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音楽修行から得たプロ仕事の心得!真剣勝負!



【20代の経験は重要】

夢は音楽プロデューサー!
私が20代の頃に作編曲やサウンド作りに没頭していた時期があります。

その時期の経験から40代後半の今、仕事をする上で「軸」となっている心得が作り上げられています。

当時、お付き合いのあったアーティストさんは、20年ほど経った今でも、第一線で活躍されていたり、世界で有名になった方もおられます。

その方々はやはり当時から本物だったのだなと、当時の経験を胸に日々生きてます。

20代は経験を積むには最高の時期だと思います。
経験は自信につながります。

多少無茶してでも、真剣に物事に取り組めば後々に多くの事が役立つと信じて、我武者羅に取り組むべきだと思ってます。

【音楽の楽しみ方は千差万別】

一般的な音楽の楽しみ方には「曲」「歌」「声」「詩」「楽器」「ライブ」「ビジュアル」「ダンス」「文化」「思想」などアーティストそのものに感化されてファンになる。

それは、どれも間違いではない純粋な音楽の楽しみ方です。

ミュージシャンと聞いて思い浮かべるのは、歌がうまくて、演奏がうまくて、ダンスがうまくて喋りも面白いなどのタレント性も挙げられるかもしれません。

しかし、その裏では曲を完成させる為に、編曲をし音を一音づつ丹念に磨き、組み立て、配置し、曲のストーリーを作り上げるといったスタジオでのクリエイティブな作業があります。

それを行うのが、編曲家やスタジオミュージシャン、スタジオエンジニア、トラックメーカーなどです。

表面化されないクリエイティブな音楽の裏側を知っていただく事で、普通の楽しみ方とは一味違う、新たな音楽の楽しみ方が広がるかもしれません。

【音楽に没頭していたころの話】

さて、私が映像制作や写真カメラマンを行う以前のお話をさせていただきます。

私は音楽学校の音響学科を卒業し、作曲やサウンドエンジニア、サウンドデザイナーを経験し音の研究に10数年ほど没頭していた時期があります。

しかし、学校を卒業して直ぐに職にありつけたわけではありません。

学校に張り出されている求人を見ても、一般企業の一般職の求人しかありません。

なので、求人雑誌を見て自分で探したスタジオに履歴書を送りましたが、全て書類選考が通りませんでした。

学生時代には、学校を卒業すれば働き口があるだろうと考えていましたが現実は真逆です。

卒業後はみんなバイトで食い繋いでいました。

果たして同級生の中でその道に就職できた人は何人いるのでしょう?当時の自分は世間に甘え、学校に寄りかかる情けない弱い人間でした。

学校で勉強するのは当たり前のことで、卒業したのだからスタジオに就職してアシスタントから働けると思ってました。

学校卒業したから社会貢献できる人間になれると勝手にたかを括ってたんです。そこで、なんとか音に関わる仕事を見つけたいと思い、藁をもつかむ思いで渋谷の楽器屋でバイトを始めました。

それが大正解でした。渋谷という場所柄、プロからアマチュアまで多くの方と接する事ができ、友達も増え、音楽の人脈も増え、少しずつ仕事をもらえるようになりフリーランスで音楽制作の経験を積む事ができました。

しかし、それだけでは生活は厳しいので、当時流行していた着メロを制作したり、Webディレクターをしたり、広告代理店でプロデューサーをしたり、映像制作会社で企業ビデオやレッスンビデオ、テレビ局コンテンツなど作ったり音楽以外のクリエイティブに関わる仕事も多くこなしていました。

それもまた貴重な人生経験となってマーケティングに関する知識も今に生かされています。音楽を通じて出会った歌い手、演奏者、様々なミュージシャンや芸術家などと夜な夜な熱い音楽談義やライブハウスなどで演奏をしたりしてました。

そこで出会った人たちとのあの時代の経験は、かけがえのない経験です。

【音は目で見る!音に関わる人の共通点】

当時、現場でサウンドエンジニアや音を作る側の人と話をしている時に感じる非常に興味深い共通点があります。

それは、みんな音を視覚的に捉えている事です。一般人には「?」ですよね。

駆け出しの頃は私も「音を目で見る????」でした。だって音は耳で聞こえるものだし、耳で楽しんだり詩に共感したりして楽しむものでしょ?そうです、間違ってはいません。

楽しむ側(アマチュア)からしたら大正解です。一般的な楽しみ方は、冒頭で触れた「曲」「歌」「声」「詩」「楽器」「ライブ」「ビジュアル」「ダンス」「文化」「思想」というところでしょう。

「音楽を目で見る」というとライブやPVなどを思い浮かべるでしょう。

しかし、音楽を作り、人を楽しませる側に立つプロの世界、サウンドエンジニア同士で話している時やレコーディングでアーティストと話している会話は、普通の人とはだいぶかけ離れている世界観で会話が進む事があります。

例えばこんな感じです
「このシンセリードの線の後にキラキラした帯がついてるでしょ!?これだけもっとディレイで長く伸ばして!」
「このキックの音は鉄球を表現してるんだ!それなら、ぶつかった後に埃が舞ってその後下に落として、それがスネアになってリズムにするってどう?」
「このキックとベース同じ位置で重なってるからベースを下に下げてキックをもうちょい上に上げてみて!」
「このクラップ叩いてる人はもっと遠くにやって、コーラスの左奥に配置して!」
「真ん中にラジカセ置いて、ラジカセからドラムループが鳴ってるように演出して、それに合わせて路上で子供たちがワイワイ歌って遊んでるようにしてくれる?」
「風が右上から真ん中にひらひらゆっくり通り過ぎてく様になびかせてみて」

音楽感覚がないディレクターさんだと「なんとなく爽やかな〜」「歌詞の春の日差しが〜にあったような・・・」とか抽象的な指示がきます。

そうではなく、ミュージシャンの会話は、「的確に明確に」眼に見える位置や距離、視覚的な指示が飛んできます。

私も理解できていなかった時期、何か振り絞って言わなきゃと思って「あのメーカーのあのエフェクトを使ってみたらどうでしょう?」とかマニアックな機材知ってるぞ!という知ってる感を出して「はぁ?」って言われて大恥をかいた事があります。

今思い出すとほんとに恥ずかしいです。
機材の話は作品を作る上では本質ではないですからね。
それは呆れられて当然です。

【共感覚について】

以前、画家さんに自分の曲のサンプルCDを渡して聴いてもらった事があるのですが、後日、その方とお会いして話をしていた時に「絵は2Dだけど音楽は3Dだもんね〜」ってこの人知ってるな!同じ感覚だ!って嬉しくなったことを覚えてます。

絵描きも音楽家も物事の捉え方、脳の作りは似ているんだなと感じました。

一緒に仕事をしたシンガーの方で女性で音に色がついて見えるという方もいました。確かに音には色がついてます。

音色というくらいですからね。

これが芸術家の脳内の独特な認知処理能力「共感覚」なのかもしれません。

学校の授業ではない「仕事の現場」では異次元の人たちが集まる場所であって、人生を賭けて志してきた人たちが集まる場所でもあります。

私も駆け出しの頃は、なんとか理解しようと「音を目で見て空間で把握する事」を習得する為に毎晩寝る際にはヘッドホンをつけて布団に入り、目を瞑って「音を目で見て、楽器そそれぞれ分解して、構成を把握して、なぜこの音にしたのか?どうしたらこの音を作れるのか?このタイミングでこの音鳴らせばグルーブ出るな」が理解できるように訓練してました。

そうしていると寝れなくなるんですね。

寝なければいけないのに頭はフル回転を始めるんです。

目は瞑っているけど脳内の視覚は開眼している状態を作りあげているのですから寝れるはずがありません。

ボーカルの位置、コーラスの位置、ハットの位置、キックとベースの位置関係、ストリングス、ピアノ、ギター、全ての要素を流れていく時間軸の中で、脳内に作り上げた空間で世界を創造していくのですから、気持ちは落ち着いているけど脳内はフル回転をしているので目は冴えてるんです。

寝なきゃいけないのに閃いたらたらすぐにパソコンに向かって音作りを始めて没頭してしまう。

気がつくと新聞配達のバイクの音が聞こえてきて朝を迎えて、そのまま会社へ行ってまた鍵盤を弾いて着メロ作ってるなんて生活をしてました。

そんな修行時代を経て、どんな環境でも音を目で見ることができるようになりました。そうなると音楽を聴くのが楽しくて仕方がありません。

音の世界が180度変わります。

全ての曲、一つとして同じものは存在しません。たとえ同じコード進行で作られた曲でも全て違います。

それは、コード進行やメロディーと言う設計図は同じでも色をつけたり構築していく段階で全く同じにはならないからです。

建築で例えると、楽譜に書かれている音符は設計図。

絵で言えば鉛筆で描いた下書き。

映像制作の工程で言うと企画書と絵コンテのような状況です。その設計図を実現させる為には膨大な工程が待ってますよね。

その過程で起こる微妙な差、マイクなどの機材環境やコンプ、EQの値、エフェクト処理のパラメーターの違い、演奏時の感情、など様々な要因が組み合わさる事でこの世に1つだけの作品が生まれます。

最終段階のマスタリングスタジオでも変化します。
ミキシングエンジニアが違えば全く違う音になり世界観も変わってきます。

【学校の授業のこと】

ここで、小学校の音楽の授業を思い出してみましょう。

学校の授業というのは上手に演奏しましょうということを目的にします。

「リコーダーでみんなで楽譜通りに演奏しましょう!」「みんなで声を合わせて上手に歌いましょう!」「いつでも同じクオリティーを出せるまで何度も何度も繰り返し練習!練習!」生徒はどんどん疲弊していってしまい、イヤイヤやらされてる事になっては本末転倒です。

上手に演奏しましょう!はとても良い事だと思います。

それがきっかけとなって深掘りしていく子供もいるかと思うので大賛成です。

しかし、ピアノが好きで深掘りしたはずの子供達のピアノコンクールなどで、楽譜通りに上手にピアノが弾けていたとしても、なんかグッと来ない。

何かが足りない?それがなんだかよく分からない!?って事ありますよね。

それって楽譜は音楽を記録した設計図でしかなく、それ通りに引こうと言う意識に引っ張られて、「音楽の本質」を見失いかけてるのではないのでしょうか?

多少下手でも、演奏時に指に伝わる緊張感や間や強弱、一生懸命真剣に頑張ってる姿、ここまで至るバックグランドなどの情報をプラスされると、「心動かされる良い音楽」に感じて感動して涙する事ってありますよね?

写真家の幡野広志さんの著書に「うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真 」という本があります。私も読みましたが、音楽も写真もこの考えは共通しているなと思います。

⇩ご参考までリンクを貼っておきますので興味のある方はどうぞ


【芸術とスポーツの共通点 プロ野球選手が夢でした】

感覚を育てると言う点ではスポーツと似ていると思います。

イチローさんの授業を受けたらイチローさんのような感覚で動けるかと言われたらそれは無理ですよね。

何度も反復練習が必要で自分なりに消化してアレンジして習得していく時間が必要です。

プロでもコーチにダメにされる事もあるくらいですから、教えられたことをそのまま実践するのではなく、自分の身体、神経回路全てにあった方法手段をアレンジしていくのが大事になのではないでしょうか?

私も高校まで硬式野球をやっておりました。

その時に、人一倍努力をすれば人並みのちょっと上くらいになれた、といった経験をしました。

当時の夢は野球選手でしたが、やはり、凡人の私がプロになるには2倍3倍それ以上の努力が必要でしたね。

カメラも一緒で、シャッターを押すのも脳の一瞬の判断です。撮影するにもマッスルメモリーは必ず必要なので、何度も何度も反復練習が必要です。

私は、制作会社では撮影も編集もやってはいましたが写真家の先生に比べたらまだまだひよこです。

ですので、朝の犬の散歩、近所のコンビニ、ラーメン屋、ファミレスに行く時でもいつでもカメラは持ち歩いてます。

自分がいいと思う感覚を知る、ダメな箇所を再認識して確認する事にも役立ってます。

常に鍛錬は必要で日々反省の毎日です。

「志」「熱いパッション」「向上心」生きる為にはとても大事だと考えてます。

年齢を重ねてもハングリーな状態で謙虚でいなければ!

【私の将来像10年 20年 30年後】

音楽修行時代の、「音を目で見る」という常人では行わないような音の修行に真剣に向き合った経験は写真や映像の仕事に今生かされています。

視覚で見えたものだけではなく、被写体の感情、撮影する側の感情、商品であれば被写体である商品を作っている人、料理だったら料理人、化粧品だったら開発した人の思い、生産ラインの人、関わる多くの人の思いを想像して感じる。

企業が抱えている問題を写真や動画で何をどう解決したいのか?シャッターを押す前段階の準備に試行錯誤していく中で仕事への愛着が増し真剣になります。

結果その真剣な気持ちが1枚の写真、1本の動画に魂が宿ります。最近、職場で部下に「マニュアルを用意してください」とよく言われる事があります。

機材の使い方などマニュアル化できることは確かにあります。そういった、マニュアル化できることは進めますし、単純作業は極力自動化します。しかし、撮影時にカメラオペレーター、編集オペレーターになるような事は避けたいと考えてます。

AI技術は発達したとしても、クリエイティブな脳の使い方をそこではしてもらいたいし養ってもらいたいです。

業務として決まったマニュアルで淡々とオペレートするのではなく、しっかりと心を正面向いて、深く探って真剣に仕事をする事を志して欲しいです。

仕事には準備はとても重要です。「撮影1割、準備9割」だと考えてます。

事前に準備をして心を整えて全ての要素を汲み取り撮影をする。

音楽、写真、動画、最終形は違えど全てに共通することは一緒です。

一つの事柄に真摯に向き合い情熱を持って真剣に真正面から向き合うえるか!決して手を抜くことはせず、今ある全てを出し切る。

その気持ちこそ「プロの仕事」だと心得て日々過ごしています。

至らない事、反省点は毎回尽きませんが、それがまたガソリンになって次の仕事の糧となります。

音楽修行で経験した「音は目で見る」分からないながらも、真面目に向き合い真剣になれば自分を超えられる。

成長できることを若い頃に学びました。

その経験全ては宝物で、これからも今の仕事に活かせるよう日々精進して社会貢献していきたいと思います。

どんな仕事でも訓練、鍛錬は必要です。

10年後、20年後、30年後、これから先もプレイヤーとして「常に真剣勝負」で写真、映像の世界で生き抜いていけたなら、私にとって幸せな人生です。

【最後に作品紹介】

私が制作した映像作品を1点だけ紹介させていただきます。

なぜこの作品なのかと言いますと、作曲、撮影、編集、全て一人で制作した映像作品になり30年ほどの人生が詰まってます。

アニメ鬼滅の刃の「和」の世界観と、航空整備士の「逞しさ」に焦点を充てて勇ましさをテーマに作曲と映像制作を行っています。

撮影では緊張感あるリアルな現場をそのまま撮影し、真剣に作業に没頭する整備士の姿を映し出しております。


おまけ

盲目のピアニスト辻井伸行さんのお話しをしますが、普通に見れば「指の動きがすごい」とか「演奏がすごい」「完全に覚えて弾いてるんでしょ?」とかの感想を持つかもしれませんが、私が感じたのは、それ以前に、聴覚からの認知処理の仕方が通常の人とは違っていて、それを音像として映像を再生するには自然と指をそう動かさずにはいられないのではないかなと思って見てました。

たしかテレビに出演されてる時に見たと思うのですが、川が流れる音を弾いてくださいと言えば、その通りに目の前に水が流れ始めます。

しかもピアノ一つで!ですよ!驚愕です。目が見える人の感覚を音像を描き出しているんです。天才すぎます!!こちらの動画で、河合裕子さんのインタビューで辻井伸行さんの音像、脳について語られてます!

「記録するために楽譜は生まれた」
「はじめに響きあり」
「響きという音像」

これらの言葉が全てだと思います。



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