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徒然ゴジラ2023

「ゴジラ-1.0」は今まで見たゴジラの中で最も無慈悲だった。
相まって、ゴジラ映画の展開はわかっているはずなのに、この後どうなるんだ⁉︎と手汗握ってハラハラしっぱなしになり、最高の特撮映画体験でもあった。
この映画をもう一度見たとしても、このハラハラ感はもう味わえないと思うと頭をぶん殴って記憶を消したいくらいだし、何なら鑑賞から数日経ってしまって当日の興奮そのままにはもはや文章を書けないことをとてももどかしく思う。
(りるあちゃん特典会→ゴジラ→お酒の流れで興奮しすぎた体にアルコールを叩き込んでしまい見事に数日グロッキーになってしまった。)

「君たちはどう生きるか」でネタバレ一切なしの状態で映画を観るあまりの楽しさを知ってしまった私は、今回も事前情報ほぼ無しで挑んだ。
映画館のCMで「どうやら今回の舞台設定は戦時中?戦後すぐ?らしい」程度。
山崎監督の作であることすらエンドロールで知ったので、「なるほど!ブラボー!!」と終わった瞬間スタンディングオペーションをしたくなった。
ネタバレ無しの映画体験は最高すぎる。高度情報化社会にヒッタヒタに浸り切った身としてはめちゃくちゃ新鮮なエンターテイメントだ。

ドルビーシネマとゴジラの相性か最高すぎる。
かつてMX4Dで「シン・ゴジラ」を見た時は、演出のわざとらしさに若干興醒めだった。(数回目の鑑賞だったので面白がれたが。)
そのためドルビーシネマとやらも、ふーん、立体音響的な?どれどれお手並み拝見〜というテンションではあったのだが、あまりにも自然な音響のリアリティに映画世界への没入感が半端なく、手汗握る要因の土台には間違いなくこのドルビーがあったように思えた。
ドルビー、すごすぎるよ。そしてゴジラの咆哮がまじ怖い。

ストーリーの展開としては、最初の大戸島へのゴジラ初上陸はじーっくりやりつつも、主人公2人が出会ってからは季節単位でぽんぽん時間軸が進んでいく流れに、いいのか?早すぎないか?と勝手に心配になった。
けど、オリジナルゴジラもそうだったね。
澄子さんの、敷島に憎悪をぶつけた後に、方や赤子の明子を庇護する姿に人間の多層性を見たり(そして安藤サクラすごすぎる)、橘さんが引揚げ船の中でゴジラに殺された人たちの写真を敷島に押し付ける行為のむごさとその憎悪の表情がとてつもなく怖かったり、人間の暗い部分の表現の強さに呼吸を忘れそうになる。
序盤はちょっと演技が全体的にオーバーすぎないか?と思ったけど、後半の盛り上がりにつれ気にならなくなる、というか話の激動感とマッチしていくのにはこれぞ特撮〜!と興奮してしまった。
典子の「私、銀座で事務の仕事をしようと思うの」発言には、ゴジラ映画を知っている身としては、銀座は…銀座だけはやめとけ…と言いたくなる。だって絶対ゴジラ来るもん。

敷島の最後は特攻してやるよ!という意気込みだったり、小僧こと水島が最後の作戦に参加できず呆然とする姿にこれ絶対単身で乗り込んじゃうやつじゃん…というフラグだったり、ところどころで特攻賛美になっちゃわない…?とハラハラする動きがあったけれど、最後の展開でまあそうはさせまい、というところに落ち着いてホッとした。
てか水島1人で乗り込んでこなくて心底安心した。

どうしても直近のシン・ゴジラと比較してしまうのだが、シン・ゴジラは幽玄的だったのに対して、-1.0のゴジラは凶暴性がより表に出ていたように思えた。
目には目を、歯には歯を。攻撃してきた人間は頭から喰い放り投げよ。
大戸島上陸時の推定15mの時から人間が太刀打ちできない感がすごい。初っ端からぶっ飛ばしすぎる。怖い。
光線の溜め方も怖すぎる。尻尾が先端から色づいて、逆立って、来るぞ来るぞ来るぞ………来た!!!と毎回鼻息が荒くなってしまう。
そして光線の後に立ち上がるのはキノコ雲。降り始めるのは黒い雨。「恐ろしいもの」の表現が凄まじすぎる。

最終作戦の時に、「全員生還する奇跡を!」といった数十分後に先発船がゴジラにぶん投げられて地上に落ちてくる光景。(怖すぎて笑っちゃった)
メイン作戦が机上で展開した通りに進みゆく光景に急げ急げ…とドキドキしてしまう時間。
メイン作戦、予備作戦と続き上手くいったか…?と思わせたところでの停滞、そして浮袋だけ先に浮かび上がってくる混乱。
そして全ての作戦が失敗したと思いきや、最後のひと推しがようやく効いて万歳!となる流れ。
特撮の様式美は美しすぎる。

今作のゴジラは全てVFXで作られたようで、だからあんなに怖かったのか!と納得した。
初期ゴジラは特に、ゴジラ全体と人間が同一画面に映ることはない。ゴジラは模型の街並みを壊すし、逃げ惑う人間と一緒に映るのはゴジラの足のみだったりする。
そして結構、人間の死は記号的に処理される。
が、今回のゴジラはVFXであることで、恐怖に飲み込まれる人々と表情のついたゴジラが一画面に収まっている。そして、人が投げられたり踏み潰されたりする時に魂抜けが発生しない(=模型とかに置き換えられない)ので生々しいままの表現になる。
画面上で限界まで追いかけられる様子に、より一層怖さが強まったのかもしれない。

また、ところどころに今までのゴジラリスペクトを感じ取った。
大戸島に一度ゴジラが上陸するのは、後日初代ゴジラを見直して「あ、初代も大戸島だったのか!」と興奮したし、典子がゴジラが振り回す電車にぶら下がってしがみつくのは、ゴジラvsキングコングでキングコングにぶん回される女性を思い出した。(そんなシーン、あったよね…?)
中継中のラジオ局の人々がゴジラに建物を壊されて崩れ落ちていくシーンも知っているぞ…。初代での「これが最後です、さようなら。これが最後です、さようなら…」のセリフが残酷すぎて大好きなのだが、流石にそのセリフはなかった。残念。
野田博士が講堂で作戦を説明するシーンはワクワクして、布をかけた箱を持ち出した時は「オキシジェン・デストロイヤー⁉︎」と心の中で叫んだが違った、が、泡でゴジラを制圧するという手法に繋がりを感じてめっちゃ興奮した。
オキシジェン・デストロイヤーは芹澤博士以前の物語だし、ゴジラ史としても芹澤博士と共に消え去った記録だから再現されないのは仕方ないよね…。

ゴジラ好きに組み込まれし遺伝子として、伊福部音楽がかかると否応がなくわくわくそわそわしてしまうのは抗えないと思う。
低音で「バーーン、バ、バ、バ、バ、バーン」と音楽が場内に響くと、この後人々がただただゴジラに蹂躙されていくと分かっていても、拳を力強く握りしめて前のめりで画面に見入ってしまう。
伊福部音楽は私の心の中の特撮少年にテキメンに効くのである。

山崎監督が編み出したゴジラ、これが俺のゴジラだ!というのがヒシヒシ伝わってきて最高だった!

ところでどうすれば映画を見た記憶だけきれいにリセットできますか…

▼前譚


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