自己の身体を確かめる機能が備わっています。衣服は、妄想的に拡大した身体像を現実の身体に連れ戻す器になる。さらに、絵を描いたり、何かをつくる活動がもたらす自己陶冶と組み合わせることで、精神病にアプローチできるだろう。これが、わたしなりのことがらの再発見でした。


画像9

このノートは、後輩からデスノートと呼ばれました(笑)。とはいえ、現在使用している以下のウェブサイトの無機質さに比べて、ノートのアナログかつ物質的な雰囲気に生き生きとした生命力を感じます。

探求の過程で、「現実の再制作(つくることで学ぶ)」が自分にとっての現象学となり、習慣化されていきました。

作品が提出期限に間に合わず落第しかけましたが、卒業制作における学びの経験は、とても充実していました。『使える現象学』のおかげで、身体論や精神病理学に関するテクストを体験や実践のなかで再構築し、ことがらに関する知を追求する喜びを、身をもって経験できたからです。


デザイン=使える現象学?

当時は無我夢中でしたが、学習と創造のプロセスをノートに記録したことが省察的実践に結びつきました。現象学は、観察と分析そのものを観察し分析する反省的なアプローチです。学習過程のドキュメンテーション自体が、極めて現象学的な方法だと感じます。結果として、デザインに「反省的分析」を取り入れた「現実の再制作(つくることで学ぶ)」というアプローチを自覚できました。

デザインとは、使える現象学である。

そう言ってみたい衝動に駆られるほどに、この言葉は「デザイン」をうまく表現しているように感じられます。なぜなら、現象学とデザインのアプローチが、「ことがらに関連する知を追求する」という本質的な部分でつながっていることは間違いないからです。


おわりに

今回は、レスター・エンブリーの『使える現象学』における「反省的分析」についてご紹介し、わたし自身がエンブリーに導かれ「現実の再制作(つくることで学ぶ)」を発見した原体験を振り返りました。現象学とデザインのアプローチが、「ことがらに関連する知を追求する」という本質的な部分でつながっていることをお伝えできたなら幸いです。

今後も引き続き、わたしにとって魅力的な、「デザインを語ることば」を紹介していきたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?